TSHの基準値に関する新たな見解 | 松林 秀彦 (生殖医療専門医)のブログ

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生殖医療に関する正しい知識を提供します。主に英語の論文をわかりやすく日本語で紹介します。

今回ご紹介する論文は、これまでの「TSH(甲状腺刺激ホルモン)」の基準値に一石を投じるものです。これまで、TSH <2.5を目標にすることが基準でしたが、もしかするとそうではないかもしれないという論文です。

Fertil Steril 2015; 103: 258(米国)
要約:2004~2012年1477名4064回の人工授精を実施した方を対象にTSHと妊娠の関係を検討しました。甲状腺機能が正常な方に限定し、TSHを4群(A: 0.40~1.36、B: 1.37~1.86、C: 1.87~2.49、D: 2.50~4.99 mIU/L)に分けたところ、臨床妊娠率、出産率に有意な違いを認めませんでした。しかし、妊娠した方のみに限定すると、TSHが高くなると流産率が低下し、出産率が増加していました。D群はA群より流産率が0.32倍に有意に低下し、出産率が2.80倍に有意な増加を示しました。

解説:甲状腺機能低下症(fT4低下、TSH増加)は、不妊症や流産に関連することが以前から知られています。米国甲状腺学会と米国臨床内分泌学会のガイドラインには、「妊娠を目指す女性は、甲状腺機能が正常の場合(fT4正常)でも、THS <2.5に維持するのが望ましい」と明記されています(最新の2012年版にも記載あり)。この根拠になっている最新の論文(2010年)では、妊娠治療をせず妊娠した4123名の妊娠初期の方を対象に検討したところ、TSH 2.50~4.99 の場合に流産率が有意に高いというものでした。

しかし、妊娠中の甲状腺機能検査および治療が母児の健康状態を良好にするという証拠は示されていません。妊娠中には、hCG(妊娠ホルモン)により、TSH受容体が刺激されるため、fT4が増加し、甲状腺機能がやや亢進した状態になります。そのため、フィードバック機構により、TSHが減少します。つまり、甲状腺機能がやや低下した方は機能が正常になります。したがって、ガイドラインの根拠になった妊娠中のTSHはすでに是正されたものであり、妊娠前に測定したデータとの食い違いがあっても不思議ではありません。つまり、妊娠前の測定値としては、もっと高いTSH値に基準値を設定し直す方がよいのではないかという考えです。

ただし、本論文は、人工授精の方に限定した検討ですので、体外受精や自然妊娠にあてはまるかは不明です。症例数も1500件程度でしかありませんので、結論を導くことはできません。いずれにしても、症例数を増やして、多施設で世界規模での検討が必要だと思います。

これまで何度もご紹介してきましたように、医学の常識は年月とともに変わります。時として180度覆ってしまうことも少なくありません。最新の知識の習得が重要なのは、まさにこのためなのです。

TSHに関しては、この論文ひとつで判断基準を変えることにはなりませんが、今後の動向に目を光らせる必要があります。