訃報 | 松本隆博のオフィシャルブログ「ng~ネバーギブアップ~」Powered by Ameba

訃報

訃報

父 松本譲一は、享年81歳
8月19日永眠致しました。
謹んで皆様にお知らせ申し上げます。
尚、葬儀は故人の希望により
近親者にて8月22日に滞りなく相済ませました
生前中の皆様のご厚誼に深く感謝申し上げます。

喪主 松本隆博


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かねてより療養中の父でした。
生前より気づかいの父でしたので
皆様のお時間を頂戴するのは心が引ける
という意思から慎ましやかに身内と一部の
友人で式を終えました。

息子の私からいうのもおこがましいですが
父は真面目で正直者の父でした。

今回入院する時も病院に行く道中、苦しい
のにも関わらず、「新聞の集金が今日来るんだ」
とそんな事を心配する父でした。

もともと大工仕事や室内装飾に長けており
仕事もそういった関係の事をしておりました
ので手先が器用な父でした。僕の小学生の
頃の夏休みの宿題は父の作品で入選しました笑。
しかし、人付き合いはというと不器用な人で、
素直に喜ばない頑固な父でした。

誕生日のプレゼントでも「これはわしはいらんわ」
と本人の前で平気で言う、超照れ屋の父でした。

弟が売れてテレビで出だした時でも
「たしたもんやな、たしたもんや」と目じりにしわ寄せ
嬉しがったくせに、弟の前では決して面と向かって
褒めない、そんな父。

この度病状が悪化して病院に駆けつけた時、
必死で生きようとする父がいました。

酸素呼吸器を付け何度も何度も大きく息を
吸って頑張りました。
お医者さまから、いよいよだと聞いた時、
僕は不謹慎にも”このお盆の時期に亡くなったら
親戚ら皆
大変だなあ”と思ってしまいました。

すると父はそれを知ったかのように見事にお盆の
時期を乗り切り、やはり"気遣いの父”を最期にも
証明しました。

父の口ぐせは、「いやもう・・ひっしのぱっちやで」
と言ってました。
働いて働いて働きどおして・・いつもひっしのぱっち
の父でした。


酸素呼吸器を付けた父もまさにひっしのぱっちで
生きてくれました。

「父ちゃん!もうそんなひっしのぱっちならんでよ!」
と思うくらい父は最期までひっしのぱっちでした。

そして、
僕らが見守る中、平成26年8月19日午前2時11分。
最期に大きく息を吸ってみせ、永眠いたしました。

僕の仕事が「家族の絆講演・コンサート」ですから
もう僕の全てがここに集約しますし。
まさか
自分の親が亡くなるなんて実感は全くありませんでした
今も実はありません。

僕がまさに講演コンサートでも言うように
「家族間の感謝の時間軸は長いところにある」
まさにそれを思います。

月日が経って思う感謝が一杯です、
ありがとうとごめんなさいが一杯です。


親父ごめんやで。
僕が大学卒業したときに親父が僕のところに
来てほっとほり投げた通帳。
それは僕の大学の授業料の振込み通帳でした。
パラパラとめくると、ペンで一杯線が引いてあり
ました。
親父がひっしのぱっちで稼いでくれたお金、
苦しい時もあったであろう授業料の振込み。
その血と汗の結晶であるこの通帳。
僕は「ふーーーーん」と、まあ照れくさかったんだ
ろうと思うが全くの無言で流したんだ。
親父はきっとショックだったに違いない。
「ありがとう」を伝えてない俺がここにいて。。。
ごめんな親父。



親父ごめんやで。
寂しかった時期もあったやろうなあ。
もっと生きてる元気なうちに一杯一杯、旅行とか
行ったらよかった。。。酒でも飲んで語りたかったよ。


親父ごめんやで。
親父が生きてる間に俺、NHK紅白出場果たせなかったよ。


そして親父。
父ちゃん。

ありがとうな。



松本隆博







5段変速の自転車




追伸:

今回の家族葬は個人の思いを代弁し、
家族兄弟で決めました。
しかし父に最後のお別れをされたい
方々も多かったと思いますし、私自身
も極親しいものにしかお知らせしてい
ませんでしたので心苦しく思う時も
ありました。
この場を借りてお詫び申し上げます。
ここ20日間程に行いました
「家族の絆コンサート」はなんとも
言えない感情と気持ちを持って行い
ました。涙でぼろぼろになるのでは?
きちんと公演できないのでは??
と不安にもなりましたが、
ただ不思議と、父の力なのか、
いつもどおりの平常心で公演を行え
た事が今となっては誇りに思えます。