『デジタルの檻』 | 人は気にならないだろうけど私は気になる。

『デジタルの檻』





iPadを買ってから、ちょくちょく電子書籍を買ってたんですが、最近また『紙の本』に戻ってきました。



僕はそんなに『本好き』というほどでは無いので、『紙でも電子でも読めればいいや』『いや沢山持ち歩けるし画像も綺麗だし電子書籍のほうがよいのでは?』と思っていたのですが、電子書籍ではいくつかの『不便な所』があるのに今さらながら気付いたのです。



ひとつは『人と貸し借り出来ない』こと。
・・・・iPadを人に何日も貸すのはなかなか勇気がいります。


ひとつは『一度読んだら読み返さなくなった』こと。
・・・・『沢山の本をi持ち歩けていつでも読める』と言うのは『いつでも読めるから今読む必要が無い』と言う事だったのです。



最後のひとつは『読んだ時の情景がまるで浮かばなくなってしまった』こと。



本にせよ音楽にせよ、良い作品に出逢った時の光景や部屋の様子やその頃起こった出来事を、数年後読み(聴き)返した時に『ふっ』と想い出したりしませんか?


何て言うか、本の手触りやにおいや小さな染みが、しんと手に馴染むと言うか、本がしみじみと空気をまとうような瞬間が、時々あるのですよ。

所謂『本好きのひと』が時々そんな意味のことを力説するを聞いて『アホか!?』と思ったものですが、僕もアホの仲間だったようです。


単なるノスタルジーかもしれません。僕が歳をとっただけなのかも。



でも、紙をパラパラめくるのって、なかなか良いものですよね。


紙をめくろうが液晶画面をタッチしようが、結局は『物語を仮想体験する』事には変わらないんだろうけど、紙の本は周りの風景や空気を味方につけてるような気がします。




村上 春樹さんのエッセイ集に、こんなことが書いてありました。
本じゃなくて音楽の話なんですが、何か共通するものがあります。


 ところが時代が下がると、音楽はどんどん安価なものになっていった。いまやタダ同然の価格で音楽が配信される時代になった。手のひらくらいのサイズの機械に何十時間、何百時間もの音楽が入ってしまう。いくらでも好きなときに簡単に音楽が取り出せる。もちろん便利でいいんだけど、でもそういうのって、音楽の聴き方としてちょっと極端ですよね。もちろんそういうふうにして聴くのがふさわしい音楽もあると思うけど、そうじゃないものも多いはずです。やっぱり、音楽にはその内容にふさわしい容れ物があると思います。僕はランニングしながら音楽を聴いてるので、小さくて軽い装置で、大量に音楽が聴けるというのは、個人的にはありがたいことなんですけどね。
(村上 春樹『雑文集』『余白のある音楽は聴き飽きない』より)



僕はどうしたって漫画の事に関連付けて考えてしまうのですが、電子デバイスで読むのに適した漫画もあれば、紙の本で読むほうがいい漫画もあると言うことですね。


例えば美麗なフルカラー漫画はデジタル向きかもしれません(紙の本だと高くなってしまいますしね)
あるいは絵が動く漫画とか、音が出る漫画とか、ストーリーが分岐する漫画とか・・・


でもそれって、アニメやゲームにはかなわないじゃん!・・・・とも思います。



デジタルデバイスに、ちょっと疲れているのかもしれませんね。
仕事にしろ私生活にしろ、電子機器を切り捨てるのは不可能になってしまっているので、せめて趣味の時間ぐらいはアナログで過ごせ!と言うことなんでしょうか?


とりあえず夜 iPadを見ながら床に就くのやめて本を読むようにしたら、寝付きが良くなりました。











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