2014.11.23(日)
一坂太郎先生の講演会の後、まだまだ昼前だったので、ちょっとだけ散策
ずっと来たかった場所にたどり着きました
小伝馬町駅の4番出口を出ると目の前に碑石があります
「吉田松陰」って文字がわかりますねぇ~
大安楽寺
処刑場跡だった為にこの場所は嫌われ・・・
明治8年に大倉喜八郎と安田善次郎の寄進により創建。
延命地蔵尊
処刑された人たちの供養に建てられたものです
江戸傳馬町牢御椓場跡
なんだか重苦しい感じの碑石ですね・・・
赤字ってところがちょっと怖い
ここで私が写真をパシャパシャしていると・・・
鳶職の金髪のお兄ちゃん達が、なんだろう~って入ってきて、「牢屋敷跡」の文字を見て私に冷たい目線を送ってきました
「あいつはなぜ牢屋敷跡の写真を撮っているんだ、一人で・・・」と思ったに違いない
「江戸伝馬町牢石垣之一部 江戸伝馬町牢井戸跡」
大安楽寺のすぐ目の前には、十思公園があります
色々な人のブログで見ますが、心霊スポットだというのは本当ですか???(汗)
ありそうでもあり、取ってつけたような話でもあるから信じてないけど
そんな事言ってたら、私たち歴女が行く場所はほとんどが心霊スポットになってしまう
○○の終焉の地、○○暗殺の地、○○の墓、○○戦争激戦地とかキャー
最近肩がみょーに重いんだよね・・・まさか!?
はい、ただのOLデスクワークの肩コリっす
このあたり一帯が伝馬町牢屋敷だったの
幕府最大規模の牢屋で、収容者の総数は大体300~400人程度のようです
石町時の鐘
この鐘が鳴ると共に処刑が執行されていたと言います
鐘撞き番がわざと鐘を撞く時間を遅くし、処刑の時間を遅くしたという話があります。
もう少し生かしてあげたいと思う鐘撞き番の想い・・・なんでしょう。
最後の時を1秒でも長く・・・
人情というか?なんとも言葉にするには難しい
現在は大晦日のみ鐘が撞かれているそうですよぉ~
公園内にある辞世の碑、吉田松陰終焉之地碑
・・・
陽の当たり具合が悪く、写真じゃわかりづらいね
吉田松陰先生は、老中間部詮勝の暗殺を企てたとして、この伝馬町牢屋敷にて斬首されています
安政の大獄の最後の刑死者となりました。
首切り役の方の証言によると、「立派な最後だった」と言います!!
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
処刑直前に書かれたと思われる句↓
「此程に 思定めし出立は けふきく古曽 嬉しかりける」
伝馬町牢屋敷では、他にも橋本左内、頼三樹三郎なんかも処刑されています
今はただの公園。。。
でも幕末の頃は、大変な場所だったんですね
想像がつかないよ
そう言えば、ドラマJINの南方先生が和宮に毒をもったと疑われ捕まって入れられた牢獄・・・
ここだね
つづく