2013年…それは

創業以来飯塚商店を支えた母を失くし、

妻が追突事故で負傷しばらく仕事が出来なくなり、

工場長が持病の手術のため長期離脱し、

それらに伴い自分も2度過労で倒れ

低価格競争により30年来の取引先を失い、

会社経営は変わらず厳しい状況にあるなかで

…それでも沢山の人に支えられて、新たにもやしの価値を認められ

都内デパート、スーパーに新規で納入が為され、

在来大豆もやしが少しづつ市場に定着してきている、

そんな実績も含めてどうにか越せそうな、そんな年でした。

精神的にも肉体的にも非常に消耗した年でした。

そして来年に向けて蒔かれた希望の種…


・新規販路開拓

・画期的もやし新商品の開発

・風土飲食研究会の発展

・お子たまランチ(在るべき子供食開発)

・飲食事業の取り組み

…これらも多くの人の理解と協力あっ少しずつ芽吹きつつあります。

・・・・・・・・・

 今でも「あの時の舵取り」は正しかったのかどうか、と自問自答するときがあります。

80年代に緑豆太もやしを否定した時

90年代にもやし屋の設備産業化を否定し

「もやしの根を除去する」根取り機械の導入を拒絶し逆に
もやしの根にさらなる価値を見出したとき


5年前、自ら売り場に立ちもやしをとことん伝えようと決めたとき

4年前、このブログを立ち上げるきっかけになった
「きちんとした生産者を守りたい」
もやしをまぼろしにしてはいけない」と決意したとき

3年前、県産在来大豆をもやしにしたとき

今年、低価格を押し付ける取引先を拒絶したとき

…反対に舵を切っていれば、会社を大きくして沢山人を高給で雇えたかもしれません。妻にもっと楽にさせられたかもしれません。子供の教育にもお金をかけられたかもしれません。家族でもっと旅行に行けたかもしれません。今でも大好きなスキーやテニス、マラソンも続けれたかもしれません。
しかしどうにも納得の行かない仕事で成り立っている幸せ、それは幸せと言えるのでしょうか。その幸せの中では自分が荒れてしまうか、他人を見下す人間になるか、人を欺くことに何のためらいのない、そんな人間になったかもしれません。


 …逆に、あの時の舵取りで今私がいるのは、お金も時間も奪われましたが、誰に臆することもなく堂々と仕事を語り、沢山の新しい人と繋がり、沢山の人に信頼され、共に理想を形にできる、そんな世界です。
命を削ってまでも生きる価値のある世界です。
苦しい中、侮辱され我慢して成り立っているよりも、よほど可能性と将来性が見える世界です。


 もやしのことしか知らない世間知らずのもやし屋です。経営が下手であちらこちらで迷惑をかけています。申し訳ありません。
それでもそんなもやし屋を支えてくれる皆様には心から感謝しています。


今年一年、ありがとうございました。