Vol.232 バンクーバーのバスに乗って

 

先日、出張でカナダのバンクーバーに行った。

 

バンクーバーは二十年ぶりだったが、落ちついた街の雰囲気は当時と変わらず、こういう変化の少ない街があるのはいいな、と思った。上海を筆頭にアジアの都市に激変ぶりと比べるべくもない。東京だって二十年前から都心の風景はかなり変化している。

 

初めての商談先で、メールのやりとりの後、先方の所在地をグーグルで調べておいて、大体の場所と住所を控えて乗り込んだ。当日、朝早く目覚め、約束の時間までだいぶあったので、最寄りの駅まで電車で行くこととした。

マップで見る限り終点の大きな駅だし、そこからタクシーに乗れば10分ぐらいの距離であろう。万が一、タクシーがつかまなければ、駅から先方に電話すれば、遠路日本から来たのだから、近くまでは車で迎えに来てくれるだろう。

旅先での公共交通機関は楽しい。

路線探しや切符の買い方、どの電車に乗るか、どこで降りるかなど、どきどきすることも多いけど、街の雰囲気や飛び交う異国の言葉に囲まれると、確かに旅をした気がする。時間にゆとりの無い出張では、空港、ホテル、仕事場所をタクシーなどの車で移動して、異国を感じるのはレストランだけということもあるが、時間のあるときはなるべく地元の電車、地下鉄、バスに挑戦するようにしてささやかな冒険を楽しむことにしている。

出張だって旅だ。

街を知ることで感性を磨き、人間の幅を広げたいと思う。

 

さて、終点駅で降りて、郊外の街並みを楽しみながら(駅前で大きな工事をしていて煤煙がすごかったけど)散策しつつ、タクシー乗り場を探す。・・・けれど、どうも見つからない。駅の係員にタクシーの捕まえ方を聞くと、

「カナダのタクシーは走っている空車を見つけて手をあげると止まるよ」

と親切に教えてくれた。

でも空車どころかタクシー自体がほとんど走っていない。

 

途中、トイレに行きたくなって、ショッピングセンターに入って用を足したりしていると約束の30分前になってしまった。観念して、先方に電話を入れるとアポイント相手は席を外していると取次の女性はいう。今、○○駅にいるのだが、というと、

「ああ、それなら駅前から52番のバスに乗って、△△というバス亭で降りたら、目の前です」

という。

日本から来たので、バスの乗り方がわからないのですが・・・、

「大丈夫、すぐわかるよ、you cant miss

とおっしゃる。

仕方ないので、それでは少し遅れるかもしれないと伝えてくれ、というと、

OK!」

と明るくいわれた。

 

さて、それではバスの旅も楽しむかと、言われた場所にバス停を探すと、

―工事中につき、バス停は以下の場所に仮設していますー

と地図が貼ってある。・・・地図があるだけ親切だ。

 

仮設バス停を見つけ、待つこと10分で大きく立派なバスがやってきた。

前から乗車して運転手のおじさんに、△△に行きますか、と尋ねると、

満面の笑みで親指を突出し

Sure!

といってくれた。

うむ、幸先は悪くない。

 

15人ほどが乗り込んだ。僕は後ろから3列目の席に座り、バスの中と街の景色を楽しみながら、降りる場所を間違えてはいかんと車内アナウンスに耳をすませる。駅ターミナルからものの数分も経たないうちに質素で、こぎれいな木造の二階建て一軒家が並ぶ静かな住宅街に入っていった。

 

バンクーバー郊外の住宅街。おそらくもう乗る機会はないだろう。などと旅気分に酔いしれる。

 

しばらくして気づいたのは、乗客がバス中の降車口から降りるときに、皆

Thank you

と、きちんと運転手のいる前へ向いて大きな声をかけ、その度、運転手も

Thank you

と返すことだった。

なんだか気持ちがいい。

最初は、無料パスの人かな、と思って、しばらく見ていたが、乗ってくる人は皆きちんと代金を払っている。

そういえば、売店やレストランでも、客の方も、

Thank you

とよくいうようだ。ここでは、お客さまは神様ではなくて、売る方も買う方もお互い「ありがとう」の気分があるようだ。いいことではないかと思う。

 

