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2016年07月30日

極真空手家が観た都知事選〜その2 追伸

テーマ:コラム
民進党の岡田代表が、次の代表戦への不出馬を発表した。
「なぜ、このタイミングで?」と首をかしげざるを得ない。

まだ、野党統一候補の都知事選が終わっていない。

このタイミングでの発表は、知事選の敗北を認めたと観られかねないと思うのは、私だけだろうか。真意はともかく、そう観られざるを得ないようなことをするというのは、鳥越氏に失礼のみならず、共闘した共産党などにも失礼だろう。

一つ前のブログで述べたが、反自民で結束し、最後の最後まで全力を尽くすべきなのだ。少なくともリーダーは。

おそらく、都知事選の有権者の優先順位(政策面の判断材料)は、社会保障や福祉の充実だと思う。また、東京オリンピックの準備(成功への)と開催後の体力の消耗を最小限に抑えることではないだろうか。さらに、震災やテロ等に対する、十二分な対策と準備に関する政策であろう。そして、それらの政策に対する実務能力と意志、すなわち統率力(キャプテンシー)をリーダーに問うている。要するに、私のような空手家でも問題点は目に見えているのだ。

それならば、与党では駄目で、我々に任せろと、最後の最後まで、なぜ唱えないのだろうか。

私の考えでは、この都知事選を落とすという事は、地方自治と国政は異なると云う次元で判断されるのではない。つまり、民進党と野党に、大きなシステムの統治能力が欠如しているという市民の判断が定着して行くことになるという事だ。この事は、旧民主党の大きな失敗でもあったはずだ。

私は自民党支持だが、野党も必要だと思っている。だからこそ、蓮舫氏で勝てるのなら、何が何でも都知事のポジションを取るのが良いと思っていた。

蛇足ながら、民進党の考えは、私のような空手家にもすぐにわかるというのは言い過ぎだろうか。おそらく、イギリスの首相が女性、アメリカも初の女性大統領の誕生を待っている(民主党がそのように喧伝しているだけで、私はそう考えていないが)、そして新しい都知事が女性。ゆえに、新しい代表も女性にしようと、目論んでいるのかもしれない。

こんな私にも解るシナリオでは駄目だ。勿論、これは私の憶測だから、間違っているのを望みたい。なぜなら、もう一捻りが欲しいからだ。

兎に角、都知事選が終わってから次の展開を述べた方が、野党第1党のリーダーとして、よりふさわしい行動だろう。

これで99%以上、鳥越氏当選の可能性はなくなった。

本当に政治はばかばかしい。それでも政治は人間にとって重要な事であると思っている、非力な自分が悔しい。さて、妄想はこのぐらいにして、明日からの合宿の準備と足のリハビリと治療に向かうこととする。









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2016年07月30日

極真空手家が観た都知事選

テーマ:日誌
有権者の選択、特に無党派層の選択に注目している。
投票日2日前となっても、増田、小池、鳥越の3氏の内、誰に投票するかに逡巡している有権者が多くいるようだ。

選挙の情勢は、私が告知前に予想した通りになった。

まず増田氏だが、増田氏の支持基盤である自民党が序盤に打った一手が悪過ぎた。
次に鳥越氏だが、女性支持者を失うようなスキャンダルがでて、少なからずダメージを受けたに違いない。しかし、増田氏程ではないだろう。

最後に小池氏だが、都議会解散の突っ込みどころを、さらりとかわした。間髪を入れずに、既得権益者との対立と都政の改革者のイメージを印象づけ、さらに「知事報酬を半分」「任期を3年半」と心憎い程の小技の冴えをみせてきた。また、石原前都知事の「大年増の厚化粧」発言に対しても見事な「応じ」をみせ、「自民党崩し」のだめ押しの一手のように影響している。

小池氏は、私の武道理論で言うところの「応じ」を心得ている。「応じ」とは、「自己に不利な状況を有利な状況に転化する、という転じの理合をベースに、相手の攻撃を防御、間髪を入れず反撃を加える」ことだ。というより、自民党の攻撃が稚拙過ぎると云った方が良いだろう。

