*** またたび通信 VOL.157 ***
結婚の順番
地方地方で随分と慣習は違ったようだが、
江戸時代の武士や庄屋クラスの結婚となると、
十代半ばで、ほとんど親が決めた相手に式の当日初めて出会い、
二人で並んで座って祝い酒を受けるぐらいで
手をにぎるどころか二人きりで自己紹介しあうのは、三日三晩続いた宴会が引け、
やっとすべての酒臭い親戚連中が帰ったあと、ということもあったようだ。
なにしろ、初めて口を利くのだから、
嫁が
「ふつつかものではございますが・・・」
と何度も練習してきた台詞を唱え、
婿は
「うむ、まあ、仲良くやっていこう」
などと腕組みで澄ましていいながら、これからどうやって初床に持ち込もうか、などと考えていたことであろう。
明治大正昭和と時代が下るにつれ、
「最近の若いものはまったく・・・」
といわれながらも、そんなしきたりもゆっくりと簡略化されてきたものの、
昭和の中期では、
結納(婚約)→挙式→披露宴→婚姻届(入籍)→新婚旅行→同居→出産というのが、普通の流れだった
・・・ようだ。
まだ、結婚式が、家と家との儀式という意識がうっすらあった頃の話である。
この「家」に認められなければ、かけおちとなった。
この時は、高砂の新郎新婦の両脇にはまだ仲人夫婦が座って、
式の初めに、長々と二人の生い立ちを紹介していた。
徐々に、この「家」の意識が薄れてきて、
まず仲人がいなくなる。
以前は、半分近くを占めていた親戚の参列者も徐々に減り、
両家一テーブルぐらいに収まっていく。
花嫁にとって、豪華な着物や角隠しよりも、
ウェディングドレスと教会式があこがれになり、
花嫁は式の大半をお色直しで席を外すようになる。
また、昭和末期ぐらいから、結納というのをしなくなっていった。
この頃から、披露宴の招待状の差出人が両家の親から本人たちへ変わっていく。
宗教色を除いた人前結婚式も珍しくなくなり、
式場もホテル、結婚式場、レストランと多様性を帯びてくる。
平成に入ると
新婚旅行で海外へ行くのが増えると、パスポートの姓を一緒にするために
入籍を式より1~2週間前に行うのが珍しくなくなり、
さらに、いつのまにか結婚式で二人が泊まりで旅行に行ったスライドを写すのが普通になり、
しばらく同居してから結婚するケースも増え、
できちゃった婚が恥ずかしいことではなくなる。
今では、入籍しても同居しなかったり、
結婚しても元の姓のままでいたり、
同居して子供もいるけど入籍はしていないなど、
「結婚式」と「入籍」と「新婚旅行」と「同居」と「出産」は前後左右東西南北自由自在になってきているようだ。
きちんと節目をつけないから離婚が増えるんだ、という人もいるけど、
まあ、いいんじゃない、本人たちが幸せで、誰にも迷惑もかけていないなら。
・・・親は心配するだろうけど・・・。
・・・さて・・・
これが自分の娘の番になったときに、
どのくらいの「自由度」まで、僕の寛容性が耐え切れるのか。
最近は、人の結婚式に出ると、そんなことばかり考えて、どうも落ち着かない。