火遊びのススメ
子ども向けの体験活動していて、ときたま仰天することがある。
子どもたちが信じられないようなことをするときがあるからだ。
22日、ネイチャーキッズ寺子屋のプログラム「いすづくり体験」が益田市の益田高等技術校で行われたのであるが、当日の昼食用のご飯は子どもたちが羽釜で炊いたのだった。
参加者の中には、小さい子ども連れも多く、付き添われて会場に来ていた小さな子どもたちには、退屈したら羽釜のそばで火遊びをしてもよい、ということにしていた。
もちろん火のそばにはスタッフが常駐している。
スタッフが火遊びにつきそうのだ。
私がたまたま火の番をしていたとき、羽釜が炊き上がり、「蒸らし」に入るためにカマドの中の火をすべて外に掻き出した。
すると数人の子どもたちがその火種をつついたりして、遊びはじめた。
私が仰天したのはその直後だった。
裸足にサンダル履きの子どもがいて、なんとそのサンダル履きのまま、燃えている火のついた木切れをサッカーみたいに蹴りはじめたのだ。
むき出しの足先で、赤く燃え盛っている木切れめがけて蹴ろうとしたのだ。
「アホかお前!」
「なんで、いけんのん?」
「お前足燃えてえーんか」
「・・・・・・・・・・」
木切れが熱いというのがわからないのだ。
燃えた木切れが裸足の足に接触したら、ヤケドするということがわからないのだ。
ワタシ、しばらく言葉が出ませんでした。
子どもたちはときたまとんでもない、想像もつかないことをしでかす。
でもそれを諭し、学ぶ機会があってこそ自分の過ちを修正していくことが可能なのだ。
火遊びをせず、火が危ないということがどれだけわかるだろうか?
でも、今回の子どものケースは火に関する情報が圧倒的に欠如している。
まさか、こんなこともわからないのかと当惑するばかりだ。
以前、島根県芸術文化センター「グラントワ」の手すりのない屋上を見学したときも、落ちたらどうなるのか、というような理解を全くすることもなく、無防備に屋上の縁まで歩いていく子どもがいて仰天した。
また以前、包丁を使い調理体験したとき、手を切ればどうなるのか?ということを理解することもなく、無頓着に包丁を動かす子どもを見て仰天した。
こんなことも知らないのかと・・・
私自身、いろいろな体験を、子ども時代に豊富にしてきたかといえば、必ずしもそうでもない。
体験活動の際には、年輩の方々に教えを請うこともしばしばだ。
でも、今の子どもたちは、我々の世代より、圧倒的に、我々の想像を絶するほど、雑多な経験が不足している。
マッチ一本つけられない子どもたちが驚くほどいるのだ。
ネイチャーキッズ寺子屋の体験活動ぐらいでは、焼け石に水のような状況であるかもしれないと思う。
でも「危険」をただ隔離回避するのではなく、「危険」を知るという機会がなければ、いくら口で言ってみても、子どもたちにとってはバーチャルな世界と同じことなのだと思う。
子どもたちのリアルな体験が圧倒的に不足しているのだけれども、時間はかかっても体験そのものの機会を創出していくほか、道はないのだと思う。
それが結果的に、不可測の事態を防ぐことに繋がるのだと思う。
リアルな火遊びも、そうでない火遊びも・・・
しっかり遊んでおかないから、大人になって遊びたくなるんじゃ・・・
(TOFU-MAN)