学生時代、当時のバンドマンの彼氏との初デート。
新宿を歩き倒して、ふと高層ビルの間の路地に入り、小さなスペースに腰をおろしました。
彼はこう言いました。
「目を閉じて。」
私はドキドキ!
しーん・・・
流れる時間。
聞こえてきたのは次の言葉。
「うーん。いろんな音が聞こえる。」
どてっ。
あははは!期待を裏切ってごめんなさい。
私も期待外れでした!(爆)
「目を閉じて、耳を澄ましてごらん。いろんな音が聞こえるよ。」
ま、いっか・・・と素直に目を閉じてみると・・・
電車の音、中央線かな?京王線かな?
サラリーマンの話声。
車の音。
かすかに聞こえる、パチンコ屋さんの音。
たまに飛行機の音も。
そして、自分の呼吸音。
わーん・・・という風にしか聞こえなかった、都会の雑踏の音が、バラバラに聞こえてきた瞬間でした。
彼は目をつぶったままこう言いました。
「この練習をすると、音楽を聴いてもバラバラに聞こえるんだよ。
ドラムの音、ベースの旋律、キーボードの旋律。主旋律を奏でる裏には、沢山の副旋律があるんだよ。」
ほんとだ!
と、甘い期待など吹っ飛んで(笑)、感動してずーっと二人で目をつぶっていた変な時間を思い出します。
当時私は「耳コピ」といって、既にある楽曲を耳でコピーして再現するという練習をやっていました。
沢山の音の中から、キーボードの音だけを探して、耳でコピーするんです。
最初は一つの曲としてしか聞こえないのですが、少しづつ少しづつ聞こえ始めるのです。
キーボードの旋律が。
そして、音がバラバラに聞こえだすと、どういう事が起こるかというと・・・
「自分ならこうする!!!」というのが急に出てきます。
このストリングスより、私なら哀愁漂うロックオルガンを使うようなあ~とか
ここではなにも弾かない方がいいのになあ・・・とか
もっと自己主張した方がいいな・・・とか!
そして、そういうアレンジができるようになると、次に・・・
「自分で曲を作りたい。」と思うようになります!
「自分が聴きたいものは、自分で作る。」
こんな風になってくるんです。
どんな事も、結構同じかなと思います。
それが、自分の「色」であり、OSなんですね。
様々な心地よい主旋律の裏に、別の旋律が流れていることに気づいたとしたら。
それは、オリジナリティーの始まりです。
例えば、セミナー一つとっても、沢山の人が関わっています。
スタッフをさせていただくことが増えて、そんな部分がようやく見えてまいりました。
講師という主旋律の裏には、受付、物販、司会、ゲスト、体験を話すショートスピーチをしてくれる人。
見えねど、応援してくれる人の存在・・・。
何よりも、強力ににオーケストラを奏でてくれるのは、参加者の方々のようです。
一緒にのりのりで踊ってくれるのか、そうでないのか。
お客さんが乗ってくれると、演奏者ものりのりになるのは、どこの業界でも一緒なのですね(笑)
お客さんに育てられる部分が大きいのでしょう!
実は人生そのものでも、そうではないでしょうか?
オリジナリティを発揮してライフワークを楽しそうに送っている人にお会いすると、その方からは必ず人生の「副旋律」が聞こえてくるような気がします。
もちろん、応援してくれる人々。
絆を結んだ人たちが奏でてくれる「副旋律」。
そして、もうひとつの観点から見てみると・・・
「成功体験」という「主旋律」だけではありません。
自分らしくない人生を歩んでいた時の悲鳴だったり、破産や離婚、そのような深く重い経験だったりもするのです。
今、辛い状況にいらっしゃる方がいるとしたら、きっと最高の「副旋律」になるのではないでしょうか。
最高の強みであり、深みになります。
本田健さんも「きっとよくなる!」の中で
「最悪だと思った出来事が、間違いなく今の幸せを運んでくれた。」とおっしゃっています。
「主旋律」を「最高の主旋律」として聴かせるために存在しているのが「副旋律」なのですから!
その存在をどうとらえるかで、「主旋律」がひときわ輝いてきます。
逃げずに、きちんと経験すればするほど、素晴らしい楽曲に出来上がってくれるのかもしれません。
そして、どんな人も、自分の人生のバンドのフロントマンです!
すべてはあなたを輝かせるためにあるもの・・・。
そしてまた、人生そのものが、素晴らしい楽曲であり、オーケストラなのかもしれませんよね。