寺子屋参照資料(前編)「偉大なる音楽は、もはや特権階級の人々の楽しみのために奉仕してはならない」 | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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今回の美学講座では、音楽と絵画を扱います。

音楽だけ、絵画だけだとあまりに膨大になり、深くなりすぎる可能性があるので、今回は音楽や絵画のイントロダクションとして、我々の馴染み深いところから知識を掘り起こしていきたいと思っています!!

まずは分類です!

とりあえず前史としてグレゴリオ聖歌(中世・ルネサンス)、そしてスタートとしてのバロック、モーツアルトやベートベン、そしてハイドンのバロック!!いわゆるThe クラシックという感じですね。
そして美しいロマン派。土の匂いがする国民楽派!
そして20世紀の音楽はハチャメチャという感じで、6つに大きく分類します。

すなわち、
0.グレゴリオ聖歌(中世、ルネサンス「薔薇の名前」でもお馴染みグレゴリオ聖歌)
1.The クラシック音楽なバロック(バッハとヘンデルは同い年、ヴィヴァルディーの四季は素晴らしい!)
2.古典派と言えば誰もが知っているモーツアルトとベートベン。
3.ロマンチックな香りのするロマン派は美しいショパン、シューベルト、シューマン、リスト
4.重厚長大な土臭さを感じさせる国民楽派にはドヴォルザークたち
5.それらが20世紀の現代音楽に流れ込む!ストラヴィンスキー、ジョン・ケージなど!


まずはグレゴリオ聖歌。
悩んだのですが雰囲気を伝えるのであれば、映画「薔薇の名前」の予告編は良いと思います。これはきちんとグレゴリオ聖歌です。
もうひとつは「復活祭のグレゴリオ聖歌 アレルヤ(Alleluja)(詩編150番)

もしくは大ヒットしたこちら。


グレゴリオ聖歌の時代の楽譜(ネウマ譜)がいまの五線譜の原形です。

*いま見るとあらためて趣があって良いですよね。

そのアレルヤがヘンデルの手にかかると、我々が良く知るこちらのハレルヤになります(小学生のころ、合唱コンクールなるもので、同じ小学生ながら合唱団がこの「ハレルヤ」を歌っていて、それを聞いて度肝を抜かれたのをよく覚えています)

ちなみにバッハとヘンデルは同い年です。ヘンデルは超有名人、バッハは当時はほぼ無名に近く、優秀な音楽家の子供たちのお父さんという風に知られていたそうです。

ちなみにこれが現代にまで戻ってくるとオルフのカルミナ・ブラーナになります。「O Fortuna~」というのをラテン語でもやりました!

まあ、唐突に現代にまで飛ばなくていいので、グレゴリオ聖歌の時代に、教会音楽の時代に戻りますと、教会音楽の父と呼ばれるパレストリーナは本当に美しい音楽です。不協和音が最小限で、まさに天使の音楽です。
ちなみに、僕らはバレストリーナとつい言ってしまいますが、これはダ・ヴィンチと同じです。ダ・ヴィンチもヴィンチ村ということですし、パレストリーナも生地の名前です。

まあ、それはともかくパレストリーナの美しい天使の音楽を聞くと、次の時代がバロックという「ゆがんだ」と言われるのも分かる気がします。

バッハといえば有名な曲ばかりでしょうが、キャッチャーなものをあげるとしたら「G線上のアリア」でしょう。古典とは言え、いまだ現役のバッハくんです。



とは言え、バッハが有名になったのは最近のこと、「♬ぱぱぱぱ~ん」の結婚行進曲で有名なメンデルスゾーンがマタイ受難曲を紹介して以降のことです。

バッハとヘンデルは同時代人というか、同い年で顔も似ています。
では、問題です。どちらがバッハで、どちらがヘンデルでしょう。






まあ、それはともかくバッハは教会のために曲を書きまくり、ヘンデルは王様のために曲を書きまくりました。

*ジョージ1世のためにヘンデルが書いたのが「水上の音楽(Water Music)」。ちなみに、ヘンデルは人生のほとんどをイギリスで過ごしています。ドイツ生れですがほとんどイギリス人です(絵をクリックすると「水上の音楽」が流れます。というかYoutubeに飛びます)。

バッハは音楽の父と呼ばれますが、日本だけヘンデルを音楽の母と呼びますw



というか、大事なヴィヴァルディを忘れていました。僕にとってヴィヴァルディの四季は想い出深い作品です。プティ振付のこの作品を大学生のころに繰り返し見ていました。バレエに対する理解を根本からゆらがせてくれたプティらしい明るさに満ち溢れた作品です!!