結局、降車のバス亭に柁どり着くまで20分ほどかかり、約束の時間には遅刻してしまったが、おかげで貴重な体験ができた。こういう風景はきっと一生忘れない。

今、帰国してバスから降りるときに、運転手さんに向かって

「ありがとうございました」

を言うのに挑戦している。

思ったより簡単ではなかったが、いつか自然にできるようになりたいものだ。

 

 

 

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Vol.231 ディズニー成功哲学


突然ですが、ディズニー映画で一番記憶に残っているのは何ですか?

僕は、何を隠そう「ふしぎの国のアリス」である。
ところがふしぎなのは、いつ見たのか覚えていないのだ。
この作品の日本での放映は1953年で、生まれる前だから公開時はあり得ない。子供のころは、レンタルビデオも無かったので、家で見たということもない(そもそも家にビデオデッキもなかったし・・・)

しかし、子供が幼稚園に入って、徐々にアンパンマンからディズニーに移行していくなか、一緒に見たアリスを、たしかに懐かしく思ったのだ。

昔は、映画館でリバイバル専門の映画館がたくさんあったので、その可能性もあるが、そうだとすると高校生か大学生のころで、当時の趣味、世の中への反抗的な姿勢からか考えると、ディズニーを見に行ったとは思えない。

だとすると、考えられるのは、二つ。
まずは、夏休みなどで時々開催されていた映画会(講堂や公民館で上映)で見たか。
あるいは、子供のころに買ってもらっていたディズニー絵本(映画の画像で作った絵本・講談社のヒット作)を何度も見ていたので、その記憶とかぶったのか。
どちらが正解はわからないし、大事でもない。
とにかく、変てこなお茶会や、不条理な牡蠣の赤ちゃんたち、恐ろしいトランプの兵隊など、絵本のページとページの間に空想したものが、自分の記憶に奥底にずっしり沈んでいたのだ。

今でもそうかもしれないが、当時は娯楽が少なかった分、ディズニー映画から受けた影響は、もっと大きかったに違いない。

最近の映画は、悪役にも悪役の立場や事情や都合があったことを描いていて、ハッピーエンドながらでも、切ない気持ちにさせるものが多いが、60年代ぐらいまでは、悪い奴は、とにかく悪かった。

例えば、白雪姫。
お妃さまは、白雪姫の美しさに嫉妬し、変装してまで姫を殺そうとする。
悪い奴だ。
シンデレラ。
母と二人の姉は、これもおそらく嫉妬からか、とにかくシンデレラをいじめ続ける。
醜いことである。

しかし、姫たちは、この不遇を耐え、苦境を乗り越えていくのである。
そして、ここには、今、ごまんと売られているサクセスノウハウ本の原点が綴られているのである。

まず、姫たちは、つらいなかでも夢を追い続け、志を抱き、あきらめない。
(いつか、王子様が・・・)
つぎに相手を、恨み、妬み、やっかんだりしない(ときどき泣くだけ)。
掃除を一生懸命する(白雪姫もシンデレラも掃除ばかり)。
そして、それを歌を歌いながら、いつも楽しそうにする。
笑顔を絶やさない。
素直(人を疑わず毒リンゴでも食べちゃう)。
ほかの人に親切(それが小人だったり、ネズミだったりしても)。

ほら、成功哲学のセオリーがすべて網羅されているのである。
当時、これらの映画を素直に受け止めた人は大いに幸せな人生をおくったに違いない。

さて、そうなると、「ふしぎの国のアリス」に影響を受けた僕が得た教訓は、
・世の中には、変わったやつがたくさんいる。
・理屈では説明できないことがたくさんある。
などで、だから人と違ったことの好きな、変わりもの、変人になったのかもしれない。
これはこれで成功といえるかもしれない。


おまけ

「アリス イン ワンダーランド」も面白かったです。特に変人は必見!


