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2016年07月24日

故郷

テーマ:コラム
時々、発作のように故郷に帰りたくなる。

そこには、僕を支えた母はもういない。

僕を溺愛した祖母もいない。


だが、50年近くの歳月が一瞬に思えるほど、そこは変わっていない。

僕が幼い頃、そこには人が大勢いた。今はもう、その様子はない。


でも、そこに帰ると、その時のことを、この間の事のように思い出す。

同時に、東京にいる自分の家族が愛おしく思えてくる。

思い起こせば、僕の父は、幼い僕を車に乗せ、よく自分の実家へ連れていった。

僕は幼い頃、父の実家が大好きだった。僕は、もう一人の祖母にも可愛がられた。そして、いとこのお姉さんが大好きだった。


そんな僕も父親となり、わが息子を車の助手席に乗せるようになった。そんな時、昔の父の姿と幼かった自分を思い出す。

口うるさかったようにも思うが、優しい父だったと記憶している(記憶は良い思い出だけが残っているようだ。断っておくが父はまだ死んではいない)。

北陸新幹線が開通し、電車に乗れば、これまでの半分ほどの時間で帰れるようになった。

だが田舎で暮らす僕は、いつも車で帰省する。

もし、制限速度を守らなければ、5時間ほどで帰れるが、制限速度を守れば7時間はかかる。

もう僕も若くない。制限速度を守り、ゆっくりと帰る事にしている。

しかし、7時間の旅はきつい。それでも故郷へ帰りたくなるのは、父に会いたいからである。

幼い頃の僕は、いつも空手の練習に明け暮れていた。高校生の頃は、甲子園を目指す高校球児にも負けないぐらい、空手の為の訓練をしていたことを誰も知らないだろう。ゆえに、普通の若者らしい思い出はあまりない。本当にアウトサイダーだった僕は、自分の誇りの全てを空手に賭けたのだ。

若い頃の一時期、僕は家族に迷惑をかけた事がある。ゆえに、僕の残りの人生は、迷惑をかけた家族に対する贖罪だと思っている(大したことはできないが)。また、変わり者の僕と仲良くしてくれた友達の一人ひとりにありがとうと言いたい。

「まだ、人生が終わったわけじゃないのに」と人は笑うだろうが、日に日に故郷に対する感謝の念と懐かしさが強くなる。


さて話は変わるが、リオのオリンピックがこれから始まる。

諸問題があるようだが、僕は若い日本選手の活躍を期待している。

体操、陸上、柔道、レスリング、卓球、サッカー、フェンシング、バレーボール、ラグビー、水泳、重量挙げ、などなど。

全員が無事に力を発揮できることを祈っている。

僕には、リオのオリンピック、もう一つ注視したいことがある。それは、ブラジル日系移民の方々の日本人選手への感想である。

僕は、京セラの稲盛和夫名誉会長の主宰する塾の勉強会でブラジルを訪れたことがある。その時に、多くのブラジルの移民の方々の苦労とその偉大な業績を知った。

幼い頃、ブラジルは日系人が一番多い国と聞いたことはあったが、日系人について考えたことなど、それまでなかった。しかし、実際に日本からブラジルへ行き、日系移民の口から話を聞くと、認識は全く異なるものとなった。

日本から遠く離れたブラジルでの今回のオリンピック、関係者も大変だと想像する(人間の疲労度は移動距離に比例するときいた事がある?)。だからこそ、今回のオリンピックで、選手の頑張りのみならず、祖国からはるか遠く離れたブラジルで頑張った、日系移民の方々の気持ちを慮るのも良いのではないかと思う。

僕は移民の方々に対して、アウトサイダーとしてではなく、同胞として尊敬の念を持っている。

また、日本に住む我々には、「すぐにでも帰りたい」と、移民の方々が思うような日本・故郷を創っていくという自覚が必要だと思っている(もう移民1世の方々は存命ではないかな…?でも2世、3世の方に対しても同じだ)。






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2016年07月18日

感謝〜 フリースタイル空手研究会の有志へ

テーマ:FKプロジェクト
7月10日の増田道場の試合イベント(交流試合)の時、FK研究会の有志がフリースタイル空手の演武をしてくれた。

先ずもって、荻野聡氏を始め、宮村氏、坡場氏、スネイド氏、吉田健二氏、吉田晴夫氏、秋元氏、弥永氏に感謝したい。デモンストレーションをありがとう。

フリースタイル空手とは、私が考案した、打つ、蹴る、投げる等の技を駆使して戦う、新しい武道スポーツの名称である。

10年ぐらい前から構想し、4年ほど前にはトーナメントを開催した。
ここ2年は、スポンサーが降りたのと私の体の具合が悪く、指導が思うようにできないことで、休止状態であった。

それでも、今年はフランスで初のフリースタイル空手のトーナメントが開催された。また、私の道場生の有志たちが、フリースタイル空手の練習を続けていてくれた。今回は、その有志たちが私に代わって、フリースタイル空手のルールや技を、交流試合に参加した子供たちや保護者に披露してくれたのだ。みんな私が演武についてどう評価しているか、気になっていると聞いた。今私は、お礼の気持ちでこのブログを書いている。失礼だが、有志一同は若くない。また仕事もあり、演武の準備は大変だったろう。

改めて私は、彼らの気持ちに応えるために、理想の空手道を追い求めて、老骨に鞭打たねば、と思っている。構想はある。後もう少しで、自身の身体のリハビリと仕組み作りの第1段階が終わる。第1段階というのは、ようやく動ける段階である。さらに第2、第3の段階が、理想の実現には必要だろう。今回、私は有志に元気をもらった気がする。そして復活を急がなければと、思っている。日曜日は風邪気味で調子が悪かったが、有志の映像も作ってみた。後で見て欲しい。

話は変わるが、私の空手家としての座右の銘の一つに、「先達の真似をするな。先達の追い求めたものを求めよ」というものがある。私は先達の追い求めたものを真剣に追い求めているつもりだ。それが何であるかは、今回は多くを語らない。端的に言えば、空手家の技術のみならず哲学を高めることと言っても良いだろう。もしかすると、我が師は、「もっと空手を世界に広めよ」というかもしれない。もしそうならば、私は弟子として失格かもしれない。しかし、私は空手を世に広める前に、もっと深く空手を考え、その可能性を開拓したいと考えている。そして、その技術と哲学が本物ならば、普及は後から続くと考えている。


おそらく、多くの空手家が私を笑うだろう。なぜなら、まだ理想が形になっていないからだ。しかし、諦めるわけにはいかない。何をおいても、技術と哲学の完成だ(もちろん完成までは相当な時間が必要だが、まずは土台をと思っている)。断っておくが、フリースタイル空手という、新しい武道スポーツを広めることが、私のゴールではない。より高いレベルの武道哲学を完成させることがゴールだ。その部分が、今回の有志にはわかっていないかもしれない。有志には申し訳ないが、新しい競技(スポーツ)を作ることが私のゴールではないと繰り返し言っておく。あえていうならば、新しい武道を作るといったほうが良いかもしれない。私が新しい武道スポーツと目標を掲げたのは、まだ空手がオリンピック種目になっていなかったからだ。空手がオリンピックになったなら、新しい武道スポーツの創出は、私の目標の優先順位においては下位だ

ゆえに、これからはフリースタイル空手の方向性も修正が必要だと思っている。また、今回の演武で披露してくれた技も、100分の1程度のレベルにしか達していない。間合い、リズム、呼吸、虚実、投打(剛柔)一体、自他一体の意識が低すぎる。

現在、それを伝える稽古法を、私は考案中だ。実は大体の構想は出来ている。後はやりながら微調整だ。まだ、みんなには伝えていない。それを伝えることを楽しみにしている。ただ、これはやはり、増田流であり、拓真道流だ。ゆえに、これまでの空手の概念を一旦、棚上げできる者だけに伝えたい。なぜなら、素直な心持ちでないと、新しい技術の体得に時間がかかることが予想されるからだ。できれば、内弟子をとって教えるのが良いのだが…。