ここまで書いてきて、私が小池氏の圧勝になると言いたいのだと感じるかもしれないが、そうではない。普通に考えれば、「勝負あった」であろう。しかし、ほんの僅かながら他候補が勝つ可能性もあると思っている。

例えば、スキャンダル攻撃を受けた鳥越氏は、終盤になりふり構わず、与党を攻める姿勢をみせている。その攻撃姿勢は「それしかない」というものだ。やっと気がついたかというような攻撃方法だが。その意味を解説すると、鳥越氏は序盤戦、あまりにも戦い方が稚拙だった。想像だが、野党も頭を抱えていたと思う。それは、増田氏や小池氏が、歴戦の勇士で技術を持っているのに対し、鳥越氏は技術無しのような感じだった。しかし終盤にきて、増田、小池両氏の基盤である自民党に対決する姿勢を打ち出してきた。極真空手の試合で言えば、技術がないから最後は間合いを詰め、手数で審判に優勢をアピールしようと言う戦術だ。そのような戦術は、審判に見る目がなければ有効だ。ゆえに鳥越氏が僅差で勝利すると云う可能性もないとは言えない。しかし、今回の審判である有権者にとっての優先順位は、反自民ではないだろう。おそらく、そこまで都民は馬鹿ではないと信じたい。それでも鳥越氏が勝つ可能性は、自民支持層が分裂し、反自民が結束したときにある。

私は自民党支持、かつ都政の安定と進化を希望するので、調整能力と実務に長けた、情熱のある人を望んでいる。さらに言えば、過去に改革を唱えて、それを成し遂げた人はいるかどうかを考えている。勿論、小さな変革はあったかもしれないが、構造的かつ大きな改革を成し遂げた政治家はいないのではないか。また、そのような事を言う人を安易に信じてはならないように思っている。勿論、改革は必要であるし、また変革を志す事も必要だと思う。しかし、真の改革・変革は、長い時間をかけて成される事だと、私は考えている。また、有権者がその事(改革)に対して、その是非を十分に考える時間が必要だ。

ただ、選挙運動の期間が短すぎるので、考え選択する時間と材料が足りない。その事が、冒頭の、「誰に投票するかに逡巡している有権者が多くいる」という状況を生んでいる。勿論、それは有権者の政治への関心が高まった事の結果であり、民主主義の観点からは、進歩である。


最後になるが、私が今願っているのは、政治の混乱の抑止である。具体的には、今回の都知事選が与党のごたごたに発展しなければ良いという事である。勿論、建設的な侃々諤々は、与党内であっても、与党と野党とであっても必要だ。また、品格を保ち、真に都民の利益を考えた上で、丁々発止とやり合うことは、時に政治に必要かもしれない。しかし、決してそうではない、不毛な感情論に発展するようなことは、我々市民が迷惑する。

また私は、政治家には能力と情熱のある人を望むと先述したが、ここでいう能力とは「感性」の事である。政治家に必要なのは、実務能力もさることながら、「感性」と「情熱」であると私は思っている(経験は感性を磨き、情熱を湧出させるものだと考える)。

増田氏は同姓で、誠実な感じがするので期待したが、世論的には劣勢だ。その増田氏も、最後に都政に対する情熱と市民に対する感性を感じさせる事ができれば、逆転もあり得る。なぜなら、自民党支持者と公明党支持者の確実な支持を得られるだろうからだ。ただ、ここでいう市民に対する感性を感じさせるとは、難しい事かもしれない。本当に心の底から思う事でなければならないからだ。

平たく言えば、既得権益者、為政者の意見を聞くと云う感じではなく、名もない市民の声を聞くと云う姿勢である。また真の弱者への洞察力である。これは、与党から推薦されている増田氏の事を言っているのではない。私が観るところ、その感性は、増田、小池、鳥越、3氏すべてに足りないところかもしれないと、危惧しているのだ。

