松嶋初音 公式ブログ『松嶋す。』 Powered by アメブロ -2ページ目

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はじめに伝えておくが、昨日のタイトルのことはすっかり忘れて頂いてかまわない。

もちろん間に受ける人はいないとは思っていたが、想像よりも突っ込みが多かったので一応書き記しておくことにする。このブログは私というゴミクソヘドロが具現化したような人間が腐臭漂わせながら、さらにはキーボードをべちゃべちゃにしながら個人的なデトックスよろしく書きなぐった文章しか掲載する予定はないし今後それは強化される方向にあるということを今一度胸に刻んでほしい。

キーボードをべちゃべちゃにしながら、という、何故私は「べちゃべちゃ」なのかということについて、親切なので教えてあげようと思うが、端的に言えば「汗」である。

私はこのブログを主に風呂で書いている。帰宅して風呂を掃除し、湯を張る。風呂蓋を半分だけ閉めてそこをテーブル代わりにしてパソコンをおいてパチパチとキーボードを叩くのだ。こうして文章を書くと何がいいかというと、まず第一にあったかい。そしてその次に汗をかくことにより代謝が上がる。さらには汗をかくという行為と文字を書くという行為で心なしか韻を踏めていることもあってより気持ち良さが増している。

これは一つの石をぶん投げたら二羽の鳥が落ちてきて「Oh ! Kill two birds with one stone ! 」と言ったイギリス人もびっくりであろう。そんなことよりこの発言をしたイギリス人はなんとはなしに発したこの言葉が世界をまたぎにまたいで果ては日本に伝わり日本のことわざなんじゃないかぐらいの勢いで使われていることも含めると一石百鳥ぐらいな感じがしないでもないし、それでもまだ足りないような気がするがどうであろうか。

イギリス人の話はもういいんだけども。

昨日のブログタイトルに話を戻すが、
「カブトムシがインターホンに止まっていた時の対処法」
という、こんなにもピンポイントな情報ってあるだろうか。そしてもし万が一そういった状況下にいる人がいたとしてその時まず何を思うのだろうか。このsns至上の世の中においてはiPhoneでパシャりと写真を撮って「夏の始まり☆」とか書いて「いいね!」を荒稼ぎするほどの余裕がありそうな気がする。すごくする。

また、この話においてそれがセミだった時のことを考えてみてほしい。セミは想像以上に虫である。カブトムシは少しプラスチックっぽくてフィギュア感がある。つるりとした上翅にツンと飛び出たツノ。掴めと言われればさすがにやや躊躇するがやつらは滅多なことでは飛ばない。どうぶつの森でこそビュンビュン飛んでいくが、現実のカブトムシはよっぽどのことがない限り飛ばないという認識を持っているがそれは違うのであろうか。

正解がわからないまま話を進めるが、この「飛ぶ・飛ばない」という話において「私は滅多なことじゃ飛びませんよ」という、そこの確かめ合いがある程度なされていると私は思っているので、近場にある棒でつんと押せばコロリと地面に落ちそうなものである。これでカブトムシに対する対処は終了である。だが、セミはそうはいかない。

やつらの警戒心はとてつもない。触ってもいない、少しだけ、ほんの少しだけ私の影が当たっただけでやつらはなんの迷いもなしに「飛ぶ」という選択をする。しかも大体のインターホンゼミは弱っている。ということは低空飛行であるということだ。おお、なんとおぞましいことか。全国にたくさんいるであろうセミ好きの人には大変申し訳ない。だが、私はもうセミの思考回路がいよいよわからないのだ。

やつらは飛び立った後のことを全く考えちゃいない。一人で勝手に人影に恐れおののき、飛んだはいいものの体力もさほどなく、着地したら失敗して裏返り「ビャビャビャビャビャビャ」と爆音を出しながら「私困ってます!」と必死のアピールである。一体何がしたいというのであろうか。こちらはこの間一歩も動いていないことがほとんどだ。

