友人がとても少ない私ですが

たまーに女子会に出掛けたりします。

 

先日、3ヶ月振りに、1月まで働いていた会社の社員Mさん(一回り年下)と

2人で飲みに行きました。


待ち合わせ時間よりも30分前に着きましたので

予約していたお店の近くにあるお寺に伺いました。

 

あんちょうじ

住所:福岡県朝倉市甘木772

 

 

✱境内入口✱

 

✱扁額/甘木山✱

 

✱鐘楼✱

扁額に「龍雲閣」

✱手水舎✱

 

 

✱狛犬✱

神仏混淆時代の名残り

✱本堂✱

ちょうど日が沈む時間帯でした。

側面から見たところ。神社の造りに似ています。

 

✱由来✱

今より一千有余年前、甘木遠江守安長という豪士ありて、父を安道といい、

矢田の金剛山寺の地蔵を信仰せり。 
安長、幼時に疱瘡を患い命危ぶまれしが、父安道は矢田に篭り、

祈願し霊夢を得て安長の病が癒えたのである。

安長がこの地に移り、幼時の霊護に報いんと矢田(奈良県)の地蔵尊を迎え

本尊として本堂に祀る。

この延命地蔵大菩薩創立由緒により疱瘡退散祈願の参詣者多く、
豆太鼓「バタバタ」の生まれたのはこの時である。

後に祖を祀るための一伽藍を建てた。開山は満慶上人(満米)である。

彼の氏を村にあて甘木村とし、名を寺にあて、甘木山安長寺と称えた。

甘木市は、この安長寺の門前町から発展した町で、
久遠の計を恵まん為、物品交易の市を開いた正月の初市に始まり、

市の日が町名として二日町・四日町・七日町・八日町等、現在も残っている。

(甘木山安長禅寺臨済宗 甘木市観光協会)

✱救世観世音菩薩✱

 

✱太子堂✱

聖徳太子をお祭りしています。

このお堂は内堂があり、その中に太子が安置されています。

✱太子堂 内堂✱

細木を組み合わせて一本の釘さえ使っていない芸術作品で、

古来希少の文化財であります。

✱御神木✱

島津軍が大宰府岩屋上を攻める時、甘木に侵入、放火した際に
焼けたといわれ、樹幹には空洞を生じていますが、樹勢は旺盛です。

以前、記事にしたことのある祇園社(現在の須賀神社)の社殿左手の大樟と共に、
大分県玖珠郡切株山より子苗を移したとされます。

本樹が女樟(赤樟)、祇園社のものが男樟(青樟)で夫婦仲睦まじく、

夜はフクロウに託し互いに語りあかすと伝えられています

木ふきだし(ハート)ポマジ吹き出し フクロウ 木亜友未いびき吹き出し亜友未

ロマンチック~ラブラブ

縁結びの樟とも言い伝えられているそうです。

(現在、2本の距離は直線で約280mです)

✱祭礼(甘木バタバタ市)✱

1月4・5日(初市)

バタバタはもともとは、疱瘡よけのおまじないですが、

産室に置くと胎児の発育がよく、生まれる子どもの目鼻立ち、

四肢に至るまで均整がとれると言われ、

床の間に飾ると、その家に幸運が訪れると言われています。

※こちらの画像はお借りしました。

 

✱七五三の飴✱

こんにち、福岡県地域を代表する飴の生産地は甘木であり、

福岡市の櫛田神社・筥崎宮をはじめとして全国の神社の七五三に用いられる

千歳飴がここで作られていました。(現在は移転しています。)

甘木における飴の生産は江戸時代の中頃に安長寺の門前で

大坪七之助という人物が三奈木産の黒砂糖を原料とする棒状の

「地蔵飴」を売り出したことに始まるとされています。

 

✱御朱印✱

私が伺った時は無人でした。ネットでも情報なしです。

 

この日、18:45くらいにお寺を出たのですが

門を出て、後ろを振り返るとすぐさま自動シャッターが閉まっていました笑

防犯カメラでお寺の関係者の方がご覧になっていたのかもしれません。

遅い時間に参拝させていただき、ありがとうございました。

この後、女子会のお店に行くとMさんは既に到着していました。

「私が遅く来ると思って、ゆっくり来たろう?」と言われました。図星です星

久しぶりに外で飲んで、少し酔っぱらいましたチーン

「仕事せずに毎日何しよると?」と訊かれたので

「神社に行ったりしよる」と答えたワタクシ。

否定されはしなかったけど、彼女は全く興味なしといった感じで

少し引かれたようです。

それでも神社巡りはやめませんけどねーウインク