ただいま8月5日午前2時過ぎ。

19年前の今頃、私は病院の産科病棟、陣痛室にいました。
予定日を2週間以上過ぎても生まれる気配がなく、促進剤投与のために入院したのが8月2日の朝。
その日の午後とか夜には生まれるモノ、と思っていたのに、促進剤がまったく効かず、まあ、効かないから痛くはならないんですが、でもそれが2日目、3日目となっても変化なし、となると、もうこのまま生まれないんじゃないか、と不安も高まる一方、とうとう帝王切開の準備もされ、これでもうダメかな、と思ったころ、種類を変えた促進剤がようやく効いて、陣痛らしい痛みが付きはじめたのが、ちょうど19年前の今頃でした。

待望の女の子が生まれたのが、1993年8月5日。
あれからもう19年です。

過期産もいいところ、の状態だったので、羊水はにごるわ、へその緒は首に二重に巻き付いて心音は下がるわ、けっこう危ない状態で生まれてきたというのに、今では身長168センチ、大きく元気に育ってます。

まあ、ヲタクなのは仕方がない。DNAに刻まれたモノと環境とがそうさせたのでしょうから。
でも、希望の大学に入って、やりたい勉強もして(けっこう頑張ってるみたいで、政治学のレポート、最優秀レポートの候補にした、と先生からメール来たそうですよ)バイトもして、声優さんやアニメに夢中になって、楽しく元気に過ごしているようなので、母は満足です。

毎年、この日になると読み返す文章があります。
それは娘が小学校2年生のときに、自分が生まれてきた時の話を聞いてくる、という宿題が出されました。
まあ、私は字書きですから、字書きらしく、と娘に語りかけるような文体で童話のような感じで、無事生まれるまでけっこう大変だったんだよ、何かひとつ狂っていたら、無事生まれられなかったかもしれないんだよ、といった物語をまとめました。
あとで担任の先生に聞いた話では、娘はその文章をみんなの前で泣きながら読んで、まわりの女の子たちももらい泣きしていた、とか。
それを書いた時は、けっこうそういう「受けねらい」がなかったわけではないのですが、年月を経て読み返してみると、けっこう当時のことを思い出すよすがにもなって、毎年読み返しては、娘の誕生をこんなふうに迎えたんだったなあ、と思い返したりするわけです。

今年の母の日、娘から初めて、長い長い手紙をもらいました。
彼女にとっては初めての大きな試練だった大学受験を支えてくれて本当にありがとう、という内容で、思わず私も泣いてしまいました。
この手紙は間違いなく私の宝物ですね。

ひとり娘ということもあって、けっこう甘やかしてしまっているのはわかっているのですが、それでもまあ、それなりにちゃんと育ってくれてるかな、と自画自賛もしてみたり。
私たちはわりと仲良し親子で、いい加減親離れ子離れしろよ、とも思うんですが、まあ、もう少しいいかな、とも思ったり。
成人するまであと1年。大学卒業まで3年半。
親の役目もゴールが見えてきました。ラストスパート、気を抜かずに頑張ります。
そんな決意の今年の娘の誕生日です。
明日は、私も夫も東京フィルの演奏会なので、終演後に娘と合流して、お寿司食べに行く約束になってます。

みさちゃん、ハッピーバースデー!19歳、おめでとう!
生まれてきてくれてありがとう♪