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VOL.230 羽田空港のかも南蛮


現在の、羽田空港の主要な部分は、戦前の黒田侯爵家の鴨場だったと知ってから、なぜだが、羽田で時間があると、「かも南蛮」が食べたくなるようになり、その日もかも南蛮を注文してから、妄想をしていた。

「かも南蛮」の「南蛮」がねぎのことだということは知っていた。

しかし、ある日、ある雑学大好きおじさんに
「どうしてねぎを南蛮というのか知ってるか?」
と聞かれて、
「・・・まさか南蛮、つまりスペインやポルトガルあたりから渡ってきたとか?」
と答えると
「正解!江戸時代に出島に住んでいた南蛮人がねぎを栽培していたところから伝わってきたのだよ」
と驚く回答。

むむ、すると、この時代より前の日本の鍋には、ねぎは入っていなかったのか。
あのまさしく
「日本の味」
「日本に生まれてよかった!」
というねぎの風味は、たかだが3~4世紀前まで日本になかったのか。
そんな馬鹿な!
と、あまりのショックに、その時の様子をもっと知りたい、と思ったのがよかったのだ。

実は、ねぎを南蛮と呼ぶ由来には二説あって、
ひとつは江戸時代、南蛮人がねぎを好んで食べたから、というもの。
もうひとつは、昔、大阪の難波がねぎの産地だったのが、ナンバ→ナンバンとなまって、更に当て字を加えた、というもので雑学おじさんの知識は雑だったようだ。

ちなみに食物の研究者によると、ねぎは5世紀に日本に入ってきたらしい。
よかった。
少なくとも古墳時代の人あたりからは鍋にねぎが入っていたのだ。
ねぎはうまいもんな。

いや、とすると・・・。
はくさいはどうなのだ、春菊も鍋にはほしいぞ、そしてしいたけはどうなのか!
肉は明治以降、コメは縄文末期に来たのは知っているが、大根おろしはいつから日本の 食卓にあがっているのか!

調べてみると、春菊もしいたけも大根おろしも室町時代から食べ始めていたらしい(大根は古墳時代に既に入っていた)。しかし、あの鍋の名わき役ともいうべきはくさいは、なんと江戸末期~明治に入ってきたというのだ。
遅い、遅いではないか。

縄文人の鍋には、どんぐりと瓜とれんこんしか食べていなかったのは仕方ないにしろ、
すると源頼朝の鍋にはねぎと大根しか入っておらず、織田信長の鍋には、白菜は入っていなかったというのか!
ううむ、なんとも気の毒だ。
よく考えると家康にしてもキャベツもたまねぎもにんじんも、そして白菜の漬物も食べたことがなかったのだ。
「竜馬がゆく」に、竜馬が桂小五郎ととりなべを食べるシーンがあるが、その竜馬もトマトもおくらも食べたことはなかったのだ。

それに比べて、私たちの食卓のなんと恵まれていることよ。
見よ、今や、南蛮人まで日本食を喜んで食べておる。
それにしてもかも南蛮のおいしいこと。
ああ、ありがたや、ありがたや。

今度から「日本に生まれてよかった!」だけでなく
「現代の日本に生まれてよかった」と感謝することとしよう。

出張先の羽田空港で、一人で「かも南蛮そば」をすすりながら、そう思ったことだった。


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VOL.228 京都水族館

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VOL.228 京都水族館

突然だが、京都水族館に行ってきた。

京都は海が無さそうで、ずっと北、鉄道でいえば山陰本線で、車なら京都縦貫自動車道を丹波の深い森山を突き進めば日本海に出るが、この水族館は、どっこい京都盆地のどまんなか、京都駅から早歩きで10分程度のところに堂々と構えているのである。当然、海から海水を引いてくることはできないので、日本初の完全人口海水(塩水?)。

