こんにちは。

財布と心の自由を目指す変態トラウトアングラー看護師のmayuです。


いきなりですが
あなたのご近所に 寝たきりのお年寄りを自宅で介護しているお宅は ありますか?

私が子供の頃は 近所のお年寄りは
自宅で介護され 自宅で看取られる という事が
当たり前でした。

そこの家に住む 孫や ひ孫達は 子供のうちに 身近な人の死 を体験していたのです。

その体験を通して 何となく 人の死がどういうものか 感覚的に理解できていたのかな
と思います。

最近は 核家族化の進行のせいなのか 人々の感覚の変化によるものなのか
人は 病院で死ぬのが 当たり前 という事が
常識化しているのを感じます。

そのものが
身近なものではなくなり

遠ざけたいもの 怖いもの に変わって来たのでしょう。



私は 子供の頃に 祖父が胃癌を患い
祖父の希望もあって 自宅で介護していました。

徐々に 命の灯火が小さくなり 家族みんなで 眠るように
その灯火が消えていくのを見守る中で 祖父が命を引き取りました。

看取りを体験したのです。

看護師になってからも 沢山の患者様の看取りを 体験しました。


なので 人は死ぬもの という事が当たり前の事として自然に自分の感覚にあるのですが

そうではない人 が最近増えていることに気付きました。

危篤状態になって 少しづつ 身体が弱って
そこそこ長い経過を辿って 呼吸も普通に出来なくなり
少しづつ 意識が遠のいて 呼吸停止する様を
ずっと 付きっきりで 見ていたにもかかわらず

死の診断が下された時に

エッ? そうなんですか?


という反応


その反応を見て 此方も

エッ?
とびっくりしてしまいます。

そして 改めて
もう 心臓も動いてないですし 呼吸も止まって時間が経ちましたね。
お顔の色も変わって さっきまでと 顔付きも変わられたと 仰っていましたよね?
先生も 診察して 死亡と診断されたのですよ。
と説明して初めて

あゝ やっぱりそうなんですね。
初めてなので。

と 理解されるのです。

このような 反応をされるのは
50代以下の方々に多く おられます。

身近で 人の死を体験した事がないのでしょう。
命 についての認識も ひょっとしたら
私達とギャップがあるんじゃないかと 考えさせられます。