【古典派】

それに対して、古典派に入ってハイドンは交響曲の父と呼ばれます。
ハイドンは1000曲近く書いていますが、彼がまさにソナタ形式という西洋音楽の完成型を作り上げます。ヘンデルと同じくハイドンもロンドンという一大消費地があったからこそ、需要があったからこそ大量に生産できました。というわけで交響曲「ロンドン」(交響曲第104番)




*ハイドン!!


そしてモーツアルト!!!
「Amadeus(神に愛された)」というミドル・ネームにふさわしい天才です!(ラテン語が微妙に間違っているらしいですが。。)


*クリックしていただくと、辻井伸行さんのトルコ行進曲。ただ、この肖像画は死後に想像で描かれたそうで。上野の西郷さんは西郷さんの奥様に言わせると似ていないとか、モーツアルトの奥さんであるコンスタンツェが最も似ていると言ったのはこちら。


*こちらにはカラヤン指揮でウィーン・フィルハーモニーの「レクイエム」を!(モーツアルトが死の床で書いた傑作です。が、彼が書き上げたのは一曲目のみ)
最後に書いたオペラは魔笛、最後の交響曲はJupiterです。最後の講座3つは三大交響曲と呼ばれます。39番、40番、41番Jupiter。おそろしいことに、交響曲39番が6月(26日)、40番が7月(25日)41番が8月(10日)です。1788年32歳のことです。シンフォニーを月に1本ってどんだけでしょう。

モーツアルトと言えばアイネ・クライネ・ナハトムジークが有名です。
次々とあらわれる主題は、あふれる才能の典型のようですが、まさに彼はリミックスの天才なのだと思います。
リミックスのためのストックの良い例として、葉加瀬太郎さんはこんな例を出しています。彼の抜群の記憶力、そして理論に対する深い理解が伺えます。
「ガラスの仮面」の北島マヤではないですが、モーツアルトは一度聞いた曲は完全に覚えたそうです。

映画「アマデウス」ではそのことがコミカルに描かれています(のちのマリー・アントワネットに6歳の頃求婚したという話も、モーツアルト自身が笑い話としてしています)

(動画が削除されていたので、ワーナー・ブラザーズの公式チャンネル版に切り替えました。吹き替えですけど。2022/01/15)

しかし実際はこのサリエルの小品どころの話ではなく、9声からなる合唱を一度聞いて暗譜したそうです。グレゴリア・アレグリの「ミゼーレ」です。そのような芸当ができるほどの、暗記力と膨大なストックゆえのひらめきです。トルコ行進曲も当時はやっていたトルコ音楽からインスパイアされたわけですし。
ちなみに、モーツアルトと言えば、僕らは「ル・パルク」を思い出します。K. 488 (1786)ルグリとオーレリです。今のように、この2人がいないオペラ座なんて考えられません(TOT)

亡くなる直前に書いていたのはレクイエムとそしてオペラの傑作である魔笛です。その魔笛を書いている最中にボンからやってきた顔の悪い小さな男がいました。モーツアルトは多忙につき、会うことができませんでした。バッハとヘンデルのようなものです。近くにいるのになぜか会えません。
その彼は会えないことに怒って即興演奏をして帰ったそうです。なぜ怒っているかと言えば、彼のお父さんはいつも「モーツアルトのようになれ」と彼に言い続けたからです。

モーツアルトのようになれと厳しく育てられたのが、ベートベンです!!(ちなみに2人ともハイドンが先生という共通点があります。まあ、とは言え、ベートベンは「ハイドンの弟子」と称するのを嫌がりました。何もハイドンから教わっていないと言って)。


*運命が戸を叩きます!(第五交響曲)カツラを脱ぎ捨て、音楽の市民革命を実現!(同じく市民革命と言えばナポレオンがいますが、ナポレオンに絶望して彼に捧げた交響曲3番「英雄」をめちゃめちゃに書きなおしたとか)

ベジャールがマイヤ・プリセツカヤに振り付けた「イサドラ」の中にこんなナレーションがあるそうです「偉大なる音楽は、もはや特権階級の人々の楽しみのために奉仕してはならない。無料で大衆に与えなければならない」。

そして第9第4楽章の「歓喜の歌」(ベジャールバレエと東京バレエ団です!イスラエルフィルでメーターさんが振っています!まさに奇跡!)。
第九が書かれて3年後、正当に評価されることなく1827年死にます。



第九が聴力を失ったあとに書かれたのは有名ですが、失ったばかりのころに書かれた第6(田園)は非常に明るいものです(そして交響曲にはじめてタイトルが入りました。ですので、古典派という以上に物語性をもったロマン派とも言えそうです)。

ベートベンのなかではたとえばテレーゼに送られたとも言われる「エリーゼの為に」や、「月光(Moonlight Sonata)」などもベートベンらしい素敵な作品です。


【ロマン派】

さて、時間も余白もなくなってきたので、ざっとロマン派を走り抜けましょう!!