京都に水族館と聞いて、正直なところ、日本には既にこれだけ素敵な水族館があるのに、そんな無理して水族館つくらなくてもいいんじゃない?そんなことしたらお金もかかるし・・・。入館料いくらなの?2050円!・・・ううむ、大阪の海遊館より安いな。映画代と同じぐらい、USJやディズニーランドなどと比べれば安いが、コスパの点でどうだろうか。確かに京都の子供たちは、わざわざ大阪までいかないと珍しい魚が見られないから、教育的観点からはいいのかもしれないが・・・。と思っていたのだ。

そもそも水族館は、水の衛生や温度管理、えさ代、イルカショーなどのトレーニング費用など考えると膨大な費用がかかるもの。土日祝は子供人気で入場者数も多かろうが平日はどこもシンとして、寒々しいのが常ではなかろうか。果たして続けていけるのか。
とも、思っていたのである。

どうせ、最近の水族館だから目玉は大水槽にいろんな魚がぐるぐる回っていて、あとは派手な魚、地味な魚、変わった魚が中小の水族館でそれぞれの人生をおくっているのだろう。あとは前から3列目までは濡れますからご注意ください、のおなじみイルカショー。たしかに面白いけど、それでも京都につくる必要あるのか!とやや斜めに構えていたのである。

そんな斜めのまんまで入場して、しばらくは、「どれどれ、どんなもんかね」風に、上から目線で見ていたが、入り口近くの京都名物オオサンショウオでもう度肝を脱いだ。たくさんのオオサンショウウオが重なってもぞもぞ動いているのである。気持ち悪いけど、すごい。一匹だけ離れているヤツも小さい目ながら半端ない化け物ぶりを発揮していた。なるほど京都にはこいつがいたのだ。

かいじゅうゾーンに行くと、なんとあざらしがガチでケンカをして互いの首を噛み合っているのに驚いた。もしかしたら求愛行動なのかな、などとも思ったが、なにせちょっと見たことのない迫力で、思わずしばらく見いってしまったのである。そしてその水槽の横のカフェでは、すいぞくパンというセンスのいい菓子パンが売っているのだ。チョコパンのオオサンショウウオはここでは結構かわいいので思わず買ってしまう。
大水槽は、予想通り、たくさんの種類のたくさんの魚がぐるぐるだったのだが、新鮮だったのが、周りの声。
「ほら、ぎょうさん、いてはるわ」
「ほら、あこ!」「えっ?みつからへん」
と、京都弁のBGMが入ると、なんだか魚の動きも違ってみえる。

そしてクラゲコーナー。クラゲといえば、20年ほど前に山形県鶴岡の加茂水族館に家族で行って、子供おいてけぼりでのめりこんだことがある。あの心臓の鼓動のようなクラゲの動きが、人に癒し効果を与えるともいわれているが、今回もなんだか水槽に張り付いてしまった。くらげは美しく、海はすごくて、生命は不思議だ。

そしてイルカショーもこちらの思惑を見透かしたように、いろいろ飽きない工夫をして楽しかった。イルカの一頭がまったくいうことを聞きないのと、ペンギンもきまぐれでショーの途中で帰ってしまうところも、訓練不足といえばそうかもしれないけど、なんだか妙に京都らしくてよかったのである。

そういうわけで京都水族館をすっかり堪能して後にしたのだった。

おまけ:
すいぞくパン、水族館前の公園で食べたけどおいしかったです、オオサンショウオ。そういえば、魯山人のエッセイで山椒魚は美味みたいなこと書いてあった気がする。さすが京都人や。

VOL.227 グラウンドゴルフ

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VOL.227 グラウンドゴルフ

ついにその時がやってきた。
グラウンドゴルフのお誘いを受け、来月デビューすることになったのだ。

ことのなりゆきはこうである。

僕は日ごろ、今の日本人には「公共心」というものが不足しているのではないか、
自分の欲が前面に出て「損する」「得する」の判断ばかり、
ヨーロッパでいうところのノブレス・オブリージュ、社会的に恵まれている人こそ、社会にたくさん貢献する、という考え方、行動を起こすべきではなかろうか、
と思っていながら、赤十字やユニセフ、プランなどの慈善団体に、ちょこちょこっと申し訳程度の寄付しかしていないことに、後ろめたさを感じていた。