※FK演武は以下から〜下手で簡易な編集で申し訳ないが、ご容赦を…


https://youtu.be/jRCHpiWUpBk



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2016年07月16日

赤ひげ〜都知事選を見て思う

テーマ:日誌
「この病気に限らず、あらゆる病気に対して治療法など無い。医術などといっても情けないものだ。医者にはその症状と経過は分かるし、生命力の強い固体には多少の助力をすることができる。だが、それだけのことだ。」
「現在我々にできることは貧困と無知に対する戦いだ。それによって、医術の不足を補うしかない。貧困と無知さえ何とかできれば病気の大半は起こらずに済むんだ。」
「病気の影には人間の恐ろしい不幸が隠れている。」(映画、赤ひげより)


私は黒沢映画の大ファンだ。前記したのは、映画「赤ひげ』で主人公の医者(赤ひげ)が語る台詞である。私が「赤ひげ」を初めて見たとき、このセリフに痺れた。また、心も病んでいると思われる「おとよ」という少女に薬を飲ませるシーン。三船敏郎演じる赤ひげが、おとよに薬を飲ませ、「いい子だ」と一言いうシーンにも、私は痺れた。また、この映画の殺陣(柔術による格闘シーン)が斬新である。
さらに言えば、この映画の原作となった山本周五郎の小説が私は好きだ。思い起こせば、私が20代後半の頃、100人組手という荒行で身体を壊し、半年程、闘病生活を余儀なくされた時のこと。その時、今だと言わんばかりに、歴史小説を読んだ。私は司馬遼太郎も好きだが、山本周五郎の方が肌にあった。特に「長い坂」は、リーダーに是非一読して欲しい作品だ。

そして私は今、赤ひげのシーンを思い出している。赤ひげは、医術の分と役割をわきまえ、かつ世の中の問題の本質を「貧困と無知」だと喝破した。

私は貧困と無知の問題を改善するために、教育者はもちろんのこと、マス・メディアに関わる人達と経済人人にもっと頑張って欲しいと思っている(人間性の悪い経済人ならお前が頑張れと言い返すであろうが…)。また私は、赤ひげがいう医術を政治に置き換えてみた。すると、様々な社会問題に対し、より善い対策を考え、助力する。それが政治家ではないかと思えてきた。もし、それが妥当ならば、政治家の理想は、医者同様、深い人間洞察と仁愛の感性があることだと思う。しかし、そんな政治家は少ない(赤ひげは、無知と貧困に対して政治は何もしていないと喝破していたが…)。

さて、私が今、なぜ赤ひげを思い出したか?それは、都知事選を見ていて、暗澹たる気持ちになったからだろう。要するに、今回の都知事選後も、都政が良くなる事はなく、また似たような事態にになるような気がしてならないのだ。今まさに選挙戦の最中の方々には申し訳ないとは思うが、そのように、私は感じている。

ここで断っておきたい。私が政治について語るのは止めようと言いながら、こうも政治に関して冗長になるのはなぜか?その理由は、私の空手家人生の中心となっているのが、制度改革(システム改革)に他ならないからだ。私は、若い頃の挫折と極真空手での苦難に懊悩(おうのう)する中、ある思いが芽生えている。それは、システムを考え、それを創り変えるという事だ。ここでいうシステムとは、構造、制度、仕組みと言い換えても良い。大きくみれば、国家、家族、会社、業界等もシステムだ。また小さくみれば、人間もシステムであろう。


ゆえに私の仕事は、大げさに聞こえるかもしれないが、死ぬまでに空手武道による人間教育システムを創り上げる事だと言ってもよい。分不相応な夢を持つのは私の性癖だ。正直言えば、実現できるかどうかはギリギリの状態だと思っている。しかし、這うような感じで勉強とその準備を進めている。これまで、みんなに助けられてきたが、少しの油断も出来ないというような状態だ。そんな生き方をしてきているからこそ、この世の中の問題の本質がよく見えるのだ(よく見えるなど不遜だが)。

話を都知事選に戻せば、おそらく有権者には3名程の人間しか目に入らないだろう。正直言えば、どの候補者も今ひとつだ。もちろん、3人の中でより良い人はいるかもしれない。しかし、誰がなっても、都知事選後の混乱と落胆が明らかだ。

先日、私の良き理解者である荻野氏と電話で話をしたら、「上杉隆氏」はどうかという。

「上杉隆??」「なんか暗い感じのジャーナリストでしょ」と私は軽く答えたが、調べてみると、これが中々良さそうな人物だ。公約も良い。これで私の中に、上杉隆の名前が、インプットされた。しかし、当選はしないだろう。メデイアも取り上げないし、知名度が低過ぎる。

そもそも私は、東京都のみならず、国政に関しても、より本質的な事は、制度改革が必要だと考えている。その本丸は、選挙制度である。大雑把に言えば、政治家を選ぶ制度のみならず、政治家になるための制度と政治家に仕事をさせる制度の見直しも必要だと思う。それなりの選挙制度は確立されているとの反論が出ると思うが、私の見方では不十分だ。今回の都知事選も、知事を選出する制度に問題があると思っている。その辺を、マス・メディアや有権者に考えてもらいたい。何か、良い方法があるはずだ。

そのように考えていたら、自民党の河野太郎氏がSNSで良い提案をされていた。私は河野氏の提案は良い考えだと思っている。すぐに実現すべき提案だ。

最後にマス・メディアに対して、大衆が無知だと、おごるなと云いたい。無知を啓蒙するのがマス・メディアの仕事ではないか。しかし、そもそもマス・メデァアに読み手を啓蒙するほどの見識があるのか。私は疑っている(一方、メディアの方からは、啓蒙などというような傲慢な気持ちはございません、と嫌味な返答があるかもしれない)。ゆえに情報の受け取りに際しては、充分に吟味した方が良いだろう。また本当の問題点は、修羅場を経験し、真に考え抜いた人間にしかわからない事なのかもしれない。そして民主主義では、本当(真の問題点)の解決策が選ばれるのではなく、合意できる程度の事が選ばれる。否、本当の事は、志を高くもち続け、変革を続けた中で、見えてくると事柄だと思う。ゆえに、教育の理想とは、志を高める事だと、教育者は考えてほしい。

蛇足ながら、私がドラッグストアで買い物をしていたときの事である。私はレジの順番待ちをしていた。そこへ30歳〜40歳代の女性が、順番を抜かし、レジに向かった。私の前の60歳前半ぐらいの紳士が、「並んでいますよ」と優しく伝えた。その女性は見るからに不機嫌そうな顔をして、「そんなの、解らないわよ」とぶつぶついいながら、後ろへ回った。私は、女性の態度を酷いと思った。また、その紳士に申し訳なく思った。なぜなら、馬鹿な女性の相手を自分は放棄したのではないかと思いが芽生えたからだ。本来なら、私にも、その役回りをする必要があったかもしれない。先日、社会的弱者を子供や女性等とレッテルを貼ったが、それでは、購読者や視聴者を増やしたいメディアと同じである。弱者や女性などと一言で括らず、包括的、全体的な視点で、社会システムを考える視点と感性が必要だと思う。

2016/7/17 一部修正(誤字、脱字等を修正)







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2016年07月14日

政治について〜追伸

テーマ:コラム
交流試合で教え子たちが頑張ったので、上機嫌になっていた。
それで、調子に乗って政治について書いてしまったようだ。空手家の私が政治などを語っても無駄なことだ。しかし、書いてしまったからには、締めくくりを書いておく。