危惧が私の杞憂、妄想で終わるかどうか、それは選挙後にわかる。とにかく私は、3氏の中の一人に投票する。

蛇足ながら、リーダー、政治家には「感性」と「情熱」が一番重要だと繰り返したい。良い人がリーダーになりますように‥。




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2016年07月24日

故郷

テーマ:コラム
時々、発作のように故郷に帰りたくなる。

そこには、僕を支えた母はもういない。

僕を溺愛した祖母もいない。


だが、50年近くの歳月が一瞬に思えるほど、そこは変わっていない。

僕が幼い頃、そこには人が大勢いた。今はもう、その様子はない。


でも、そこに帰ると、その時のことを、この間の事のように思い出す。

同時に、東京にいる自分の家族が愛おしく思えてくる。

思い起こせば、僕の父は、幼い僕を車に乗せ、よく自分の実家へ連れていった。

僕は幼い頃、父の実家が大好きだった。僕は、もう一人の祖母にも可愛がられた。そして、いとこのお姉さんが大好きだった。


そんな僕も父親となり、わが息子を車の助手席に乗せるようになった。そんな時、昔の父の姿と幼かった自分を思い出す。

口うるさかったようにも思うが、優しい父だったと記憶している(記憶は良い思い出だけが残っているようだ。断っておくが父はまだ死んではいない)。

北陸新幹線が開通し、電車に乗れば、これまでの半分ほどの時間で帰れるようになった。

だが田舎で暮らす僕は、いつも車で帰省する。

もし、制限速度を守らなければ、5時間ほどで帰れるが、制限速度を守れば7時間はかかる。

もう僕も若くない。制限速度を守り、ゆっくりと帰る事にしている。

しかし、7時間の旅はきつい。それでも故郷へ帰りたくなるのは、父に会いたいからである。

幼い頃の僕は、いつも空手の練習に明け暮れていた。高校生の頃は、甲子園を目指す高校球児にも負けないぐらい、空手の為の訓練をしていたことを誰も知らないだろう。ゆえに、普通の若者らしい思い出はあまりない。本当にアウトサイダーだった僕は、自分の誇りの全てを空手に賭けたのだ。

若い頃の一時期、僕は家族に迷惑をかけた事がある。ゆえに、僕の残りの人生は、迷惑をかけた家族に対する贖罪だと思っている(大したことはできないが)。また、変わり者の僕と仲良くしてくれた友達の一人ひとりにありがとうと言いたい。

「まだ、人生が終わったわけじゃないのに」と人は笑うだろうが、日に日に故郷に対する感謝の念と懐かしさが強くなる。


さて話は変わるが、リオのオリンピックがこれから始まる。

諸問題があるようだが、僕は若い日本選手の活躍を期待している。

体操、陸上、柔道、レスリング、卓球、サッカー、フェンシング、バレーボール、ラグビー、水泳、重量挙げ、などなど。

全員が無事に力を発揮できることを祈っている。

僕には、リオのオリンピック、もう一つ注視したいことがある。それは、ブラジル日系移民の方々の日本人選手への感想である。

僕は、京セラの稲盛和夫名誉会長の主宰する塾の勉強会でブラジルを訪れたことがある。その時に、多くのブラジルの移民の方々の苦労とその偉大な業績を知った。

幼い頃、ブラジルは日系人が一番多い国と聞いたことはあったが、日系人について考えたことなど、それまでなかった。しかし、実際に日本からブラジルへ行き、日系移民の口から話を聞くと、認識は全く異なるものとなった。

日本から遠く離れたブラジルでの今回のオリンピック、関係者も大変だと想像する(人間の疲労度は移動距離に比例するときいた事がある?)。だからこそ、今回のオリンピックで、選手の頑張りのみならず、祖国からはるか遠く離れたブラジルで頑張った、日系移民の方々の気持ちを慮るのも良いのではないかと思う。

