「遡ると、暗中模索の一歩を踏み出した日」
昨日、長野県有機農業研究会のトークセッションに行ってきました。
私にとっては、創業から丸19年を過ぎ、20周年に向う節目の日でした。
信じられないくらい長い年月が流れ、ここ数年は疾走するようなスピードで過ぎた気がします。
いろいろな事がありました。
振り返えると、有機農業に取り組む方々にも接し、取材して記事を書かせていただいたことも
ありました。
創業の年…当時、ストーカーから身を隠していた私は、自社開発の新しい農業資材を生み出したばかりだった両親の仕事を手伝うべく、細々と普及セールスをはじめました。
通常の仕事に就けなかった事情もあり、昼夜2つの"見つからない仕事"を持ち、両親に預けた子ども二人を扶養していました。
車2台を乗り換えて移動しても見つかり、その度、住む場所を移転する暮らし。
日常とかけ離れた狂気のような暮らしの中で自分探しをしていると、ふとした行動から縁あって、ライターとしての仕事をはじめることになりました。
3つ目の仕事は、毎週掲載する料理記事と、農業や食の特集記事。
隠れ家住まい3年の気力をつなぐために、まるで天が与えたように…、両親の想いを継ぐ本業と、生活費を稼ぐ仕事、ライターの活動がはじまりました。
睡眠は一日おきというような生活になっていました。
生きるための「自由」を奪われた暮らしの中でも、私と子どものカラダは生きていて、
そのためには、生きるための活動をしなければならなかったあの頃。
「人生をやり直すためには、人の2倍働かなければ…」、心に強く刻まれた想いです。
3つの仕事は、時間と体を遣う経済活動の労働と、メンタルの安定を図る活動とをバランスよく行うことになり、「心の自由」を手にするものでした。
転機は、創業5年目に訪れました。
迷いながらはじめた起業も、資材の商品力のお蔭で、農業の現場での様々な施用効果を目にすることができ、創業の日に法人化しました。
一生を掛けて続ける覚悟。
独りで立ち上げた法人の代表は、代表と付かない取締役と初めて知りました。
その年、秋、ストーカーの存在が無くなりました。
イニシャルで書いていた記事は、実名で書けるようになり、
私は、日々の暮らしの「自由」を手にしました。
脅され、抑圧され、ふるさとを去り、新たな暮らしを繰り返すものでしたが、
コツコツと築く作業を続けていると、気づけばもうすぐ20年。
たくさんの回り道をしながら、壁に邪魔されながら、思うこともできず、
それでも、緩やかに坂道を登っています。
昔住んでいた処は坂の町で、毎日、坂の下から上まで30分掛けて通学した時の、
ひたすら上る子ども心が甦ります。
あの町に住んだ幼児体験が役立っているのかな…なんて、嫌いな町もポジティブに考えて進むのが、いい感じ。
有機栽培者の方々も、年月とともにベテランから中堅、若手と揃い、それぞれの生き方をしています。
創業記念日にお聴きした彼らのお話は、心に染み入り、今、心地よい余韻を残しています。
今日も、心の笑顔ではじまっています。
自分の笑顔を感じる心。
それは、
日々に不自由は生まれても、どんな時でも、心は自由だから、笑顔でいられると思うのです。
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