ある日、同じマンションに住む白髪のおじいさんが訪ねてきて、
「今年一年間、XXX号室のあなたに町内会役員の順番がまわってきます。わからないことがあったら何でも聞いてください。まずは再来週の日曜日、町内の早朝清掃に参加ください」
といわれたのだった。
町内清掃。
まさしく一市民として地域社会へ貢献する公共の義務。
待てば海路の日和あり。
「はい、よろしくお願いします」
日曜の早起きぐらい何だ!
と、張り切って清掃に参加したのが今朝のことである。

七時すぎに公園に行くと、既に多くの方が帽子をかぶり軍手をして、公園の落ち葉を広い、資源ごみをまとめていた。
「おはようございます」
とあいさつをすると、皆、作業をする手を止め、一斉に顔をあげた。

もしかしたら、そうではないかとは思ってはいたが、手伝いに来ていた小学生二人を除くと、大人の中では明らかに自分が最年少であろう。ざっと平均年齢75歳とみた。皆、笑顔でもなく一瞬、品定めをするかのように僕を見ると、次の瞬間には、自分の作業に戻っていく。
町内会の案内をしてくれたおじいさんをみつけたので声をかけると、
「おはようございます」と笑顔で迎えてくれると思ってきや、表情一つ変えずに、周りの人に一人ずつ「うちのマンションの・・・」と紹介してくれる。
一通り紹介が終わると、落ち葉を大きなビニール袋に入れる仕事を仰せつかった。この仕事は、落ち葉を袋のなかに押し込んだあと、公園横に停めてある軽トラックに積むのに多少力がいる。50代の若者向きである。
「若い人がいると助かりますよ」
と腰の曲がったおばあさんに声をかけられると、なんだかテレビのドキュメンタリーでよく見る過疎の村に来たような気にすらなる。

資源ごみの回収車が来ると、皆で一斉に資源ごみ置き場の古新聞、雑誌、段ボール、缶、空き瓶をリレーで運んで荷台に積んでいく。ここでは、荷台にあげるのが重労働で若手の出番である。作業をしながら改めて見渡すと、僕がいなかったら誰がやるんだろうというぐらい、皆しっかり皺が深い。

ことが起きたのは、資源ごみが片付き、公園の落ち葉も片付き、花壇の雑草も取り除かれて、皆、達成感に晴れやかな顔になったころだった。最後の落ち葉袋をトラックに積んで振り返ると、おじいさんがいきなり、
「来月の8日、グラウンドゴルフしませんか」
というと、なんだか試すような表情で僕の顔を覗き込んだ。
気がつくと、その後ろには三人のおばあさんと二人のおじいさんが
「さあ、どうだ、こいつは」
というような顔で、僕の出方を待っている。

このとき、僕の頭によぎったのは、二つのことである。
グラウンドゴルフというのは、ゲートボールが老人のわがままで廃れて以来、とって変わったシニアスポーツで、興味があったのだ。この体験はエッセイのネタとしていいではないか、ということと、
もうひとつは、そうか、これがノブレス・オブレージュ、孤独な老人たちとの交流が、まさに社会への貢献!という、おごり高ぶった、傲慢な思いである。
「はあ、それでは、よろしくお願いします」
というと小さなどよめきが起きた。

はたして、これは
「ダメもとでも聞いてみるもんだ」
なのか。
それとも、
「いやだ。この若い人、ほんとに来るって・・・」
なのだろうか。

お手伝いの報酬としてトイレットペーパー2ロールをもらっての帰り道、30代前半だろうか、若い夫婦がジョギングをしているのにすれ違いながら、こう思う。
グラウンド・ゴルフ・・・これでよかったのだろうか。 つづく