セミは勝手に近寄り勝手にテンパり勝手に泣きわめく。
これは人間でいう「彼氏と喧嘩した深夜4時友達に死ぬかもと連絡した挙句、同時進行で彼氏と仲直りしてケロリ」タイプの女性とほぼ同じである。

私はその手の女性に出会ったことはないが、もし自分の友人にその手のパターンを踏んでくる女性がいたらその人のことは「インターホンゼミ」と呼んでいいと思っている。私が許す。もしそれがなにかのきっかけで本人にバレて喧嘩になったとしても責任は取らないのでご了承ください。

ここで汗の限界なのでおわりにする。
また駄文である。

おわり。

まつしませみね
ここ数日で心境の変化があった。

前回更新した頃はとてつもなく落ち込んでいた。だが、今その時の気持ちがわかるかと言われるとわかるようなわからないような薄ぼんやりした感じ、というのが一番近い。

ぼんやり感で言えば箱根などの山近くの旅館に泊まった際に迎える朝が好きだ。普段よりずいぶん早い時間に布団に入ってコロリと寝てしまうので、間違った時間に起床することがある。多くは空が薄ぼんやりと明るくなりだす4時頃だ。

そのままぼんやりと平べったい敷布団に寝たまま動かずに、じっと窓を見ているのも良いが、大概そういう時には不思議な行動力があり、ぬるりと立ち上がって窓の近くへ歩み寄ってしまう。レースのカーテンをめくると窓には結露が少しできていて指でぬぐってみると向こう側の景色が見える。焦点を当ててみると、少し明るくなった山からはもくもくと湯気が出ている。

「山からはもくもくと湯気が出ている」
なんとはなしに書いたもののあれの名前は「湯気」で良いのだろうか。そう思って親切な私は「朝 山 湯気」でグーグル先生に聞いた。答えてくれたのはグーグル先生ではなくヤフーの知恵袋だったが、読めば読むほどなるほどよくわからない。霧、靄、霞。似たような文字が並ぶと途端にこいつはなんだったか、というふうになる。

鷹、鳶、鷲も同じである。一つ一つで見れば「タカ!トンビ!ワシ!」と即答できるが一列に並ばれるともう困る。逆に双子などは一列に並ばれるとわからないのだから不思議である。

すごく昔の話だが、双子の姉妹と仕事をしたことがあった。どちらが姉でどちらが妹か、何度教えてもらっても本当にわからなかった。わからないことがとても申し訳なくて、わからないということをわからせたくないが故に上っ面の会話しかできず、最後までろくすっぽ名前も呼べなかった。

きっと当の本人たちはそんなこと慣れっこで、たとえ間違ったとしても笑顔で対応してくれるのだろうと思う。でもマイナス1点なことに間違いはないのだ。逆にずっと間違い続けてマイナス100点まできたら笑ってくれるだろうと思うがそういった思い切りのいいボケをかませるほど私は能天気ではなくどちらかと気にしいである。

気にしいだということで言えば、私はとてつもない褒められ下手でもある。ここ数日続けてブログを更新したところ思いもよらぬ人からお褒め頂けたり、久しぶりに連絡をくれた人もいた。みんな一様に私が吐き捨てたゴミのようなこの文章を褒めてくれたのだ。

文章を褒められることは、実は自分の褒められポイントの中で一番嬉しいことである。ここで、ついでに私の褒められポイント嬉しいランキングを教えておこうと思う。覚えておいてほしい。一位はもちろん文章である。ここまでいって一位は顔です!とか言っていたらもう私のことは「知能が高めのゴリラ」と呼んでほしい。これはしつけの一環であり、私の苦い思い出スイッチでもある。

私は小学生の頃、腕毛が尋常じゃなく濃かったためにクラスで一番人気のあった男子生徒からこのあだ名をつけられた。この男子生徒が自分だと思うやつは今すぐ謝罪の連絡を入れること。