本日、宇都宮氏が東京都知事選の出馬を取りやめた。
とても残念だ。というより、これで都知事選が人気投票になってしまうと予想されることへの失望である。

宇都宮氏は私の好みの先生だ。前回も地方自治(東京都政)に思いがあり、出馬されたのだと思う。
宇都宮氏なら、格差社会へのセイフティーネットの構築に尽力したに違いない。いうまでもなく、東京は、我が国における、経済、政治、文化、教育の発信基地である。今後、それが地方に分散していくほうが良いとしても、首都、東京にふさわしい制度の整備をしていくことが東京都には必要だ。もちろん、生活者にとっては、それよりも前に東京都に安心して住み続けられるかということが大事な点だろう。ただ私は、生活者の安心も必要だが、それなりの義務も果たさなければならないという考えが妥当だと思っている。ゆえに、ただ都民にメリットのある公約をするのではなく、東京都にふさわしい制度設計ができる人が良いと思う。つまり、生活者の安心と共に長期的な展望を有する制度設計ができるリーダーが政治家になるべきだと思っている。

だた、問題はそのリーダーを選ぶのは、目利きではない市民なのだ。私だけだろうか。青島知事以来、大きくみれば、同じことの繰り返しだと思うのは。
百歩譲って、完璧な政治家などいないとしたら、私だったら誠実な人を選びたい。または、信念のある人だ。ただ信念の人は難しい。なぜなら、我々の目には、その信念の本質を見抜くことができないからだ。

兎に角、各党の存続をかけた利害のために政治家を決めるのは良くない。また人気投票では駄目だ。あえて言っておきたい。なぜ、野党は宇都宮氏を支持できなかったか?下衆の勘ぐりだが、次の都議会議員選挙などを睨んでいるのではないか。宇都宮氏を撤退させたことで、野党は必勝を確信しているようだが、そんなに東京都民は馬鹿だろうか(馬鹿かもね。何回も同じことを繰り返すのだから…)。

一応、偉そうに予想などしたので、予想の訂正をしておく。私は無難に増田氏を推したいが、勝つのは小池氏だと思う。ただし、小池氏にとっては凄まじい選挙になるだろう。正直、日本新党、新進党、小泉政権と、私の好みではなかった。しかし、その党を渡り歩いた、小池氏を応援したくなっているのはなぜだろう。

蛇足ながら
小池氏に言いたい(ブログに書いても伝わらないだろうが、テレパシーを送っておく)。
憲法改正の問題などお調子者に言わせておけば良い(おそらくもう言わないと思うが)。
小池氏に付け加えて欲しいのが、社会的弱者への思いやりだ、それをばら撒きではなく、モチベーションを喚起するような制度の提案を匂わすのだ。匂わすだけで良い。なぜなら、そのような制度設計は、宇都宮氏のような実務家などの衆知を集める時間が必要だからだ。軽く口走ってしまうと、これまでの政治家と同じになってしまう。断っておくが、社会的弱者とは老人のことでない。
むしろ若い人だ。そして女性だ。母親だ。心ある老人は、自分のことも大事だが、若い人、女性のことを考えているはずだから。歴戦の勇士である小池氏には、釈迦に説法かな(笑)。

以上、空手家の下らない話でした。これから自分の仕事に集中します。御免。
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2016年07月12日

初心を忘るべからず〜政治について

テーマ:コラム
初心を忘るべからず〜政治について

日曜日、我が愚息の初めての投票に同行した。ひとつ良き思い出が増えたと思っている。

私は安倍首相贔屓である。贔屓などとは不謹慎だと云われそうだが、政策面のみならず、人間性の好みがどうしてもでてしまうのは、仕方が無い。また野党の議員と候補の方々は、すべてではないが、人格面で貧弱な感じが否めない。

ただし、私は野党のすべてが良くないと思っているのではない。むしろ様々な意見がある国の方が善いと思っている。ゆえに野党に頑張って欲しい。繰り返すが、野党は戦略、戦術があまりにも稚拙で、候補者や議員の人格が貧弱である。

今、参議院選が終わり、次は知事選という段になり、その稚拙さが目につく。言うまでもないが、自民党のすべてが良いと、国民は思っていない。ただ野党が未熟すぎるのだ。

例えば、民進党を躍進させたいのなら、都知事選は蓮舫氏で行くべきだった。蓮舫氏の意志を尊重しなければならないのは当然だが、なぜ口説けなかったか。確かに国政と地方自治とは異なるが、東京都のあり方は、全国に影響を与える。その位置を野党が取り、反自民の「のろし」を挙げて行くのが野党として最善の戦術、戦略だと私は思っている。

現在、自民党は小池氏の出馬で、その弱点を露呈している。小池氏は、なかなか有力な政治家だが、国民が望んでいる政治家とは異なると思う。

話を端折ると、野党の問題、特に民進党の問題は、何と言われようが、共産党と是々非々で認め合い、仲間を尊重する姿を見せることだと云いたい。そうすれば、もっと勝てる。また、現在の状況では、都知事選は、宇都宮氏で一本化するべきだ。その度量をみせる事が、民進党が復活する、最善手なのだ(無理だろうな、民進党の度量では)。


イギリスのEUの離脱の予想も当たった。知事選の予想が当たらない事を祈りたい。私の予想では、小池氏が苦戦しながらも勝つ可能性がでてきたと考えている。なぜなら、民進党が人気投票路線という悪手を打ち、一方の自民も悪手を打っているからだ。断って置くが、私は自民党支持者だ。先輩が議員だし、自民党の人達と懇意にしている。一方でこの国の将来を心配する一市民でもある。ゆえに私は、バランスを取るという意味で、都知事は宇都宮氏が良いのではないかと思っている。おそらく、宇都宮氏は一筋縄ではいかない人だろう。だからこそ良いのだ。人気投票に勝てそうだから出るような人間は駄目だ。それを選ぶ市民もレベルが低い。現在、小池氏に叩かれている自民党都議連と宇都宮氏が正々堂々と勝負をするような政治を私は望んでいる。そして、メディアにも頑張ってもらい、我々市民の成熟を促して欲しい。


蛇足ながら、小池氏が苦しい戦いの中で、攻めなければならないのは、自民党の弱点だ。そこを認識できなければならないと思う。あえてそういうのは、そこが自民党の最も戒めなければならない弱点であり、そこを認識できれば盤石の体制が整うと考えるからだ。それは「言論統制、規制」ともとられかねない言動や措置をとらないこと、物事をなるべくオープンに進めるという事であろう。なぜなら、我々日本人が目指すべきは、最も成熟した民主主義国家だからだ。そのような国で最も重要なのは、言論の自由をどんな事があっても保証する事だ。そこを忘れなければ、都知事選のみならず、自民党の盤石な体制を築く事もできると思う。成熟した市民と国家は、自由でオープンな議論の中から形成されると思う。勿論、恣意的かつ無礼な言動と自由とは一線を画すのは言うまでもない。さらに蛇足ながら、小池氏には都議会を解散するなどと公約を掲げ、離党勧告に値する面もある。それでも、自民党は小池氏を離党に追い込まず、手を打つ方が良いと思う。なぜなら、今回の都知事選には、自民党と都議連に責任の一端があるのだから。ゆえに地方自治と国政は別とするなど、今回に限り、度量の大きさを見せて欲しい。兎に角、私が願うのは、この国が良くなっていくことだ。

最後になるが、私は、リーダーの政治の世界も庶民の生活の世界にも、世阿弥のいう「初心の教え」は通じるのではないかと思っている。今回、愛読書の一つである世阿弥の「風姿花伝」を「花鏡」と併せて紐解いた。御陰で、自分自身の未熟と不勉強に気づかされた。世阿弥の教えは、本当に素晴らしい。特に「花」の教えは、自身の思想に浸透させたい。(前回「初心」の続き)


