で、色々言われている「法界坊」
絞って書けば、特に英語での台詞。
観たすぐは「英語ってどうなのよ。やめて~」って思いました。
英語分からないし。
お祭り気分で折角だから、と、初歌舞伎の人も来ていたろうと思います。そういう人にとって、果たして法界坊を楽しめたのでしょうか。
私は歌舞伎座での串田版「法界坊」と吉右衛門さんの「隅田川続俤」と見ましたが、いきなりの英語の台詞に頭が切り替わらなくて「え、何?!」と戸惑いがありました。
イヤホンガイドだけでええやんか、と。
でも少し落ち着いてみると「歌舞伎ってそもそもそういうもんじゃない?」
つまり、江戸の昔から、歌舞伎って客に受けるものをドンドン取り入れた芸能じゃないですか。
人形浄瑠璃で受けた、ならばすぐに歌舞伎に仕立てるし、客に人気であれば、改作に改作を重ねる、あるいはぱくって似た演目を作る、ずっと興行を続ける。お客に受ける演出であれば、たっぷりと見せて、そうでなければ削っちゃう。
であれば、今回の平成中村座、いえ勘三郎さんのやり方は、精神としては江戸歌舞伎のそれにとんでもなく近いのでは無いかと。
法界坊が英語で独り言を言う事で、現地の人には分かる台詞がある事に喜びを覚えるでしょうし、英語の分かる日本人にはどっちも分かってそのギャップがまた面白かったりするでしょう。分からなくても、いきなり英語を喋り出すのがおかしかったりするでしょう。
だから、ありだったのかと、思います。
良いかどうかは別として。
今も私は日本語で通してやって欲しかったし、外国の人がイメージするような歌舞伎らしい演目を選んでも良かったんじゃないかとか思います。コクーンでやった三人吉三そのまま持っていくとか。
連獅子のチケットの方が高いにも関わらず法界坊より先に売切たのは、そういう事じゃないかな。求めていたのが、純粋に歌舞伎らしいものだったんじゃないかな。そう思います。
最後に2つ。
…チケット高かった…
一等席にあたるチケット「連獅子」250ドル「法界坊」200ドル。
ニューヨークからオハイオ・コロンバスまでの飛行機(2時間弱くらい)70ドルしなかったんですけど。
価格も(日本で見る)オペラみたいにしなくても良いじゃないの!とほほ。
残るひとつ。
実はこれが怒ったことでして、
附け打ちさんを「Technical Staff」にしてる。
確かに大道具さんの受け持ちで伝わってきてるし、昔々は筋書に「附打」という表記はなかったらしいですけど、附け打ちとして行かれている附け打ちさんに対し、相当失礼だと思います。
私、自分の筋書にはテプラで「tsuke-uchi」と貼っておこうかと思ってるくらいです。