僕は移民の方々に対して、アウトサイダーとしてではなく、同胞として尊敬の念を持っている。

また、日本に住む我々には、「すぐにでも帰りたい」と、移民の方々が思うような日本・故郷を創っていくという自覚が必要だと思っている(もう移民1世の方々は存命ではないかな…?でも2世、3世の方に対しても同じだ)。






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2016年07月18日

感謝〜 フリースタイル空手研究会の有志へ

テーマ:FKプロジェクト
7月10日の増田道場の試合イベント(交流試合)の時、FK研究会の有志がフリースタイル空手の演武をしてくれた。

先ずもって、荻野聡氏を始め、宮村氏、坡場氏、スネイド氏、吉田健二氏、吉田晴夫氏、秋元氏、弥永氏に感謝したい。デモンストレーションをありがとう。

フリースタイル空手とは、私が考案した、打つ、蹴る、投げる等の技を駆使して戦う、新しい武道スポーツの名称である。

10年ぐらい前から構想し、4年ほど前にはトーナメントを開催した。
ここ2年は、スポンサーが降りたのと私の体の具合が悪く、指導が思うようにできないことで、休止状態であった。

それでも、今年はフランスで初のフリースタイル空手のトーナメントが開催された。また、私の道場生の有志たちが、フリースタイル空手の練習を続けていてくれた。今回は、その有志たちが私に代わって、フリースタイル空手のルールや技を、交流試合に参加した子供たちや保護者に披露してくれたのだ。みんな私が演武についてどう評価しているか、気になっていると聞いた。今私は、お礼の気持ちでこのブログを書いている。失礼だが、有志一同は若くない。また仕事もあり、演武の準備は大変だったろう。

改めて私は、彼らの気持ちに応えるために、理想の空手道を追い求めて、老骨に鞭打たねば、と思っている。構想はある。後もう少しで、自身の身体のリハビリと仕組み作りの第1段階が終わる。第1段階というのは、ようやく動ける段階である。さらに第2、第3の段階が、理想の実現には必要だろう。今回、私は有志に元気をもらった気がする。そして復活を急がなければと、思っている。日曜日は風邪気味で調子が悪かったが、有志の映像も作ってみた。後で見て欲しい。

話は変わるが、私の空手家としての座右の銘の一つに、「先達の真似をするな。先達の追い求めたものを求めよ」というものがある。私は先達の追い求めたものを真剣に追い求めているつもりだ。それが何であるかは、今回は多くを語らない。端的に言えば、空手家の技術のみならず哲学を高めることと言っても良いだろう。もしかすると、我が師は、「もっと空手を世界に広めよ」というかもしれない。もしそうならば、私は弟子として失格かもしれない。しかし、私は空手を世に広める前に、もっと深く空手を考え、その可能性を開拓したいと考えている。そして、その技術と哲学が本物ならば、普及は後から続くと考えている。


おそらく、多くの空手家が私を笑うだろう。なぜなら、まだ理想が形になっていないからだ。しかし、諦めるわけにはいかない。何をおいても、技術と哲学の完成だ(もちろん完成までは相当な時間が必要だが、まずは土台をと思っている)。断っておくが、フリースタイル空手という、新しい武道スポーツを広めることが、私のゴールではない。より高いレベルの武道哲学を完成させることがゴールだ。その部分が、今回の有志にはわかっていないかもしれない。有志には申し訳ないが、新しい競技(スポーツ)を作ることが私のゴールではないと繰り返し言っておく。あえていうならば、新しい武道を作るといったほうが良いかもしれない。私が新しい武道スポーツと目標を掲げたのは、まだ空手がオリンピック種目になっていなかったからだ。空手がオリンピックになったなら、新しい武道スポーツの創出は、私の目標の優先順位においては下位だ

ゆえに、これからはフリースタイル空手の方向性も修正が必要だと思っている。また、今回の演武で披露してくれた技も、100分の1程度のレベルにしか達していない。間合い、リズム、呼吸、虚実、投打(剛柔)一体、自他一体の意識が低すぎる。