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2016年07月12日

「初心」

テーマ:コラム


【初心】

世阿弥の晩年に著である、花鏡の一節に「初心を忘るべからず」と云う下りがある。50歳代以降の年代なら、中学校の国語あたりで学んだはずだ(学んでないかな?)。先日、私が主催する空手の交流試合の開会式で、「初心」について話をしてみた。

なぜ、「初心」の話をしたかと言えば、交流試合の前、朝日新聞のフロントランナーに柔道全日本監督の井上康生氏のインタビューが掲載されていたからだ。

その記事には、「初心」と云うタイトルが掲げられていた。井上康生氏はシドニーオリンピック柔道種目でオール一本勝ちにより、金メダルを勝ち取った、天才柔道家である。子供の頃柔道に打ち込んだ事もある私は、井上康生氏は大好きな柔道家の一人である。現役時代の井上康生氏を私もテレビを見ながら応援していた事を思い出す。

記事には、井上康生氏の51歳で急逝した母親が、康生氏に宛てた最後の手紙にあった言葉を胸に刻み込んでいると書いてあった。母からの最後の手紙には、「すべて初心に返って頑張ってください」と締めくくってあったようだ。

井上康生氏は、「強くならなきゃ」とではなく、「強くなりたい」という気持ちで柔道に打ち込む事が大切だと説く。おそらく、「勝たなければならない」「負けてはいけない」という気持ちではなく、「強くなる」また「強くなるために戦う」というような純粋な気持ちで戦うこと。そして、その重要性を若い選手達に伝えたいのだと思う。おそらく、井上康生氏の母親には、天才的な技の感覚と集中力を持って、無心に相手と柔道をしていた息子の姿を取り戻して欲しいとの思いがあったのだろう。また、わが子が無邪気に、かつ無心で柔道に集中すれば、勝てると信じていたのだと思う。

【主体性】
私には、「初心」と云えば、世阿弥の「初心を忘るべからず」の言葉が念頭にあった。ゆえに、井上氏の初心の教えには、少しだけ違和感があった。しかし、「いや、井上氏の教えは良い教えだ」と思い直し、子供達に伝えることにした。一読すると違和感のある井上氏の「初心」と世阿弥の「初心」を繋ぐ共通項を見つけたからだ。それは「主体性」ということである。つまり、他者の評価や考えに左右され行動するのではなく、自分の意志で行動するのが、チャンピオンなる人間だという風に言い換えても良いだろう。

【世阿弥の教えについて】
さて、世阿弥の言葉を知らない人からすれば、私が何を言っているかわからないと思う。ここで世阿弥の教えについて、少し書いてみたい。世阿弥とは、我が国の伝統芸能である能の先達である。その世阿弥が著した、「風姿花伝」や「花鏡」は、我が国の文学史上に燦々と輝く、珠玉の作品の一つである。私が世阿弥の名前を知ったのは、大山倍達先生の著書であった。大山先生も空手の求道者として、能の求道者である世阿弥に共感したのだと、幼い頃の私は考えていた

【初心を忘るべからず〜超々意訳】
最後に花鏡からの抜粋文を掲載しておくが、原文は古文なので難しい。世阿弥の言いたい事を、不遜だとは思うが、私流に超々意訳をしたい。もう少し正確かつ丁寧に書き記したいが、今は忙しいので、独断はご容赦願いたい。

(増田流、超々意訳)
《我々の流派には、すべてに通じる重要な言葉ある。「初心を忘るべからず」だ。
この教えには3つの教えがある。それは、初めて事物を経験する時(若い時)の感覚・意識、様々な事物を経験する、その時々(青春時代)の感覚・意識、様々な経験を経て、その上でさらに事物を経験する時(老成時)の感覚・意識、その3つの感覚・意識(初心)をしっかりと認識する事が重要だという事だ。そうすれば、熟練した後の感覚・意識をより善いものにできる。さらに、現在の結果の中に潜在する、因果の因(原因)を見極められれば、将来の果(結果)を善い事と為せる。つまり、この3つの感覚・意識とその変遷を認識できれば、より善い認識を得て、より良い結果を得ることができるのだ。また、その認識は自己の上達の過程を認識できるという事でもある。そのような者には、花(世阿弥の考える芸の核心)の種が絶える事がない。》〜時間があるときにもう少し丁寧に意訳を試みたい。御免。



【世阿弥の教えの本質とは何か】
いうまでもなく、世阿弥は芸の求道者である。そして、著書で門人に対し、生涯を通じて優れた芸を表現できるよう、教えを説いている。

世阿弥の教えの本質とは何か。私は「意識を高める事」「主体性の発揮」「事象の俯瞰」だと思う。

最後になるが、若い人も年を重ね、やがて老いる。アスリートも同様。さらに言えば、功を成した権力者も老いる。そのような移り変わりの中で、人間として輝き続けるには、この世阿弥の「初心わするべからず」の言葉は、至言、珠玉の教えと言える。冷房のない、暑い武道場での試合の前、長い話、難しい話は絶対にしてはならないと思い、話を端折ったが、私の弟子達、弟子と思う人には、この世阿弥の初心の教えを丁寧に伝えたい。前述した井上康生氏の母親の言葉も、自らの死を前にして、我が子に「初心」と伝えた。その言葉が湧出した背景には、世阿弥同様の深い思いがあったと私は思う。おそらく、多くの人には伝わらないかもしれない。世阿弥もそのような事を風姿花伝で書いている。




花鏡(原文)

然(しか)れば、當流に、萬能一德(まんのういつとく)の一句あり。
初心不レ可レ忘(わするべからず)。此句、三ヶ條(の)口傳(くでん)在(あり)。
是非(ぜひの)初心不レ可レ忘。
時々(じじの)初心不レ可レ忘。
老後(らうごの)初心不レ可レ忘。
此(この)三、能々(よくよく)口傳可レ爲(すべし)。
 一、是非(ぜひの)初心を忘るべからずとは、若年(じやくねん)の初心を不レ忘(わすれず)して、身に持ちて在れば、老後にさまざまの德あり。「前々(ぜんぜん)の非を知るを、後々(ごご)の是(ぜ)とす」と云(いへ)り。「先車(せんしや)のくつがへす所、後車(こうしや)の戒め」と云々(うんぬん)。初心を忘るゝは、後心(ごしん)をも忘るゝにてあらずや。劫成り名遂ぐる所は、能の上(あが)る果(くわ)也。上る所を忘るゝは、初心へかへる心をも知らず。初心へかへるは、能の下(さが)る所なるべし。然者(しかれば)、今の位を忘れじがために、初心を忘れじと工夫する也。返々(かへすがへす)、初心を忘るれば初心へかへる理(ことはり)を、能々(よくよく)工夫すべし。初心を忘れずは、後心(ごしん)は正しかるべし。後心正しくは、上る所のわざは、下る事あるべからず。是(これ)すなはち、是非を分(わか)つ道理也。




2016/7/12 一部修正



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2016年06月13日

IBMA理事長からのメッセージ2016

テーマ:その他
【近況報告】

IBMA極真会館岡山県大会に行ってきました。
香川の選抜チームも参加しており、岡山対香川の試合は、特に白熱していました。

私は、フルコンタクト空手の選手の情熱や身体能力を活かせば、もっと面白いことができると、いつも思います。しかしながら、システムやプロデュース等が旧態然として…。ただ、選手の頑張る姿は、いつも素晴らしいと思います。

今回、役員席から撮った、試合前の写真と岡山県大会のパンフレット用に書いたメッセージを載せておきます。この原稿は、結局、掲載していません。いつもながら、大仰なので…。昔、妹に言われたことがあります。お兄ちやんの話は大きすぎる、と。おそらく、みんな同じことを思っているに違いありません。だから、もう…。