まずはシューベルト。
シューベルトはベートベンの近くに住んでいましたが、シャイなのか会いに行っていません。ただ臨終の席と、葬儀には参列しています。そしてベートベンが死んだのがそれほどショックだったのか、翌年に31歳の若さでなくなっています。ベートベンは56歳ですからダブルスコアです。
シューベルトは歌曲王として知られております。古典派の重さからするとかるーいロマン派です。
モーツアルトと反目したあのサリエルがシューベルトの先生です。
明るくシンプルな歌曲をたくさん書いています。たとえば鱒(ます)


*歌曲王という顔をしていますね!!

そして、最初の指揮者であるメンデルスゾーン。
メンデルスゾーンと言えば、結婚行進曲のイメージです!これは17歳のころに書いたそうで(・_・;)
結婚行進曲が含まれる「真夏の夜の夢」は素晴らしいバレエがあります。


*キレイな顔です。まさにロマン派!!クリックするとオーケストラ版のWeddingMarchです。

そしてシューマン!!
ベートベンの除幕式に自分の音楽を捧げるほどにベートベンが好きでした。
多くのピアノ曲を書きましたが、唯一のピアノ協奏曲がこちらピアノはアルゲリッチです!


*これまた綺麗な顔です。しかし鬱で自殺未遂を繰り返します。それもライン川に。
クララとブラームスの関係を疑っていたのでしょうか?

奥さんのクララ夫人は素晴らしいピアニストであり、献身的に夫を支え、死後も名声が広まるように努力しました。そのクララ夫人を好きになったのがブラームス。


*19世紀においてもっとも高名なピアニスト。ドイツマルク紙幣にもその姿があるほど、愛された人でした。
紙幣はこちら。

*クララ・シューマンがいかに愛されていたか分かります。どちらもWikipediaドイツ語版です(ドイツ語が読めるようになりたい!)


ブラームスはシューマン以上にベートベンが大好きで、自身の交響曲第1番がベートベンの第10番と言われると喜んだそうです。死ぬほど素敵な曲です。
ブラームスと言えば、ハンガリー舞曲のほうが耳に馴染んでいるかもしれません。


*偉大なブラームス!!

ブラームスはこのハンガリー舞曲の成功を受け、ドボルザークにスラブ舞曲を勧めています(ちなみに、この5番ではなく、1集1番はエジソンのすすめで、ブラームス自身の演奏で初のレコーディングをされています。初の録音です)。

そしてピアノの詩人ショパン。
ショパンといえばノクターン、ノクターンといえば浅田真央さんでしょう。いやノクターンと言えばフジコ・ヘミングだと言う人もいるかもしれませんが。
「子犬のワルツ」も有名です。愛するジョルジュ・サンドの飼っていた犬が、かわいらしく自分の尾をおいかける様を描いているそうです(ウロボロスですね)。そして「別れの曲」


*ショパンは、シューマンに見出され、多くの女性に愛されましたが、最愛のジョルジュ・サンドとは復縁できず(TOT)37歳で別れ、39歳で死にます。


ピアノの魔術師(ヴィルトゥオーゾ)と言えばリスト。
自分の超絶技巧をひけらかすために次々と曲を書きました。たとえば第九!!
ちなみにリストはベートベンの孫弟子にあたり、幼いころベートベンにキスしたそうです!
ベートベン自体は若いころかなりプレイボーイで、リストはその点もきちんと受け継いでいるそうです。そしてプレイボーイと言えば、そしてヴィルトゥオーゾと言えば、パガニーニです。
パガニーニにあこがれて、ヴァイオリンではなくピアノのパガニーニになろうとしたのが、リストです(ちなみに、僕の中学の音楽の先生のあだなはリストでした)。



パガニーニは最近映画化されました!

*まさに「ショパン、リスト、シューベルトが心酔した天才」です!!このころの超絶技巧がいまの最低水準になっているというのが、現代の凄さです。


*この風貌で2mと近いというのが凄いです。僕は友人のひとりがパガニーニに似ていますw

リストの代名詞でもあるラ・カンパネラはもともとはパガニーニ作です。その変奏曲です(演奏は辻井伸行さん。一応、フジコ・ヘミングさんも。


以上で前編ですね!

耳馴染みのある曲ばかりですので、セミナー前にちょっとだけ聞いておいてくさい!!

後編はまた明日以降にでも(^^)