『夢と狂気の王国』感想。夢を描き続けた巨匠のエンディングノート | まじさんの映画自由研究帳

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夢を描き続けてきた巨匠のエンディングノート。

東小金井の緩やかな時間の中で、ジブリは夢を作り続けてきた。夢を追う事は狂気だ。夢を追い続けるには、いろんなところで何かを捨てなければならない。ここは、いろんなものを捨てて来た大人たちが集う、夢の終着駅だった。


表現の自由が、世界的に奪われつつある現状の中で、描きたいものを自由に描けた、最後の二人が二本の作品を作り上げた現場だ。

このドキュメンタリーでは、主に宮﨑駿の現場を取材しているが、恐らくは製作遅延のために、取材を許されなかったであろう高畑勲の現場の方が、より狂気に満ちていたのだろう。それどころではないのは分かるが、それが見られなかったのは、残念でならない。


「なぜジジは喋らなくなるの?」と『魔女の宅急便』に関する質問に『風立ちぬ』の絵コンテを切りながら答える宮﨑駿が印象的だ。


次回作の会議で宮﨑吾朗が「僕はアニメがやりたくてここに来た訳ではない」との本音が聞けたのは良かった。そこへ、まぁまぁと割って入った鈴木敏夫が「今回の二作品もそうだけど、宮さんもパクさんもやりたがらなかった企画なんだよねぇ。ま、全部俺がやらせたんだけどさ(爆)」と、空気を読めない自慢話を展開。敏夫を睨む吾朗の眼が全てを物語っていた。


絵が仕上がってからアフレコするまでの間に『風立ちぬ』のラストの重要なセリフを宮﨑駿が書き替えていたのは衝撃だった。元は全く逆の意味だったのだ。


制作会議もフィルムに納められている。宮﨑駿と鈴木敏夫が主人公に庵野秀明を抜擢した瞬間の、制作チームの唖然とした顔に、思わず吹いた。

と、同時に庵野秀明を起用した理由も理解できた。自分の作品を見て初めて涙を流した理由も、引退の理由も理解できてしまった。

『風立ちぬ』は、亡き父との対話だったのか。