さてさて、龍神レイキで初級アチューンメントを受けて1年2ヶ月、レイキ講座で川島伸介さんのお話を聞いて心に響いたことをひたすら実践してきましたが、

まさか、心に響いたことを体である程度つかむのにこんなに時間がかかるなんて思っていなかったです。

それがレイキや神楽とどう関係するんだと言われたら明確に答えられないのですが
なんとなく
レイキを魔法のように思い、アチューンメントを受ければ何か良いことがもれなく自動的に与えられると思うのは
違うような気がするし、
そんなふうに思っていたらレイキを使いこなすことも神楽をすることもできないような気がしたんです。

「内観する」
このことが大切で、始まりのように思うのです。
たとえ自動的に自分を中庸に保つ何かを与えられても、内観なしではその中庸を生かした人生をおくれないような、気が、する(ごめんなさい)。
レイキをする前から内観癖がありましたが、レイキ前の内観はしんどいかったです。
理性をいっぱい使って感情を整理してから内観するからです。
レイキ後の内観は楽です。
癒されると浮かんでくるので自然に内観できるからです。
関連する悲しいことや辛いことを思い出したらレイキをすればいいのです。
浮かんできたことを、レイキをしていない時に考えすぎてもレイキをすればそれもふわふわ浮かんできます。
考えすぎていたとわかります。
浮かんできたことを無理矢理まとめなくてもある日府に落ちます。

私はこのお盆にちょっとした出来事がありました。
そのことによって、周りの調和のために我慢して溜め込んでいたことを話すことになりました。
思いの外あっけなく笑顔で受け入れられ、受け入れたことで私は解放されました。
その日から体が楽なのです。
想いが体に及ぼす影響を知りました。
ただ、レイキをしていなかったらそのことは私の心の奥底に沈殿して、私は言葉にして伝えられなかったように思います。
なんでこんなに言葉にして伝えられるんだろうと驚いていたのです。
その後、動揺はありましたが、比較的すぐに落ち着きました。
満月の夜に温泉につかりながらレイキをしたらひらめきがあり、そのひらめきは選択肢の1つにすぎないけど、そのひらめきがあったから最終的な決断は何であれ、落ち着いていられます。
そして、ひらめきによって自分が整理されてまた楽になっています。

私が解放されたのはレイキではなく受け入れられたからだけど、レイキと内観癖がなかったら、思いを伝える言葉は出て来なかったかもしれません。

レイキと内観はセットなのかもしれません。
レイキによる深い癒しと気づきはありますが、内観は気づくために必要なもののような気がします。そして内観していると癒された時に内観が凝縮したようなひらめきがある。
そのひらめきは大きな力です。
すごく安心なんです。
レイキによって自動的に与えられたものではなく、レイキをすることによってもたらされたものです、この違いは大きいような気がします。

レイキのアチューンメントを受けてもエネルギーを感じないと言う人がいますが、そう言う人でも「レイキをすると眠くなる」「レイキをすると気持ちがいい、楽になる」と言います。
内観してみたらいいんじゃないかな?

大きな力と安心がもたらされますよ。
レイキの初級アチューンメントを受けてから1年1ヶ月たちました。
この1年1ヶ月の間に龍神レイキの講座に出席したのは3回です。
その3回の講座で伺った川島さんのお話と川島さんのブログで読んだことを実生活で実践しようと意識して、レイキをするのを忘れがちでした。
たまに思い出した時にレイキをするとすごく癒されるのですが、すぐ実生活の実践に意識が戻るのです。

ダブルワーク先の人間関係に悩んでいましたが、「なるほど。私があの人より波動が低いから振り回されるんだな」とわかるまてはいいのですが、
「じゃあ、どうしたらあんな嫌な人間よりも波動が高くなるのか知りたいよ~」と正直泣きそうでした。
嫌な人間がその場を牛耳ることの理不尽さに納得がいかなかったのです(私も青いですね(^^;;)。

そして、このことは私の人生の最大のテーマでした。

そもそも、そういう嫌な人間のほうが波動が高いなんて屈辱というかスピリチュアル不信な気持ちになりました。
でも、そうだと言うのならそうなんだろう、わかりたい、府に落ちたいと強烈に思いました。
だって、私の今までの人生最大のテーマなんです。ここに苦しみや葛藤があって、おそらく過去世からのトラウマもあるからです。
だからレイキをして癒されておしまいにすることができず、いろいろ考えたり照らし合わせたり検証してしまったんです。
いろいろ考えたり照らし合わせたり検証するなんてレイキと真逆かもしれませんが、癒されておしまいで済むことではなかったのです。
もともと内観・内省(と言うには未熟かもしれませんが)をする習慣があったので、レイキでヒーリングができるようになった後もその習慣が抜けなかったのです。

自分を堕としたくないので歯をくいしばってフェアに仕事をして(今思えば歯をくいしばらなくてもレイキをすれば良かったのですね)
今までの習慣でつい分析して考えて、
たまに温泉に行くと癒されるのでレイキのことを思い出しヒーリングすると
癒されて、
癒されると考えたことがふわふわ浮かんできて
レイキを取得する前と違うことは、特に結論づけないで浮かんだことをそのまま見ていたことです(すみません、こんなこと検証ではなかったですね)
そしてまた仕事をする

