「何を許し、何を制するか…俯瞰と時が冷静さに」
昔、父の事を「○○さんを騙すのは、赤子の手を捻るより簡単だ」と、言われたことがあります。
父は、本当にいろいろな裏切りを受けてきた人です。
「僕は、運がないんだ…」と言いながら。
“恨み”という感情を持たず、“諦め”で泣き寝入りする両親は、世間知らずとも言われていました。
そんな環境で育った私は、親の代わりに環境を守り、前に進む行動力を必要とされてきました。
たくさんの不条理と理不尽を前にして、じっと考え、感情を抑えて深呼吸する静止の時間が癖づけされました。
「目を閉じて、じっと我慢。
怒ったら、怒鳴ったら、終わり。
それは祈りに近い。
憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。
-そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。」
イスラム国に殺された後藤健二さんが残したメッツセージです。
私には、胸に落ちる言葉です。
他者の欲によって回り道をした人生を、過去の経験へと代えられたのも、そんな心境でした。
脅しや抑圧に直面しているとき…平常ではないその環境には、思考の分岐点があります。
ひとつは“仇討”のような行動を選ぶ道。
昔、「目には目を、歯には歯を…」という思想や行動があったように。
そして、もうひとつは、冷静に心を鎮めて、他の方法により自己の満足と達成を目指す道。
あまりにも変えようにない大きな環境の中に置かれると、
自分の無力さを知り、悶々と想いだけが大きく膨らみます。
憤りや嘆きから離れ、深呼吸し、その現実をあらゆる角度から俯瞰で考えると、
自らはひたすら祈るようにコツコツと、何かのキッカケを生むことだけを考えて行動をする道に進むことがあります。
報道の少ない海外の戦争や紛争、そして個人の様々な被災での、当事者が抱えこむ忍耐の大きさは潜んだものです。
地震などの天災の被災に対する支援体制とは違い、救援を求める情報提供がなければ、当事者のSOSは伝わりません。
報復する力もなく、仇討しても負の連鎖。
憤りや嘆きを、身近の小さな愉しみ、喜びから得る“小さなしあわせ”に代えて、
より建設的な未来に前進することで、魂の安穏を生もうとします。
「脅しの構図」の中にも、その生い立ちがあることは逃せず、
どんな環境と生き方の中で脅す人間性が生まれたのか、相手を知ることを学習します。
罪を憎んで、人を憎まず…という言葉はありますが、
人を殺すことに対しては、「罪を憎んで、人を罰する」…。
憎まずとも制することは、亡くなった方のためにあってほしいものです。
他を認めず、破壊的暴力を実行する利己を、どう制するか…。
私はストーカーに首を絞めらて殺されそうになりましたが、そこに“ためらい”があったから逃げることができました。
その「ためらい」を許すキモチに代えて、今は過去の出来事にしています。
私は生きていますから…、そこに許せる時間が流れています。
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