昨日の「大豆100粒運動を支える会 総会」の特別講演で私、深谷のもやし屋が壇に登りました。
 今回は憧れの辰巳芳子先生もいらっしゃる、ということで(先生は急遽欠席でしたが 泣)、私も非常に気合いが入り、いつもアドリブで話すところを滅多に使わないパワーポイントや、講演の「たたき台」まで用意して臨みました。

 ところがいざ始まるとかなりその場のノリでいつもの調子になってしまいましたが、用意したたたき台に沿った感じで約1時間(本当は30分)お話は出来たと思います。

 これまでの活動を整理するにも役立った今回用意した「たたき台」、この場で公開いたします。

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「在来大豆を使ったもやしで風土に根付いた食を」

講演の主旨:
埼玉県各地の風土に根付いた在来大豆(地大豆)に大きな可能性を抱いた一もやし生産者による在来大豆普及活動。価値の発信だけでは「普及」に至らない。在来大豆に携わる全ての人にとって在来大豆がビジネスとして成り立たせるその可能性を提示したい。

☆もやしと深谷のもやし屋について

●本来もやしとは発芽した種子(豆)を食べる食品の総称。
●深谷のもやし屋とはありのままの味を大切にするあまり時代の流れを逆の方向に舵を切ってしまう。その結果として取引先が離れていき、経営危機に陥る…そんなもやし屋。
● もやし業界の現状は80年代半ばから緑豆太もやしに移行。取引先量販店の増加に伴い設備投資をして生産規模を拡大したが供給過多になる。結果として小売主導型の価格設定に押され低価格競争に。

☆ 埼玉県産在来大豆もやし着手のきっかけ

●埼玉県在来大豆28種
1. 埼玉県農業試験場の元所長渡邊耕造さんを中心に研究員が30年以上かけて県内各地の現地試験に行った先で色や形の変わった大豆を見つけ収集、約3~5年ごとに種を更新して保存活動も行ってきた。
2. 平成16年に渡邊氏が「在来大豆を使い特色ある豆腐づくり」を研究課題に取り上げたことで日の目をみることができた。

3. 平成17年から始まる県を挙げての在来大豆PR活動。この時28種の在来大豆が確定された。

●同時期の深谷のもやし屋
4. 平成20年頃よりいよいよ会社経営が苦しくなった危機感から、自分のもやしのPR活動で、しばしば店頭に立ってもやしの対面販売、試食販売を行う。その活動の中で一部消費者の意見で気づいた外国の豆に対する強い不信感。ならば誰もが納得する、どこへ出しても恥ずかしくないもやしを。地元の豆を使ってもやしを作ることを目指す。それこそが埼玉深谷のもやし屋の在るべき姿じゃないか。そう思うようになる。

5. 翌年の冬にさいたま市で開かれた食のイベントで埼玉県農林公社のブースに立ち寄る。その時に「在来大豆28種」の存在を知る。以来あちこちで「地元の豆でもやしが作りたい」と触れ回る(笑)。

6. 3年前(平成22年)の3月、噂を聞きつけた渡邊氏の下で在来大豆普及活動を続けてきた当時農林総合研究センター職員、増山氏が在来大豆と共に来社。その豆を使ってもやし作りに着手する。大豆関連商品として「もやし」を参入させることの意義。3月29日に在来大豆もやし栽培に着手、なぜか上手に出来てしまった。

7. 平成22年4月5日に「埼玉県在来大豆によるもやしが完成」(写真7)。在来大豆もやしを初めて食べたとき、その豆の味の凄さに心を奪われた。その瞬間、「これは凄い。こういう良いものは普及させなければならない」との気持が湧き上がり、では「普及させるためにはどうしたらよいか」を念頭に置いて普及活動を進めることを決心する。普及に必要なのはまずは「その価値を知ってもらうことから」であった。『在来大豆もやしでどれだけ儲けようか』ではなく『大豆普及』に舵を切ってしまうあたりが深谷のもやし屋。在来大豆完成に立ち会った朝日新聞上田記者がそのまま取材、4月6日付の朝日新聞に掲載される。
記者からの「どこで販売するか?」「価格は?」の質問に戸惑いつつ、現在の安いもやしの轍を踏まないよう、大豆もやしの適正価格について考える。

8. また5月4日付け毎日新聞にも掲載。

9. 4月8日、市内の農家、倉上さんが最後の「おくまめ」を持ってやってくる。新聞を読んで嬉しくなった倉上さんが農家を辞めるのでどうぞ使ってくれ、と長年栽培してきた「おくまめ」を持ってきたのだった。
地大豆は農家にとっても特別な存在あることを実感。深谷のもやし屋と地元農家が始めて気持で繋がる。農家の想いを受け止めることは農家を味方につけることであった。


☆もやし屋による在来大豆普及活動の開始

10. 平成20年5月7日、熊谷市内の飲食店の協力で9種類の在来大豆もやしの試食会を開催。「自分がやることは県農業のためになる。だから協力してくれ」と地元県議会議員の協力を要請、議員の呼びかけで埼玉県農林部の当時の部長以下多数の職員が参加。(写真その席で「(もやし屋として)県産在来大豆を普及させる」と宣言する。この試食会は朝日新聞、埼玉新聞にとりあげられた。


