なぜ、薬物に踏み込む? | メモらんだむ

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朱に交われば赤くなる。

覚醒剤や麻薬の問題がたくさん浮上している。
悪人がそもそもそんなにたくさんいるわけではない。
ただ単に、人に勧められると断れないのではない。

重視している人間関係を崩したくなくて人は道を踏み誤るケースが多いのだ。

未成年のときからタバコを吸ってしまっていた人もたくさんいると思う。
そのときに自分に何が起きたのかを思い出してみればいいと思う。
「自分の仲間達や先輩達がタバコを吸っていて、自分も吸うようになった。」
「カッコつけるためにすうようになった。」
表面上の理由はたくさんあるが、周りで誰もタバコを吸っていなかったケースでタバコを吸うように
なった人はほとんどいないはずだ。

何事も始めるきっかけって回りの影響が大きい。

たとえば、僕のケースは、家族、兄弟を含め、回りで野球をやっている人がいなかった。
自然と野球に触れなかった。当然興味も沸かず、空手ばかりをやっていた。
熱中していた空手は自然に強くなり、クラスでは一人しか空手をやっていないというような状況になった。
野球に誘われるが興味がないので参加しない。父親の仕事の関係で4回ほど小学校を転校しているので、断って仲間はずれにされても今までと余り環境が変化しないし、そもそも孤独には慣れている。
結局、40代の現在まで野球は一切やらずに人生を過ごした。

周りの影響のことで言うと、タバコも仲間に勧められたことがあるが、別に仲間に入らずとも自分の心の拠り所は別にあったので「僕は吸わないけど、吸うのだったら君達の勝手だからどうぞ。」と闇雲に嫌悪感を持たないで自分は拒否を続けた結果、一回もタバコを吸わせるとか、不良の仲間に入るとかそういうことがなかった。

回りに影響されるかどうかは迎合しやすい体質というものもあるのかもしれない。
最近再会した高校時代の最悪の不良だったやつに、何で当時僕に余り圧力をかけてこなかったのかを聞くと
「だって、お前が暴れたら怖いだろうな~って思ってたんだもん。」とのこと。
なんとなく怖くてなんとなく言い出せなかったらしい。
いわゆる抑止力って言うやつかと納得した。

周囲の影響として考えると宗教に依存する心境も同じようなものだと思う。
もちろん周囲の影響といっても、結果、自分というものに拠り所がないので他に解答を求める。
自分で哲学して自分のあり方を探求しないと、自分の決断ではありえないのに、「誰かが言ったから。」やったとか、「〇〇様がおっしゃったのだから正しい。」と判断すること自体不思議な話だ。

薬物も踏み込むかどうかの時には自分のデシジョンができるのだ。
依存してしまう体質になる前の問題。
知らずに使用されてしまうリスクもあるが、それですらどんな人たちといつもいるのかという選択だったり、ちょっと道をはずしてしまっているような人をそもそも好きになってしまったり…。

自分の軸をしっかり持っていて何者の圧力にも左右されない自信を持っていれば、変な朱に交わらない。
物理的には触れ合っていても、精神性まで迎合しない。だって自分の選択は自分自身の問題だから。
それにはとにかく、物事に対して本質や真理を究められるように日ごろから、自分自身でよくよく哲学しておくことだと思う。