IBMA理事長からのメッセージ2016
増田 章

【これからの空手界について】 
 3年前、2020年オリンピックの東京開催が決定しました。その東京オリンピックで空手が追加競技として、ほぼ確定しています。空手がオリンピック競技となれば、空手の再認知が世界中でなされるに違いありません。
 それに伴い、我々空手人に対する、社会的責任も高まると、私は思っています。ゆえに、これからの空手界は、それなりの心構えを有する必要があると考えています。さらに、その心構えの有無と内容によっては、空手界発展の好機を逃すことになると思うのです。ここで、空手界に対する私の思いを、少しだけ述べさせていただきます。
 現在、空手界は多様な流派が乱立し、空手界と言う認識も希薄のように見えます。また、すべての流派、愛好者がオリンピック競技に関わっているわけではありません。ゆえに、空手のオリンピック競技化に関して、実質的には無視というような立場を取る人も多く存在すると思います。また、空手界と個人との間には関係性がないと考える人も少なからず存在するのではないでしょうか。しかしながら、空手界外部の人からすれば、オリンピックにより、空手が同一のものとして注目され、現実の諸問題が鮮明になっていくように思います。私は、各流派の小異は別として、オリンピックを契機に、各指導者が大同を認識し、より良い空手界の形成への一歩を踏み出す必要があると思っています。また、「斯界のより善い発展には、それを構成する人間のより善い人格形成が必要条件である」という現実認識を持つ必要があると考えています。平たく言えば、「空手人が人間的成長を果たせば、必然的に空手界もよくなる」ということです。さらに補足を加えれば、空手愛好者一人ひとりが空手道と空手界を善くしたいと考えるようになることが必要だと思います。
【21世紀の武道人(BudoMan)
 ここで、空手界における私の立場を述べておきます。私の立場は、自らの空手流派を伝統と独自性を内包する日本武道として確立したいというものです。しかしながら、スポーツと云う普遍化した価値観と空手道、日本武道が融合することに反対、批判する立場ではありません。なぜなら、時代背景を基盤とする価値観は技術革新等により、変化するのが当然だと考えるからです。ゆえに最も重要なのは、変化する事象の本質を探究し、より善いものを再創出して行くことだと考えます。補足を加えれば、武道も時代背景を基盤とした価値観の総体なのです。よって武道を人間形成に役立たせるのであれば、伝統は伝統として尊重し、その上で変化していくのが当然なのです。同時に価値観の画一化という、時代状況にも流されないようにすることも重要だと思います。私は、これまで我々が信じてきた、勝負偏重主義の中にも、価値観の画一化へ向かうウイルスのようなものが潜んでいたのではないかと疑っています。また、「多様な伝統的価値観を認めつつ、より本質的かつ普遍的な価値観を共に創出していく」というように、軌道修正が必要だと思っています。私がIBMAの創立当初に提唱した、「21世紀の武道人(BudoMan)」とはそのような大きな目標を持ち、新しい武道界を創出していく人間のことでした。

【国際的人格形成】
 これまで国際武道人育英会は、空手を手段に、国際的人格形成を目指した活動をしてきました。ここでいう人格形成とは、自己のバックボーンである文化性(価値観)を認識しつつ、他者のそれ(文化性)を尊重できる人間となることです。また、既存の多様な文化性(価値観)を包摂できる、より普遍的な文化性を生み出していける人間をめざすことです。
 今私は、国際武道人育英会・極真会館の長として、これまで以上に、団体として襟を正し、人格形成について深く考えて行きます。そのような心構えと理念を核に、微力ながら、これからの空手界のより良い発展に一助となりたいと考えています。また、勝者となることのみならず、負けることをどのように受け入れ、昇華して行くかが心の修練で重要だと考えています。さらに、勝敗を超越した、真実(まこと)の勝利をいかに掴み取るかが、勝負の道における心の修練のテーマです。そのように考えて行けば、より善い社会の創出という目標に対し、スポーツと日本武道が共闘、共創、共存していけるものだということが、ご理解頂けると思います。
 最後に、IBMA極真会館の空手競技大会は、オリンピックを目指す大会ではありません。しかしながら、「人格形成の手段」という点では、それに勝るとも劣らない志をもって開催するものです。何卒、IBMA極真会館の活動理念に対する、より多くの皆様の理解と協力をお願いします。



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2016年01月03日

Kyokushin way(極真ウェイ)

テーマ:日誌

2016年がスタートした。

実は年末に高田馬場道場の移転を決断した。
年末はその準備に追われていた。移転は年始に実行する。身体のリハビリと道場業務の整理整頓と併行しての準備は、大変なストレスを伴う。しかし、この道を避けては次に進めない。必死にやれることをやっている。とても大変だが、世の中にはもっと大変な人がいると、自分を奮い立たせている。例えば、昨年も自然災害の被害に遭われた方や病により夭折された方がいた。

不謹慎と云われるかもしれないが、そんな方々の状況を思えば、心が強くなる。さらに心優しき増田道場生の協力が私の支えとなっている。

さて、年末から身の回りの整理整頓が続いている。おそらく2016年は整理整頓であっという間に過ぎるであろう。しかしながら、確実に整理整頓がされるようにしたい。先ず、断捨離だ。もちろん、アーカイブも大切にしたい。しかし、一旦捨てることも必要なのではないかと思っている。なぜなら、そんなに時間が残されているとは到底思えない。幸い、良いソフトを手に入れたので、それを使ってデータベースの構築に努めたい。私はこれまで、情報をより迅速に処理し、それを活かす方法を確立したいと考えてきた。昨今のIT分野の進展による、様々なアプリケーションソフトの誕生はとても有り難い。しかし、重要なのは、自分にとって一番大切なものが何かを見極めることだろう。私の人生は、失敗の上に成り立っているようなものだ。また、これまで汚名返上と勇んで生きてきた。ゆえに、一番大切なものを忘れがちだが、その失敗の上に成り立っているような人生の中から見つけだした最も大切なものこそが、本当の宝だとも思っている。

今日、書類の整理の合間、極真空手の道場訓の英訳を見つけた。仕事の合間、「気晴らしに英語の勉強でもするか」と思いながら見直した。この英訳は、我が増田道場生のフイリップ(アイルランド人)が行なったものだ(フイリップ、いつも協力ありがとう)。

運動とは縁がなかったと、10年ほど前に語っていた、フイリップが弐段になった。そして武道の世界に浸り込んでいる。私は彼のような者の期待に応えるためにも、原点に還る。

極真空手の道場訓の最後には、「吾々は、生涯の修行を空手の道に通じ極真の道を全うすること」とある。その「極真の道」の増田流解釈を以下に述べたい。極真の道とは、現実(リアル)との対峙を前提に「自己の本性を見極め、自己にしかできない生き方を完遂することだ。言い換えれば、自分流(マイウェイ)を切り拓くことと言っても良いだろう。

補足を加えれば、その自分流が他者を利すること(他者を益し、他者に貢献することの意味)が最高の境地である。さらに言えば、増田流の「極真の道」の解釈は、自他を活かす理法、方法を意味する。当然、異論があるだろうが、私は以上のように解釈する。

蛇足ながら、昨年暮れ、眼の具合が悪く、眼科に2度、お世話になった。加齢による劣化が進んでいる。繰り返すが、一番大切なものを見つけだし、大切にしたい。あたりはついているが、それを確信に変えたい。空手道の普及と言う仕事に関しては、原点に還りたい。何を原点とするかは、人によって様々かもしれない。それにはあえて言及しない。大事なことは、私にとっての原点だ。私の原点は、心の浄化、魂を鎮めることだと思っている。ゆえに私は、絶えず理念(哲学)を見直し、その具現化に向けて取り組みたい。



1.Hitotsu, wareware wa, shinshin o renmashi, kakko fubatsu no shingi o kiwameru koto.

We will train our hearts and bodies for a firm unshaken spirit.

