もし感謝を忘れれば… | 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める

感謝 

 

 11月6日、体調が少し良いので、書斎の整理をしていたら、メモ用紙が見つかった。そのメモ用紙には以下の言葉が書き記してあった。

 

「自分を信じ、感謝を忘れないこと」
「絶えず感謝を忘れなければ、八方拡がる」
「もし感謝を忘れれば、八方塞がる」
2001年12月29日に記す。

 

 この年、若手起業家の集まりで、同郷の先輩との出会いがあった。先輩といっても初対面である。私は、その人が何をしているのか聞くのを忘れた。
 

 異業種交流の場なのに、職種を聞くのを忘れるとは、いつものことながら、ボケボケしている。実は人付き合いが苦手だ。にもかかわらず、これまで実に多くの人と出会いがあった。そして、多くの人に可愛がられた。実にありがたい。この時は、極真会が分裂後、独立独歩の道を選択し、これからは色々と学び、そして仲間を増やさなければと懸命だった時期である。

 

 その人は金沢の出身で私より3〜4歳年上だったように記憶する。正直、怪しい感じだった。しかし嫌な感じの人ではなかった。私はすぐにアンテナが立つ(そのわりには、時々変な人が寄ってくる…特に若い時はそうだった、私のプライベートを知っている人には、お前のどこにどこにアンテナがあるのだと突っ込まれるに違いない)。言い換えれば、気難しく、人付き合いが下手だということだ。連絡先ぐらい聞いておけばよかった。

 

 実際、変な人だった。初対面の私に前述の言葉を残し、その会合を一瞬で後にしていた。その後、その人とは二度と会うことはなかった。

 

 狐につままれたような感じだった。同郷のよしみか、その人は私にだけ、そんな言葉を残し、去っていった。

 

 私は、その通りだと思い、その言葉を忘れないようにと書き記したのだった。しかし、ここ数年、その言葉を忘れていたように思う。これまで感謝は当然の事だと認識している。しかし感謝とは心身の深奥から湧き上がってくる感覚ではないかと思う。最近、湧き上がってくるような感謝の感覚がなかったかもしれない。

 

 いつの日か修業の旅に出てみたい。そんな夢がある。そして再び、心身の奥底から感謝の感覚が湧いてくることを願っている。