グアテマラやメキシコは好きだけど、その近代史についてはよく知らずに旅行を繰り返していました
好きだからもっと知りたい!と本を読み始め、メキシコやグアテマラに関連するテレビ番組はチェックして必ず見ていたところ、数年前、アメリカ人弁護士のジェニファー・ハーバリーという女性が出ていたテレビ番組で、グアテマラ内戦に関するものを見ました。

彼女が、反政府ゲリラ組織URNG(グアテマラ国民革命連合)の指揮官である夫のエベラルドを捜して、グアテマラシティの中央広場でハンガーストライキをしている様子が映し出されていました
その姿や話に、のんきにグアテマラを旅行している場合じゃない!!と思わせるような、悲しくて、本当にそんなことがたいして昔じゃない今のこの世の中で行われていたのか??と思わせるような内容でした
1940年代、グアテマラ初の改革を目指す政府が登場し、アルベンス大統領は貧困を無くすため政治改革を進めようとしていました
労働組合を作り、思想や信条の自由も保障され、大土地所有者から土地を買い上げ、農村部の協同組合に低利子で払い下げられました
このときのグアテマラの最大の土地所有者は、アメリカのユナイテッド・フルーツ社。
こんな大企業に泣きつかれたらアメリカ政府は黙っているはずがありません。
1954年、アメリカのCIAがアルベンス政権を暴力的に転覆させる軍事クーデターをグアテマラで起こさせました
そこからグアテマラの内戦が始まるのは自然の成り行きでした。
先住民の多くの人たちは、自分たちの国なのに、いつまでたっても自分の土地は持てず、一生小作人。
充分に食べることもできず、子供たちは幼い頃から親と一緒に働かざるを得ません。出稼ぎに行っても、寝泊りする場所で、稼いだお金は食べることでなくなるようにできていて、手元に残るお金は微々たるもの。それでも働かなきゃ生きていけない。。。
そのため、小学校を卒業できるのかさえ難しくなってしまいます。
勉強したくてもできない、読み書きさえできないことを悲しく思う先住民の子供たちはたくさんいると思います。
このまま何もしなければ教育さえまともに受けることができない、一生この苦しみを背負っていかなければならない、、、こういった疑問を持っていた人たちがどんどん増えていきました。
ゲリラのメンバーはほとんどが先住民の出身でした。
ゲリラとなるしか道が残されていなかったのだと思います。
様々なゲリラの組織が作られ、地方で武装闘争が展開されていきます
1982年、いくつかのゲリラ組織が統合され、URNG(グアテマラ民族革命連合)が結成されました。
1996年の和平合意まで(本当はそのあとも)、国内ではグアテマラ政府軍による殺戮が繰り返され、地図上から消滅した村がいくつもあり、約20万人もの人々が拷問の後、殺されました。
スペイン人がこの地にやってきた時よりももっとひどい虐殺がこの内戦のときに行われました。
大昔の話じゃないんです。つい最近、10数年前の話です。
行方不明になった家族を捜して、たくさんの人たちが、ジェニファー・ハーバリーのように、家族の写真を携えて訴えてきました。
URNGの指揮官であったエベラルドは、このジェニファー・ハーバリーの夫でした。
エベラルドも貧しい小作人の子として生まれ、幼い頃から父親と一緒に労働をしてきました。
人一倍勉強したいと願っていたエベラルドでしたが、勉強する暇もありません。
その頃、村に出入りしている地下組織の人たちがいました。ガスパル・イロムという人から読み書きや、たくさんのことを学びました。
彼を通して、自分たちの置かれている状況やいろんなことを学んでいきました。
このガスパル・イロムは、グアテマラのノーベル文学賞作家ミゲル・アンヘル・アストゥーリアスの息子です。
18歳の誕生日の日、エベラルドはゲリラになる決意をし、家を出ました。
ジェニファー・ハーバリーが彼と出会ったキッカケや、グアテマラ内戦のひどい状況がこれらの本で知ることができます。