2.Hitotsu, wareware wa, bu no shinzui o kiwame, ki ni hasshi, kan ni bin naru koto.

We will pursue the true meaning of the martial way so that, in time, our senses may be alert.

3.Hitotsu, wareware wa, shitsujitsu goken o motte, kokki no seishin o kanyo suru koto.

With true vigour, we will seek to cultivate a spirit of self-denial.

4.Hitotsu, wareware wa, reisetsu o omonji, chojo o keishi, sobo no furumai o tsutsushimu koto.

We will observe the rules of courtesy, respect our superiors, and refrain from violence.

5.Hitotsu, wareware wa, shinbutsu o totobi, kenjo no bitoku o wasurezaru koto.

We will follow our religious principles and never forget the true virtue of humility.

6.Hitotsu, wareware wa, chisei to tairyoku to o kojo sase, koto ni nozonde ayamatazaru koto.

We will look upwards to wisdom and strength, not seeking other desires.
7.Hitotsu, wareware wa, shogai no shugyo o karate no michi ni tsuji, Kyokushin no michi o mattou suru koto.

All our lives, through the discipline of karate, we will seek to fulfill the true meaning of the Kyokushin way.


日本語の道場訓





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2015年11月04日

みんなで仲良くすることは良いことなのよ!

テーマ:エッセイ
昨日、他のテーマと一緒に掲載したものを、加筆修正して、再度掲載したい。
IBMA極真会館の方向性について重要な伝達事項が含まれているからだ。



【全空連が主催するパーティー】
 私は先日、全空連のオリンピック競技化推進を応援すると同時に、互いの団体活動を尊重し、友好的な関係を築こうという趣旨の松井氏の呼びかけに応じ、その記者会見に参加した。

 その記者会見から約1ヶ月が経った。その全空連が主催するパーティーが金曜日に行われた。松井氏は、全空連の友好団体、国際空手道連盟・極真会館の館長として招待されたらしい。そのパーティーに同伴しないかとの誘いを、数週間前に松井氏から受けた。

【仲良くするのが一番】
 繰り返すが、今回のパーティーに先立ち、8月の後半、私は松井館長の呼びかけに応じ、幾つかの団体とともに友好関係を結んだ。その理由には、難しいことは何一つない。私にとって一番大切な価値基準は、全空連云々の前に、同じ大山倍達門下として、仲良くするのが一番という価値観である。ゆえに、松井氏がこれを機に、過去のことを水に流し、組織を友好化しないかとの誘いがあったときに、断る理由が見つからなかった。むしろ、松井氏の変化を驚くとともに、私の念願が叶ったとの喜びがあった。

 私は、過去を水に流すというのは、問題を起こした当事者が軽々に口に出すことではないと思っている。しかし、松井氏の立場からそのような言葉が出るということは重く受け止めなければと思っている。また、まずもって私は、試合などを通じての交流には、互いの団体の理念等の違いなどを踏まえ、軽々な言動は慎みながら時を待とうと、いうような主旨のことを松井氏に伝えた。なぜなら、試合等の交流など、現実的な話を前提にしたら、最も大切なことが等閑になると考えたからだ。また、和解できない他の極真空手の団体のこともある。さらに私は、試合による交流は、ゴールとそれを目指すルールをもっと明確にしてからでないと、行き当たりばったりで、良いものはできないと思う。また武道団体の交流には、試合による交流の前に人間関係が大切だと、私は考えている。一方、試合を通じて人間関係が構築される面もあるという考え方もあるかもしれない。様々な見方があるとは思うが、私は今回の松井氏の友好化の呼びかけは、各団体の活動内容を尊重しつつ友好的に付き合う中で、人間関係の再構築をしていこうという主旨だと、私は理解した。ゆえに試合による交流はこの先のことだと思っている。他はともあれ、私には、松井氏の呼びかけを断る理由はなかった。むしろ、素直に嬉しかった。蛇足ながら、今回のことに対し、「松井氏には何か魂胆がある」等の見方をする人がいたが、私の心にはそのようには映らなかった。私は、極真会館で大山倍達の薫陶を受けた者同士が仲良くすることは、最低限の師への報恩だと思っている。ゆえに、他の仲間や私の恩師と松井氏との関係が良くないことが残念だ…。

【極真空手や空手を大切に思うならば】
 私は、大山倍達の門下生で極真空手や空手を大切に思うならば、門下生同士が仲良くした方が良いと思っている。また、意見の相違は一時エポケーして、将来を見据えたい。さらに、空手愛好者以外の目線や社会全体のことを念頭に置きながら、現実に即し柔軟かつ慎重に考えていけば良いと考えている。「言うは易し行うは難し」かもしれない。しかしながら、現時点の松井氏と私の見識(状況認識)なら、諸事の合意形成は難しくないと感じている。さらに付け加えるならば、喧嘩をする相手は、空手家ではないと、私は思っている。また、喧嘩ではなく、真剣に向き合い、戦わなければならないのは、人間の欲深さがもたらす、各種のジレンマに対してだと思う。難しく言えば、人間がこだわってきた正義と自由という、人間に突きつけられた命題との対峙だ。武を掲げる武道人が考え続けなければならないテーマはそこにあると、私は思う。平たく換言すれば、多様な人たちが、どうしたらより良く生きていけるかを、真剣に考えるということだ。

 断っておくが、私は単なる迎合をしたつもりはない。また私の心中には、もう空手家を前に抜くことを止めようと考えている刀がある。おそらく、私の言っていることを誰も理解できないと思う。それは仕方がない。地に足をつけて生きている人たちには、「今」が重要だからだ。もちろん、「今」が重要であることに、私も異論はない。だからこそ、私は未来志向で生きていきたいのだ。

 今回私は、松井氏の誘いを私への友情と捉え、全空連へのパーティーへ同行することにした。同じ極真空手で育てられた者同士は、家族同然にならなければならないとの理想が私にはある。それが斯界の真の発展につながると思っている。増田はいつも青臭いと思われるだろうが、死ぬまでその思いを持ちながら生きていきたい。また、例え今後、私が人里から離れたとしても、時々はその思いを伝えていきたい。

 あえて記すが、極真会館の分裂後の20年は極真空手界にとって不毛な時間だったと、私は思っている。松井氏も共通の認識だという。私はもう、そのような時間を過ごしたくない。
【小林先生との再会】
 そのように考えている中、全空連のパーティーで感動する体験があった。それは、私が10代の頃、防具空手の試合で対戦した小林先生との再会だ。小林先生との対戦については、拙著「増田章 吾 武人として生きる」で少し書いた。私は、小林先生との対戦後、伝統派の試合方法を研究した。

 小林先生は現在、奈良県の全空連の理事長をされているらしい。職業は、私の記憶通り、教員だった(小林先生に35年ぶりに確認した)。昨年、定年を迎えたらしい。小林先生との対戦はおよそ35年以上も前のことだ。お互い歳をとったようだ。小林先生は若い頃、精悍な面構えの美男子だったと記憶する。

【みんなで仲良くすることは良いことなのよ】
 小林先生は、パーティーの名簿の中に私の名前を見つけ、私を探し出してくれた。先生は、とてもフランクで、昔の印象と変わらなかった。私が小林先生に、近いうちに伝統派の組手の研究に奈良県に出稽古に伺いますと言うと、「ぜひ来て」と快諾してくれた。傍にいた松井氏が「僕も行くよ」と言う。「本当に行くの?忙しいでしょ」と私が言うと、「日程が合えば行くよ」と言う。最近の松井氏はサービス精神が旺盛なのか、フットワークが軽いようだ。その時、小林先生と同伴していた奈良県連の大木さんという女性空手家の方が、「こんな風にみんなで仲良くすることは良いことなのよ」「絶対に来てね」「ゆびきりよ」と私に小指を差し出した。私は、その女性と小指を絡めて「ゆびきりげんまんをした」。大木さんは、年齢不詳だが、おそらく私と同じぐらいの年齢だろうか?それとも年上か?。大木さんは「子供たちに素晴らしい先生がいると紹介したいのよ」「絶対に来てね」と畳み込んできた。私は大木さんの邪気のない、純粋な目と言葉に感動してしまった。まるで、「アルプスの少女ハイジ」にお願いされているような感じだった(下手な例えでゴメンなさい)。私はその時、不覚にも落涙してしまった。なぜなら、打算と見栄を気にして生きている大人たちが多い中、大木さんの心は、年を重ねても美しいままだと感動したからだ。そして他流の空手家の中にも素晴らしい人がいることを実感した。同じく、剛柔会や和道会の重鎮方とも松井氏のおかげでご一緒したが、皆さん懐が深かった。