その繰り返しでした。

ふわふわ浮かんだことを見ていると、この問題に直接関係がないことも実は関係していることがわかりました。

私だって大なり小なりその嫌な人と同じものを持ってる。

それはわかっていても、やはり嫌なものは嫌なんです。
なにが嫌かと言うと、その人がいることで職場全体が悪くなっていたからです。
自分の気分で人を陥れるからです。

とにかく自分の波動を上げるしかない。
自分の波動を上げるような仕事をするしかない。
とにかくフェアに仕事をすることを第一にしていました。
レイキで解決しようとしないで、現実をとにかく頑張ったのです。
そして、月1~2回温泉に入りながらレイキをして、ふわふわ浮かんだことをぼ~っと見ていました。

そして、ある日、ふわふわ浮かんでいたことがぱちんとまとまったのです。

その嫌な人より私が波動が低いとしたら、それは私がまだ清濁併せのめていなかったからです。
「清濁併せのむ」ということを知識だけで納得していたんです。
キレイなものだけで世界を作ろうとしていたんです。
そんな私のエゴイズムを「嫌な人」だからこそ感じていたのかもしれません。
世の中に善と悪がある以上、キレイなものしか受け入れない私の波動はある意味幼稚で、悪を実践している人よりも振動していないのです。
(悪を実践しているその人にも善はありましたから)

落ち着いてその人に対応できるようになったら、今度はその人が変わってきました。
その時、あんなに嫌な人だったのに、わかってもらえたらこんなに嬉しいんだ、いなくなるよりもその人が成長してくれるほうが何倍も嬉しいんだということがわかりました。

そんなある日、消えるように辞めていました。
学びが終わると離れるというのは本当なんだなと思いました。
そして、職場全体がバージョンアップしようとしていました。
その人はそこから漏れたのか自分で嫌になったのかわかりませんが、今のその人では居られなかったんだろうな、人は簡単に変われないものなんだ、でもいつかは変わるかもしれないなと思いました。

前よりも波動が上がったかどうかわかりませんが、「あんな嫌な人よりも波動が低いなんてスピリチュアル不信だ」と思っていた時よりも
「キレイなものだけで世界を作ろうとしていたんだな。そりゃそれだけで世界は作れないよな」と、悪も善と同じように存在していることを受け入れた今のほうが楽です。

自由です。

キレイなものだけで世界を作ろうとしていたのは、私は安全な場所にいたかったからだということがわかりました。
何故かわかりませんが、私は侵略・強奪される恐怖がふとした時に出てくるのです。
生存本能が、安全な場所を求めてしまっていたのです。
もしそれが過去世からの思い癖だったとしても、美輪明宏さんがおっしゃるように手放せばいいのです。
でも、その恐怖は私の心に複雑に入り込んでいて、なかなか表面に浮かび上がらない、浮かび上がらせてくれたのがレイキでした。
浮かび上がらせて癒してくれたのがレイキでした。
癒されたから、清濁併せのむ勇気を持てたのです。
許せるようになったのです。
癒されなければ恐ろしくて「悪も存在する」世界に生きていけなかったのです。

やはり、深い癒しの後に気づきがあるのですね。
仲の良い友人の、意外な一面や本音や感情に驚いたことはありますか?

もともと私は友達が少ないのです。
私が心を落ち着けて付き合える人は、女性特有の意地悪さや嫌らしさがない人なので絶対数が少ないです。
そのことを寂しく思ったこともありますが、女性はいつも一緒にいるからといって本当に仲が良いわけではないことを知って「そんな不毛な関係を多く持っても仕方ない」と思えるようになりました。
不毛であるということは自由ではないことだからです。
数少ない友人を信頼し、心満たされていました。
そして、友人のびっくりするような一面を知ったのです。

友人と認識してからそういうことになったことはなかったので、今後の付き合いをどうしようか迷いました。
今までの私なら疎遠になっていたでしょう。
でも「いいところだけしか付き合わない」「都合が悪いところがあると付き合わない」のは、龍神レイキ創始者・川島伸介さんによると「相手を物扱いしている」のだそうです。
私、私が友人として信頼していた人を物扱いしてる!?とドキリとしました。

その友人の素晴らしいところ、大好きなところを思い出しました。
助けてもらったこと、良いアドバイスをしてくれたことを思い出しました。
そしてわかりました。
素晴らしいところや良いところがあっても、人間は未熟ですから、寂しい時や煮詰まった時には本来のその人ではない面が出てしまうのです。
それも人間の本当の姿なのですから。
しばらく距離は置きつつも変わりなく付き合っていました。
その時期に、友人は自分を見つめたらしく、霧が晴れたような一言を言いました。
疎遠にならなくて良かったと思いました。

その時期にしていたことは、友人の意外な一面に驚く自分の中の恐れや不安をレイキで癒したことです。
私は、人間関係の不安から、その友人も私を攻撃する人と同じだったらどうしようという不安や、そうだった場合の失望や悲しみを感じる恐れがあったのです。
そのことはエゴイスティックだったとわかりました。

川島伸介さんのお話を聞いて、友人を物扱いしなくて良かったです。
私のエゴイズムに気づいたし、何より、大切な友人を失わなくてすみました。

前よりももっと、その友人が大切です。