「エヴェラルドを捜して」ジェニファー・K・ハーベリ著

「勇気の架け橋」ジェニファー・ハーバリー著
アメリカ人弁護士の彼女が、メキシコで内戦下のグアテマラの難民の人たちと接するうちに、助けの手を差し伸べることなくグアテマラへ強制送還してしまうアメリカ政府や大使館に疑問を持ち、その現状を知りたくなったといいます。
グアテマラに渡り、2年かけて地下組織と接触し、その後ゲリラの前線基地に行くことを許されたそうです。
そこでURNGの指揮官のエベラルドと知り合い、結婚。
グアテマラの状況を知ることになります。
グアテマラの内戦の本はいくつか出ていますが、これほど印象に残り、強くグアテマラの内戦についてもっと知りたいと思った本はありませんでした。
内戦下、グアテマラ政府軍は先住民の家族内で殺し合いを強制させたりしたこともありました。
内戦終了後も、加害者も被害者も同じ家族として生きていかなくてはいけないグアテマラの人たちのその気持ちを考えると、本当にどうしていいのか全くわかりません。。。
そのやりきれない怒りや悲しみをどう消化していったらいいのでしょうか。。。
地方に行けば、内戦の秘密墓地はいまだ手付かずの状態で残っていたり、今でも内戦に関することを暴こうとすれば、脅迫され殺されてしまうことだってあります。
もしもアメリカのCIAの干渉に日本が何か言葉を発することができていたら、、、
他の国の人たちも気づいて手をうつことができていたら、、、
やっぱり日本にも責任があるんじゃないかと思えてしまいます
大好きなグアテマラだけど、痛みをいまだに抱えているグアテマラ。。。
ほんの少しの白人階級がいまだにグアテマラという国の富のほとんどを握っています。
ラテンアメリカのどの国よりも、いまだにグアテマラは発展していないように思えて仕方ありません
アメリカ大陸の中で、アメリカ大統領についでグアテマラ大統領が2番目に高給取りなんだそうです
(あんなに頑張ってるボリビアのエボ・モラレスなんて月給20万円ももらってないそうです。)
友達のインディヘナの家族たちは、その日暮らしなんだけどな、、、なんて思うとやりきれません
グアテマラのお金持ちの人たちの意識が変わらなければ、グアテマラという国も変わらないのでしょうね。いつまでも、お金はその人たちの懐に入るシステムなんでしょうから
「グアテマラを普通のまともな国にするには、何百年もかかるよ」と友達のグアテマラ人たちは半ばあきらめて笑います

とても難しくて、まだまだ勉強がたりないけど、少しずつグアテマラを知って行きたいと思っています。
たとえ一人一人の力がほんの僅かでも、たくさんの力が集まれば、大きな力になれると思っています。
まだ名前や場所も良く知られていないグアテマラだけど、このブログを通して少しでも興味を持っていただければ、本当に嬉しいです。
みんなの興味がその国の未来を変える力を持っていると信じています
人も穏やかで優しく、素晴らしい伝統を持つ魅力いっぱいのグアテマラです。
いつか足を運んでいただけるキッカケになれたなら、これほど嬉しいことはありません。
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好きだからもっと知りたい!と本を読み始め、メキシコやグアテマラに関連するテレビ番組はチェックして必ず見ていたところ、数年前、アメリカ人弁護士のジェニファー・ハーバリーという女性が出ていたテレビ番組で、グアテマラ内戦に関するものを見ました。

彼女が、反政府ゲリラ組織URNG(グアテマラ国民革命連合)の指揮官である夫のエベラルドを捜して、グアテマラシティの中央広場でハンガーストライキをしている様子が映し出されていました

その姿や話に、のんきにグアテマラを旅行している場合じゃない!!と思わせるような、悲しくて、本当にそんなことがたいして昔じゃない今のこの世の中で行われていたのか??と思わせるような内容でした

1940年代、グアテマラ初の改革を目指す政府が登場し、アルベンス大統領は貧困を無くすため政治改革を進めようとしていました

労働組合を作り、思想や信条の自由も保障され、大土地所有者から土地を買い上げ、農村部の協同組合に低利子で払い下げられました

このときのグアテマラの最大の土地所有者は、アメリカのユナイテッド・フルーツ社。
こんな大企業に泣きつかれたらアメリカ政府は黙っているはずがありません。
1954年、アメリカのCIAがアルベンス政権を暴力的に転覆させる軍事クーデターをグアテマラで起こさせました

そこからグアテマラの内戦が始まるのは自然の成り行きでした。
先住民の多くの人たちは、自分たちの国なのに、いつまでたっても自分の土地は持てず、一生小作人。
充分に食べることもできず、子供たちは幼い頃から親と一緒に働かざるを得ません。出稼ぎに行っても、寝泊りする場所で、稼いだお金は食べることでなくなるようにできていて、手元に残るお金は微々たるもの。それでも働かなきゃ生きていけない。。。
そのため、小学校を卒業できるのかさえ難しくなってしまいます。
勉強したくてもできない、読み書きさえできないことを悲しく思う先住民の子供たちはたくさんいると思います。
このまま何もしなければ教育さえまともに受けることができない、一生この苦しみを背負っていかなければならない、、、こういった疑問を持っていた人たちがどんどん増えていきました。
ゲリラのメンバーはほとんどが先住民の出身でした。
ゲリラとなるしか道が残されていなかったのだと思います。
様々なゲリラの組織が作られ、地方で武装闘争が展開されていきます