それはともかく、未だにゴリラと言われると反応してしまう自分がいる。また、第三者がゴリラとあだ名をつけられていたのを目撃、または知った場合はその人に対してものすごいシンパシーを抱きそのままの流れで「シンパシーとチンパンジーって言葉似てるな」とどうでもいいところまで思考が進んでしまうので注意が必要である。

話は逸れたが、続く褒められポイントが特にないということが今判明したのでとりあえず嘘でも良いからすべてを褒めてくれて構わない。だが、私は褒められることに慣れていないので、褒められたあとの私は驚くほどに調子に乗る。

そうしてその結果このような箸にも棒にもかからない文章を書いてしまうのだ。

どうもすんません。
おわり


まつしまごりら
うまくいっていないのである。

現状を整理すればとてもいい状況なのである。謳歌していいのである。享受していいのである。だが、私という人間はそういった良いことが起れば起こるほどうまくいかないのである。

幼い頃、親に誕生日やクリスマスなどのイベントごとでプレゼントをもらったときに、私は開口一番「ごめんなさい」と言ってしまったのである。親はとても驚いて、そのあと悲しそうな顔をしていたのを今でも覚えている。私のこの「ごめんんなさい」の内訳は、私のためにお金を使わせてごめんなさい、私がいなければこんなことをしなくてよかったのに、ごめんなさい、なのである。

親は素直に喜ぶ私の姿を想像していたであろうに、それについては更にごめんなさいなのである。子どものためを思って、子どもの喜ぶ顔を想像して子どもに気付かれないように時間を作ってプレゼントを買ってきたのに、その当の子どもは喜ぶどころか申し訳なさそうに謝罪してくるのである。

嬉しくないわけではなくて、自分が嬉しいという気持ちよりも先に申し訳ないという思いがゴールテープを切って出てきてしまうのだ。いつからこうなってしまったのか、気がついたときにはこうなっていた。

うまくいかないのである。

こうして文章を書いていることについて、とても嫌な予感があった。誰でもそうだと思うが、人は定期的に落ちる。がっくりと、どっぷりと、どす黒い塊が泥のようにこびりついて地の底まで引きずり落とそうとしてくる。わかりやすいきっかけなどなく、突然にゴトンと落ちる。

助けを求めようにも、そういうときは素直になれないものである。対象の相手がいれば「抱きしめて欲しい」と言えば解決するかもしれないし、大金が舞い込んでくれば気分が落ちていたのは嘘かのように晴れやかな気持ちになるかもしれないし、寝て起きればケロリと治っているかもしれない。だがそうは簡単にいかないのが現実なのである。

これは一種の自慰行為だと私は思う。この定期的に落ちるということと、自慰行為について一切経験がないという人は今すぐこのページを閉じて二度と来なくていい。きっと一生わかりあえないし、私の書く文章に共感することはないと思う。

話を戻そう。自慰行為というのは、自分を慰めることである。慰め方は人それぞれだと思うが、慰めるにあたっての対象が必要になる。それを自分の中から生み出すことができる人もいれば、DMM.comという最強の味方をつけている人もいる。そういった、解決するまではあの手この手と考えて一度ゴールを迎えれば、なんであの時自分はそう思っていたのかとすっかり忘れてしまっているそれと、落ちている自分を立て直す行為は同じことなのだと私は思う。

落ちているときに助けの手を伸ばす相手はこちらが選びたいと思っていて、それはこれ以上のわがままはないだろうというくらいひどいことだが、しょうがないことなのだ。自分勝手なのが自慰行為というものなのだから。

はてさて勝手なことを書いたついでに言うが、最近は古川いおりちゃんにゾッコンなのである。今、頭の中にいおりちゃんをほんの一瞬登場させただけで少し元気がでた。いおりちゃん強い。どうやら私の治療薬はDMM.comにあるらしい。

そんな吐き散らかし。


おわり。

まつしまいおり