11. 同年6月、大豆もやしの豆の部分が美味いという意見から、若芽である「発芽大豆」を本格的に販売する。商品名は「彩」。5品種の在来大豆を発芽させて混ぜ合わせたもの。埼玉県の在来大豆品種28種すべてを使えるようになった時が彩の国、さいたまの発芽大豆彩が完成するわけだ。

12. 同年9月、深谷市の産業振興を目指す深谷市産学官連携事業「ゆめ☆たまご」に加入。そこで地元の志ある漬物屋、日本酒の蔵元と意気投合し、大豆もやし商品「大豆もやしの漬物」が生まれる。在来大豆普及という大きな目的を達成するためには志を同じくする他事業者の力を借りることの重要性を実感する。さらに地元行政、深谷市がプレスリリースしたことで新聞にも取り上げられた。

13. 平成23年2月、埼玉県農商工連携フェアに「ゆめ☆たまご」として参加。他の事業者と共に在来大豆がどれだけ多くの食と繋がっていることを知らせる「大豆連携プレー」を実践。場内の話題をさらう。数社の新聞の取材も受ける。消費者に大豆の価値を認識させる目的があった。

☆ カフェNINOKURAとのコラボイベント…当たり前だが豆は食べものである。飲食店と志同じくしてその力を借りる。食べてもらうことで在来大豆の価値を知ってもらう。
14. 「埼玉の豆カフェ&バー」カフェNINOKURAで開催した「在来大豆魅力発信イベント」。

埼玉県産在来大豆28種にかけて28種類の在来大豆料理をビュッフェスタイルで提供。NINOKURAだけの調理でなく、深谷市の飲食店、浦和のケーキ店、本庄在住の外国人による豆料理も提供。豆料理の奥行きを知ってもらう。

情報公開こそ人の共感を得られる手段と、提供したほとんどの料理のレシピも公開した。さらに在来大豆に携わる農家、県農業普及員、県農業研究員、事業者、消費者を交えて討論会を開く。

15. 「モンサントの不自然な食べもの×NINOKURAの自然な食べもの 食のツーストーリーズ」遺伝子組み換え作物の特許を持つ米「モンサント社」の実態を描いたドキュメンタリー「モンサントの不自然な食べもの」をカフェNINOKURAイベントホール(2階)で自主上映、同時に1階のカフェでは在来大豆を代表する地元で採れた良質な食材を中心とした料理を提供。蔵を1つの世界に見立て、二つの食の思想があることを知らせる。

TPPが、遺伝子組み換えが、怖いと反対運動をするエネルギーを、もっと身近に在る正しい食、生産者を支えるために使ってもらいたい、そんな意図もあった。

16. 一都六県を代表する在来大豆を集め発芽させて一つにまとめる「いろどりセブン」の開発に着手。各地の在来大豆を探し産地を訪れる。もっとも苦労したのが東京産在来大豆。ようやく探し当てた檜原村の鑾野大豆こそ「風土と人が育んできた在来大豆の原点」といえるものであった。
 そして檜原の人たちはその鑾野大豆を村おこしの貴重なお宝として活用しようとしていることに大きな感銘を受ける。村の風土と人が大豆を育てる。大豆はそこに居る人たちの食資源でもあり、その大豆が在ることが村に価値を与えている。在来大豆はその土地と人にとっての宝である。もちつもたれつ、それこそが風土と人と大豆の理想的な繋がりではないだろうか。

17. 一都六県を代表する在来大豆を集めた「発芽大豆 いろどりセブン」をNINOKURAと共同制作。朝日新聞、毎日新聞、日本農業新聞に取り上げられる。

☆ 現在の在来大豆もやしの状況
18. 3年前には間違いなくこの世に存在していなかった在来大豆もやしという食品。現在は地元の飲食店、給食センター、食品加工会社、産直店を中心にじわじわと広がっている。在来大豆の使用量も2010年の300kg、2011年は倍の600kg、2012年は900kgと増えている。また東京都檜原村では檜原の人たちと共に、学校給食に地元で採れる在来種「鑾野大豆」のもやしを学校給食に導入することで動いている。

 もやし屋は原料として豆を使う商売。そして在来大豆もやしに関しては「安売り」に入らない。現在農家、加工業者、販売者、消費者、それら全ての共通理解の下、「適正価格」で流通している。在来大豆を適正なビジネスとして成り立たせるには、良い作物を実らせるが如く、まずは畑の土壌造りをしなければならない。そのためにやるべきことは…もやし屋による在来大豆普及活動の肝はそこにある。

 深谷のもやし屋の「もやし屋としての大豆普及活動」はまだまだ続く。

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 実際のお話はこんなり理路整然としたものでなく、普通の飲みの席と変わらない調子でした。それでも最後は大きな拍手もいただきました。

 もやし屋にとってもとても楽しく充実した時間でありました。そんな機会を提供してくれた「大豆100粒運動を支える会」の皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。