1982年、いくつかのゲリラ組織が統合され、URNG(グアテマラ民族革命連合)が結成されました。
1996年の和平合意まで(本当はそのあとも)、国内ではグアテマラ政府軍による殺戮が繰り返され、地図上から消滅した村がいくつもあり、約20万人もの人々が拷問の後、殺されました。
スペイン人がこの地にやってきた時よりももっとひどい虐殺がこの内戦のときに行われました。
大昔の話じゃないんです。つい最近、10数年前の話です。
行方不明になった家族を捜して、たくさんの人たちが、ジェニファー・ハーバリーのように、家族の写真を携えて訴えてきました。
URNGの指揮官であったエベラルドは、このジェニファー・ハーバリーの夫でした。
エベラルドも貧しい小作人の子として生まれ、幼い頃から父親と一緒に労働をしてきました。
人一倍勉強したいと願っていたエベラルドでしたが、勉強する暇もありません。
その頃、村に出入りしている地下組織の人たちがいました。ガスパル・イロムという人から読み書きや、たくさんのことを学びました。
彼を通して、自分たちの置かれている状況やいろんなことを学んでいきました。
このガスパル・イロムは、グアテマラのノーベル文学賞作家ミゲル・アンヘル・アストゥーリアスの息子です。
18歳の誕生日の日、エベラルドはゲリラになる決意をし、家を出ました。
ジェニファー・ハーバリーが彼と出会ったキッカケや、グアテマラ内戦のひどい状況がこれらの本で知ることができます。

「エヴェラルドを捜して」ジェニファー・K・ハーベリ著

「勇気の架け橋」ジェニファー・ハーバリー著
アメリカ人弁護士の彼女が、メキシコで内戦下のグアテマラの難民の人たちと接するうちに、助けの手を差し伸べることなくグアテマラへ強制送還してしまうアメリカ政府や大使館に疑問を持ち、その現状を知りたくなったといいます。
グアテマラに渡り、2年かけて地下組織と接触し、その後ゲリラの前線基地に行くことを許されたそうです。
そこでURNGの指揮官のエベラルドと知り合い、結婚。
グアテマラの状況を知ることになります。
グアテマラの内戦の本はいくつか出ていますが、これほど印象に残り、強くグアテマラの内戦についてもっと知りたいと思った本はありませんでした。
内戦下、グアテマラ政府軍は先住民の家族内で殺し合いを強制させたりしたこともありました。
内戦終了後も、加害者も被害者も同じ家族として生きていかなくてはいけないグアテマラの人たちのその気持ちを考えると、本当にどうしていいのか全くわかりません。。。
そのやりきれない怒りや悲しみをどう消化していったらいいのでしょうか。。。

地方に行けば、内戦の秘密墓地はいまだ手付かずの状態で残っていたり、今でも内戦に関することを暴こうとすれば、脅迫され殺されてしまうことだってあります。
もしもアメリカのCIAの干渉に日本が何か言葉を発することができていたら、、、
他の国の人たちも気づいて手をうつことができていたら、、、
やっぱり日本にも責任があるんじゃないかと思えてしまいます

大好きなグアテマラだけど、痛みをいまだに抱えているグアテマラ。。。
ほんの少しの白人階級がいまだにグアテマラという国の富のほとんどを握っています。
ラテンアメリカのどの国よりも、いまだにグアテマラは発展していないように思えて仕方ありません

アメリカ大陸の中で、アメリカ大統領についでグアテマラ大統領が2番目に高給取りなんだそうです

(あんなに頑張ってるボリビアのエボ・モラレスなんて月給20万円ももらってないそうです。)
友達のインディヘナの家族たちは、その日暮らしなんだけどな、、、なんて思うとやりきれません

グアテマラのお金持ちの人たちの意識が変わらなければ、グアテマラという国も変わらないのでしょうね。いつまでも、お金はその人たちの懐に入るシステムなんでしょうから

「グアテマラを普通のまともな国にするには、何百年もかかるよ」と友達のグアテマラ人たちは半ばあきらめて笑います


とても難しくて、まだまだ勉強がたりないけど、少しずつグアテマラを知って行きたいと思っています。
たとえ一人一人の力がほんの僅かでも、たくさんの力が集まれば、大きな力になれると思っています。

まだ名前や場所も良く知られていないグアテマラだけど、このブログを通して少しでも興味を持っていただければ、本当に嬉しいです。
みんなの興味がその国の未来を変える力を持っていると信じています

人も穏やかで優しく、素晴らしい伝統を持つ魅力いっぱいのグアテマラです。
いつか足を運んでいただけるキッカケになれたなら、これほど嬉しいことはありません。



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