このブログのタイトル

『まぼろしの「もやし」求めて…』

は、かつて私が訪れた鹿児島の小さなもやし屋さんが栽培していたエチレンを一切使わない、“ありのままの”もやし、私から見てまさに「理想のもやし」が、今はすでに「まぼろしのもやし」となってしまった現実を悲しみ、

『まぼろしのもやしがまぼろしにならない世の中になることを願って』

名づけたタイトルです。

作り手の理想が商売にならないという現実があります。

 今思えばお会いした当時、すでに廃業が目前であったであろう、鹿児島のもやし屋さんの何か寂しそうな佇まい。今も深谷のもやし屋を追い詰める、低価格、見た目、日持ちの呪縛。生鮮野菜のはずなのに『加工食品並みの安全基準』とそれを達成するための『設備』を「取引先」から求められる風潮。

 まぼろしのもやしがまぼろしにならない世の中は、

「生産者(もやし屋)、販売者、加工業者、飲食店、消費者(生活者)の共通理解」

が達成されて初めて成り立ちます。そんなのは当たり前のようですが、いざ食の現場に入ると業種を超えた食の共通理解がいかに険しい道であるかすぐに理解できます。

そのような現状の中、もやし生産者である私は自分の作るもやしを通して

「まぼろしのもやしがまぼろしにならない世の中=食の共通理解が構築された世の中」

の実現のためにありとあらゆる手段(ツール)を駆使して、私の信じるもやしの発信を勤めてきました。そしてその世の中でないと鹿児島のもやし屋さんのように、深谷のもやし屋も存在が出来ないのです。

…そして先日、とても嬉しいことがありました。

 名古屋で料理人として己の信じる食をお弁当という形で発信している、「情熱弁当の原田さん」が現在私が送ったもやしの原料であるミャンマー産ブラックマッペをご自身で発芽させ、もやしとして栽培し、お弁当の食材に使うというブログを読んだときでした。

…私は感激のあまり涙があふれそうになりました。そう、もやしとはこういう野菜なのです。エチレン(私も少し使ってます)を全く使わない真に“ありのままの”もやしは、細く根も長くしっかりと張っています。しかしその野草のような力強い歯ごたえ、染み出る味わいは現在一般に流通しているもやしとは全くの別物です。多くの人は、「もやしの見た目」「価格」だけで判断しないでこの本来の味を知らなければならないのです。今まで自分の考えていたもやしの知識はまったく薄いものであったと衝撃を受けるはずです。きちんとした食の情報を。それはまず私たち生産者が率先して取り組まねばならないことなのです。

 もやし生産者ではない原田さんは、料理人・弁当販売者という立場から見事に私の想いを汲んでくれ「自ら栽培、食材に使い、販売をして、お客様に食べていただこう」とされています。原田さんのお弁当を食べることで、ここに生産者、料理人、販売者、消費者の共通理解が達成されるわけです。

 2年前の8月の暑かった日、原田さんと二人で名古屋の公園で原田さんの弁当を食べ、食について熱く語り合ったあのひと時が蘇ります。

 まぼろしのもやしがまぼろしにならない世の中作り、その道は果てしなく険しいものですが、3年前は全くしらなかった、まだ2度しかお会いしていない遠く名古屋のお弁当屋さんの仕事が深谷のもやし屋に大きな希望を与えてくれました。