ALOHA!

 

本日は朝からの雪で皆様の通勤など大丈夫でしたでしょうか。

気温もぐっと低くなり寒い一日になりますが風邪などお気を付け下さい。

さて本日のブログ 自分とマウナの出会いやアロハシャツについてでも書いてみようかと思い

お付き合い下さいませ。

当時 青山方面で働いていた私はアパレル関係の仕事につき

カリフォルニア方面ばかりが中心でハワイとはほぼ無縁に近かったのを覚えています。

ある時ここワールドポーターズと言う建物が出来た時まだみなとみらい地区もそれほど完成されておらず。ワールドポーターズという名前は都内でも話題になっていたのを覚えています。

ある休みが取れた時 どんなものだろ?くらいで行きまわっていると3階にアロハシャツがずらっと、しかも店内入口から聞こえるハワイアンな音 まず都内でも海外でも見た事のないような佇まいの雰囲気のある店作りと壮観なアロハシャツの陳列 スタッフのハワイアンな匂い

当時はハワイアンな感じの飲食すら国内に一つか二つの頃です。ましてハワイに行った事がなくてもこれがハワイの匂いなんだと目に焼き付く衝撃が走りました。ハワイアンミュージックすら中々聞く事がなく情報も中々無い時代に沢山の現地のCDまでもが陳列されて気になるものの何を聴けば良いのかわからない程でした。何とも言えないゆるい音色 耳で感じる衝撃と目に入るこれがハワイアンと想像をかきたてられるほどの視覚感覚 まさに五感に響くという感覚です。それから数年が経ち まだ国内においてのハワイブームが最近のように押し寄せていない頃少しずつ湘南を紹介する雑誌が出てきてその中にハワイを生活に取り入れるスタイルが紹介され始めた頃です 憧れて取り入れてきたカリフォルニアスタイルとは違う空気感 海とライフスタイルの共有 少しずつハワイ ハワイと想いが日常に出てきていました。当時 原宿 渋谷の中心で仕事をしていた私にはハワイを感じる場所はほんとに少なかったと覚えています。原宿でゴローズと並び好きな人間のみ集まる場所にBINGOBROTHERSと言うハンドクラフトの店があり10代からの溜まり場として友人も働いていたり職場の人間も友人関係であるなど事あるごとに溜まり場でそこの主人のスタイルが皆の憧れるスタイルでもありました。フランネルシャツにデニム バンズのスニーカー ターコイズのアクセサリー きずくと集まる人間のスタイルは皆同じ たまにフランネルのアロハに半ズボン 友人も真冬にフランネルアロハに半ズボン 今おもうとマウナで買っていたようでした。アロハとターコイズアクセサリーそして音楽はロック 私の職場にも ハワイアンな匂いを取り入れたい気持ちがどんどん膨らんでいたのもそのころです。そのたまり場ではハワイの話が沢山出て来ました。ふつうにJJがさ ケハウがさ 何のことやら ローカルなハワイアンのミュージシャンやフラ(フラダンス)の先生との話 ここの人たちのハワイ島の友人の話ですわかるはずがありません。この時友人はハワイ島に出向いてフラの修行をしていたわけで 当時はそんな日本人の男性はほぼいません ナーパラパライという後に有名になるハワイを代表するミュージシャンとも家族のような交流をしていたため 会話にぽんぽんハワイなローカルな話がでます 当分話にはついていけませんでした。それが普通なんですけどね。

私はというとフラという言葉の響きにやられていました。なんだろうと とうとう友人からハワイ直伝フラを習う事に 仕事をしながら大人が習い事は大変です。しかしはまりました

通える所をさがして 当時情報がなく マウナにもどこかないかと聞きに来たのを思い出しました。こんな人いますよと 教えてもらい自分でも探し ある人にどんどん繋がり横浜である人から習える事に 少しずつ皆と慣れ親しんでくると 必ず行きなさいとな場所が出てきます。そうマウナです。関わる人達の行きつけの場所でした。なんともまあ自分の中でマウナが繋がる繋がる今となっては本当に私にとっての縁であったのでしょう。フラで少し時間が経った頃あるイベントの為にサンサーフのアロハを買いにバックパネルのとびきり派手なフラガールがどーんと、勿論踊りよりアロハが目立ってしまいました。この時から本気に人より格段上を目指したくフラを真剣に学びが始まりました。派手なアロハが私に服より踊りが上回るように 勉強しなさいと言っているように教えてくれました。とにかく当時フラをする日本人がいなかった時代国内に学ぶ男性は30人くらいしかいなかったと思います。運が良かったのかそこには100%ピュアなハワイアンの人間国宝になったフラのハワイでのオリンピック メリーモナークという大会を作った創設者が直系の先生として何度も来日してハワイのアロハと言う心構えを教えてくれたのもそのころでした。当時言われた言葉に忠実に髪の毛にマナが宿るから切るなと言われお尻まで髪を伸ばす事になります。切るときは辞める時と。

その人間国宝もマウナで扱いのサンサーフを着ていました 。

 

 

 

事あるごとに何か縁というものは必然なのでしょう

フラを通しハワイ文化に興味を持ち古い工芸のハワイの魂と言われるフィッシュフックを今度は作りたくなりハワイに出向いて勉強し何時しか自分流を確立するまでに 今ではマウナのスタッフとして 何時何処で 縁を感じたり 自分の興味が始まるなど いつも遠くも近くもマウナの存在がありました。今お店に来られるお客様に遠方からいらして 年に一度か二度しか来れないけど来ると 本当に良い店だねと言葉をもらえたり なかなかないんだこういう店がと本当に嬉しい言葉を頂きます。時にふらっと入り始めて発見し 当時の私が感じたように思ってくれたお客様も それも縁 これからも その時のような感じを常におもってもらえるようなお店でありたいと。これからも皆様とご一緒にハワイなマウナでいたいと思います。

お付き合いありがとうございました。

次回は服と映画の関係でも書いてみたいとおもいます。

失礼致します。