 笹川先生も紹介していただいたが、私の眼には、志が高く、信念があり、懐の深い方に見えた。ほんの少しだけ、口が悪い気もするが(笑い)。ストレートでオープンな性格なのだと思う。今回、私に良い体験をもたらしてくれた、松井館長に本当に感謝したい。また、お互い身体を大切にして、最低でも後10年は生きなければならないと思っている。

 最後に、この日はハードな1日だったためか熟睡できた。次の日、私は山梨の友人宅へ向かった。紅葉が始まり、富士山麓も美しい季節を迎えている。これからの人生、美しい季節を体験できるよう頑張りたい。


2015/11/5 一部加筆修正
2015/11/6 一部加筆修正
2015/12/18一部修正

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2015年11月03日

感動体験、2連発!

テーマ:エッセイ
感動体験、2連発


感動体験その1~バレイ体験

【身体のケアに手間をかける毎日】
 左手術後1年が過ぎた。楽観的に見て、80%ぐらいの回復である。
しかし、運動後のアイシングは欠かせない。選手時代同様に身体のケアに手間をかける毎日である。そうしながらトレーニングを続け、身体機能の低下を少しでも抑えている。身体の機能の低下は、選手なら深刻な問題だ。しかし、人生の終盤戦を意識すれば、様々な学びの契機、その戦いの準備となる。

【取りあえず塩漬け】
 さて、お盆休みから約1ヶ月間続いた、前回のブログで8合目と書いたが、そこからが本当に過酷だった。例えるならば、断崖をよじ登るような執筆だった。それに起因するかは定かではないが、血圧が90まで低下し、ふらふらになった。現在は上昇し楽になった。書籍に関しては、220ページ分ぐらいを書き上げたが、塩漬けにした。出版社のOKがでないからだ。新しい構想で空手家を啓蒙しようという誇大妄想から書き上げたが、私の筆力では伝わらないらしい。最後に詳細な部分を修正しようと思っていたが、構成や出版方法を変えることも視野に入れている。「取りあえず塩漬け?」だ(一時保留)。


【先週の金曜日に念願が叶った】
 現在私は、自分のアイディアの無理なアウトプットをやめて、新たな学びのインプットに努めようと考えている。また「人里を離れる?(妄想?)」ために現環境の整理整頓を進めている。そんな中、京セラの稲盛和夫塾長の門下生の一人である、清水哲太郎先生と森下洋子先生が率いる、松山バレイ団の事務局の多家さんからメールが届いた。

 実は、バレイの身体の使い方やトレーニング方法に興味があった私は、同じ稲盛門下生で、極真空手家の安藤さんが清水先生と仲が良いと伺い、バレイの稽古を安藤さんにお願いしていた。先週の金曜日にその念願が叶った。正直言って、この稽古は一生の思い出となるだろう。それほど、清水哲太郎先生と森下洋子先生は、日本のバレイ界では偉大な存在である。私の心境は、清水先生への弟子入りという感覚に近い。

 補足を加えると、私がバレイの勉強をしたいと考えたのは、八王子スポーツ整形外科の間瀬先生との出会い、また理学療養士の佐藤先生からリハビリを受けたことが大きい。私は長いリハビリ期間の中、バイオメカニクスや身体に関する書籍を集め、勉強した。なぜなら、PTの佐藤先生は私のリハビリを理論的な説明を加えて進めた。その指導には、一般の人には難しい言葉が並んだ。私はその指導について行くために、専門知識を学ばなければならないと思ったのだ。断っておくが、そのような指導は私が望んだことである。通常は、なるべく簡単な言葉で説明をするらしい。私の場合、これを機会に、身体の構造について、もっと深く知りたいと思っていた。佐藤先生は、その私の希望に付き合ってくれたのだ。私が膝の手術後、研究のため集めた書籍の中に、「インサイド・バレイテクニック」というものがある。私はその内容を半分も理解していない。なぜなら、バレイの専門用語や解剖学?などの用語が並んでいるからだ。しかし、バレイという身体を使った表現芸術を行うためには、身体の構造について理解していなければならないということは理解できた。また、私は空手も本来は、身体の構造をしっかりと理解し稽古を行わなければならないと思っている。
また、そのように身体への理解が深まれば、身体の可能性をさらに拡げ、長きにわたって身体と付き合っていけると考えている。バレイの動きは身体の構造に精通していなければ続けられない、ハードな運動である。その上で、心と向き合い、心の素晴らしさ、身体の動きの美しさを音楽などと融合し「調和」を表現していく。そのような芸術がバレイではないだろうか。私はバレイには門外漢ではあるが、武道の動きも、動きの美しさ、リズムなどを生み出し、調和を感じさせるようなものになるべきだと考えている。

【バレイ体験にとても感動】
 話を戻せば、私はバレイ体験にとても感動した。詳細はいずれ書き直したいが、簡単に記しておく。まず、松山バレイ団の方々が稽古の合間、全員でお出迎えしてくれた。そして写真撮影。次に舞台稽古の見学。それから清水先生とのマンツーマンのレッスン。これは一生の思い出だ。日本一のバレリーナ、そしてバレイ団の方々にこのようなもてなしを受けるのは、稲盛和夫門下生であるからだが、また、私が大山倍達先生の創始した極真空手の日本一だからだと思う。改めて、稲盛和夫塾長、大山倍達先生への感謝を感じた。また、「極真空手を最高の空手にする」という志を全うしなければという思いを強くした。道はとても険しいが…。
【バレイのレッスン】
 清水先生のバレイのレッスンは情熱的である。また本質的である。一番大事なことを端的に伝えてくれたと思う(私の想像だが)。1時間30分ぐらいの時間が、あっという間に過ぎた。レッスンは最も基本的なことだったとは思うが、バレイは身体を伸ばすことが大切だと教えられた。また、足の指から手の指先までの意識をしっかり持つことなどを教えられた。レッスンでは、喪失しかかっていた、身体の意識が刺激され、身体のコアが活性化したように思う。下手な例えだが、稽古後、マッサージと同じように身体の血流が促進し、身体のアライメントが整えられたように感じた。バレイの基本レッスンは、シニアの機能低下の予防に最適だ。また、すべての空手家におすすめしたい。


 レッスン終了後、男性バレリーナの演技を見せていただいた。私は思わず、「かっこいい」と拍手していた。失礼だったかもしれないが、本当に男性のバレリーナの演技はかっこいいと思う。以下は、話半分で聞いて欲しいが、私は65歳ぐらいで、簡単なバレイの演技(単独で)とアルゼンチンタンゴの踊りを若いパートナーと踊ってみたいと思っている。断っておくが、私が若い人が特に好きということではない。これは、私が大好きなアル・パチーノの主演映画、「セント・オブ・ウーマン」のワンシーンの影響だ。その映画では、盲目の主人公が、アルゼンチンタンゴを若い娘と踊るシーンがある。そのシーンが私は大好きなのだ。踊りやバレイなど、表現芸術には、生の賛美や精神の解放の意味が見て取れる。それには、目に見えない部分での抑制や努力があると思う。できれば、そのようなことを表現できる老人になりたいと思う。もっとも、近い将来、65歳の方を老人とは言わないだろう(現在も?)。おそらく、今後、新しい概念や定義が生み出されるに違いない。また、65歳から90歳ぐらいまでを人生の新たなステージとして捉えられるような社会の創出を、若い人と壮年、老年が一緒になって考える時代が、すぐそこまで来ていると思う。大仰に聞こえるかもしれないが、日本にはそのような社会を創出する使命があると思う。

 最後に、私は誇大妄想癖があるが、清水先生のパートナーである、森下洋子先生の慈愛に満ちた雰囲気と、その演技に共通して感じるのは、「美しい心」ということだ。心とは抽象的な概念だが、私は心こそが人間の中心だとあえて言いたい。さらに、身体(組織)を通じ、その心を表現できる人が、どの道でも最高レベルの人間だと思っている。本当に清水先生、森下先生、多家さん、また松山バレイ団の皆様、ありがとうございました。今後もバレイの勉強を続けますので、よろしくお願いします。





感動体験その2~みんなで仲良くすることは良いことなのよ!
【全空連が主催するパーティー】
 実はこの日は、もう一つ感動することがあった。私は先日、全空連のオリンピック競技化推進を応援すると同時に、互いの団体活動を尊重し、友好的な関係を築こうという趣旨の松井氏の呼びかけに応じる記者会見に参加した。その辺の詳細に関しては、体調がもう少し良くなったら記したいと考えている。もう少し時間をいただきたい(急がなければならない仕事があるので)。

 その全空連が主催するパーティーが金曜日にあった。松井氏は、全空連の友好団体、国際空手道連盟・極真会館の館長として招待されたらしい。数週間前、松井氏から私に同伴しないかとの誘いがあった。

【仲良くするのが一番】
 繰り返しになるが、今回のパーティーに先立ち、9月の後半、私は松井館長の呼びかけに応じ、幾つかの団体とともに友好関係を結んだ。その理由には、難しいことは何一つない。始めに、改めて記すと言っておきながら、せっかちな性格なので、大雑把に書いておくこととする。

 私にとって一番大切な価値基準は、全空連云々の前に、同じ大山倍達門下として、仲良くするのが一番という価値観である。ゆえに、松井氏がこれを機に、過去のことを水に流し、組織を友好化しないかとの誘いがあったときに、断る理由が見つからなかった。むしろ、松井氏の変化を驚くとともに、私の念願が叶ったとの喜びがあった。

 私は、過去を水に流すというのは、問題を起こした当事者が軽々に口に出すことではないと思っている。また私は、「試合などを通じての交流には、互いの理念等の違いなどもあるし、軽々な言動は慎みながら時を待とう」というような主旨のことを松井氏に伝えたつもりである。なぜなら、そんな話を前提にしたら、最も大切なことが等閑になるからだ。また、和解していない他の極真空手の団体のこともある。さらに私は、極真空手の試合による交流は、もっと仕組みを明確にしてからでないと、行き当たりばったりで、良いものはできないと考えている。私は、松井氏の主旨は各団体の活動内容を尊重しつつ、これからは友好的に付き合おうということだと理解した。そのことに対し、「松井氏には何か魂胆がある」等の見方をする人がいたが、私の心にはそのようには映らなかった。

【極真空手や空手を大切に思う者は】
 私は、大山倍達の門下生で極真空手や空手を大切に思う者は、仲良くした方が良いと思っている。意見の相違は、将来を見据え、空手愛好者以外の目線や社会全体のことを念頭に置きながら、慎重に考えていけば良い。おそらく今の松井氏と私の見識なら、合意形成は難しくないと感じている。また私は、喧嘩をする相手は、空手家ではないと思っている。さらに、喧嘩するのではなく、真剣に向き合い、戦わなければならないのは、人間の欲深さがもたらす、各種のジレンマに対してだ。それが武道人の克服すべきテーマでもあると思う。おそらく、私の言っていることは、「ちんぷんかんぷん」で理解できないという空手家が多いと思う。それは仕方がない。

 今回私は、松井氏の誘いを私への友情と捉え、全空連へのパーティーへ同行することにした。同じ極真空手で育てられた者同士は、家族同然にならなければならないとの理想が私にはある。それが斯界の真の発展につながると思っている。増田はいつも青臭いと思われるだろうが、死ぬまでその思いを持ちながら生きていきたい。また、例え今後、私が人里から離れたとしても、時々はその思いを伝えていきたい。

 あえて記すが、極真会館の分裂後の20年は極真空手界にとって不毛な時間だったと、私は思っている。松井氏も共通の認識だという。私はもう、そのような時間を過ごしたくない。そのように考えている中、全空連のパーティーで感動する体験があった。それは、私が10代の頃、防具空手の試合で対戦した小林先生との再会だ。小林先生との対戦については、拙著「増田章 吾 武人として生きる」で少し書いた。私は、小林先生との対戦後、伝統派の試合方法を研究した。

 小林先生は現在、奈良県の全空連の理事長をされているらしい。職業は私の記憶通り教員だった。昨年、定年を迎えたらしい。小林先生との対戦は30年以上も前のことだ。お互い歳をとったようだ。小林先生は若い頃、精悍な面構えの美男子だったと記憶する。小林先生は、体型は若い頃と変わらず引き締まった感じで、男前ではあったが、頭髪に変化が見られた(笑、すみません軽い冗談です)。


【みんなで仲良くすることは良いことなのよ】
 小林先生は、パーティーの名簿の中に私の名前を見つけ、私を探し出してくれた。先生は、とてもフランクで、昔の印象と変わらなかった。私は、近いうちに伝統派の組手の研究に奈良県に出稽古に伺いますと伝えると、「ぜひ来て」と約束をしてくれた。松井氏が「僕も行くよ」と言う。「本当に行くの?忙しいでしょ」と私が言うと、「日程が合えば行くよ」と言う。最近の松井氏はサービス精神が旺盛なのか、フットワークが軽いようだ。その時、小林先生と同伴していた奈良県連の大木さんという女性空手家の方が、「こんな風にみんなで仲良くすることは良いことなのよ」「絶対に来てね」「ゆびきりよ」と私に小指を差し出した。私は、その女性と小指を絡めて「ゆびきりげんまんをした」。大木さんは、年齢不詳だが、おそらく私と同じぐらいの年齢だろうか?それとも年上か?。それはともあれ、大木さんは、目がまん丸で、顔も体も丸い(失礼)。大木さんは「子供たちに素晴らしい先生がいると紹介したいのよ」「絶対に来てね」と畳み込んできた。私は大木さんの邪気のない、純粋な目と言葉に感動してしまった。まるで、「アルプスの少女ハイジ」にお願いされているような感じだった(下手な例えでゴメンなさい)。私はその時、不覚にも落涙してしまった。なぜなら、打算と見栄を気にして生きている大人たちが多い中、大木さんの心は、年を重ねても美しいままだと感動したからだ。そして他流の空手家の中にも素晴らしい人がいることを実感した。同じく、剛柔会や和道会の重鎮方とも松井氏のおかげでご一緒したが、皆さん懐が深かった。

 笹川先生も紹介していただいたが、私の眼には、志が高く、信念があり、懐の深い方に見えた。ほんの少しだけ、口が悪い気もするが(笑い)。ストレートでオープンな性格なのだと思う。今回、私に良い体験をもたらしてくれた、松井館長に本当に感謝したい。また、お互い身体を大切にして、最低でも後10年は生きなければならないと思っている。

 最後に、この日は感動体験、2連発の影響か熟睡できた。次の日、私は山梨の友人宅へ向かった。紅葉が始まり、富士山麓も美しい季節を迎えている。これからの人生、美しい季節を体験できるよう頑張りたい。







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