現在、それを伝える稽古法を、私は考案中だ。実は大体の構想は出来ている。後はやりながら微調整だ。まだ、みんなには伝えていない。それを伝えることを楽しみにしている。ただ、これはやはり、増田流であり、拓真道流だ。ゆえに、これまでの空手の概念を一旦、棚上げできる者だけに伝えたい。なぜなら、素直な心持ちでないと、新しい技術の体得に時間がかかることが予想されるからだ。できれば、内弟子をとって教えるのが良いのだが…。



※FK演武は以下から〜下手で簡易な編集で申し訳ないが、ご容赦を…


https://youtu.be/jRCHpiWUpBk



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2016年07月16日

赤ひげ〜都知事選を見て思う

テーマ:日誌
「この病気に限らず、あらゆる病気に対して治療法など無い。医術などといっても情けないものだ。医者にはその症状と経過は分かるし、生命力の強い固体には多少の助力をすることができる。だが、それだけのことだ。」
「現在我々にできることは貧困と無知に対する戦いだ。それによって、医術の不足を補うしかない。貧困と無知さえ何とかできれば病気の大半は起こらずに済むんだ。」
「病気の影には人間の恐ろしい不幸が隠れている。」(映画、赤ひげより)


私は黒沢映画の大ファンだ。前記したのは、映画「赤ひげ』で主人公の医者(赤ひげ)が語る台詞である。私が「赤ひげ」を初めて見たとき、このセリフに痺れた。また、心も病んでいると思われる「おとよ」という少女に薬を飲ませるシーン。三船敏郎演じる赤ひげが、おとよに薬を飲ませ、「いい子だ」と一言いうシーンにも、私は痺れた。また、この映画の殺陣(柔術による格闘シーン)が斬新である。
さらに言えば、この映画の原作となった山本周五郎の小説が私は好きだ。思い起こせば、私が20代後半の頃、100人組手という荒行で身体を壊し、半年程、闘病生活を余儀なくされた時のこと。その時、今だと言わんばかりに、歴史小説を読んだ。私は司馬遼太郎も好きだが、山本周五郎の方が肌にあった。特に「長い坂」は、リーダーに是非一読して欲しい作品だ。

そして私は今、赤ひげのシーンを思い出している。赤ひげは、医術の分と役割をわきまえ、かつ世の中の問題の本質を「貧困と無知」だと喝破した。

私は貧困と無知の問題を改善するために、教育者はもちろんのこと、マス・メディアに関わる人達と経済人人にもっと頑張って欲しいと思っている(人間性の悪い経済人ならお前が頑張れと言い返すであろうが…)。また私は、赤ひげがいう医術を政治に置き換えてみた。すると、様々な社会問題に対し、より善い対策を考え、助力する。それが政治家ではないかと思えてきた。もし、それが妥当ならば、政治家の理想は、医者同様、深い人間洞察と仁愛の感性があることだと思う。しかし、そんな政治家は少ない(赤ひげは、無知と貧困に対して政治は何もしていないと喝破していたが…)。

さて、私が今、なぜ赤ひげを思い出したか?それは、都知事選を見ていて、暗澹たる気持ちになったからだろう。要するに、今回の都知事選後も、都政が良くなる事はなく、また似たような事態にになるような気がしてならないのだ。今まさに選挙戦の最中の方々には申し訳ないとは思うが、そのように、私は感じている。

ここで断っておきたい。私が政治について語るのは止めようと言いながら、こうも政治に関して冗長になるのはなぜか?その理由は、私の空手家人生の中心となっているのが、制度改革(システム改革)に他ならないからだ。私は、若い頃の挫折と極真空手での苦難に懊悩(おうのう)する中、ある思いが芽生えている。それは、システムを考え、それを創り変えるという事だ。ここでいうシステムとは、構造、制度、仕組みと言い換えても良い。大きくみれば、国家、家族、会社、業界等もシステムだ。また小さくみれば、人間もシステムであろう。


ゆえに私の仕事は、大げさに聞こえるかもしれないが、死ぬまでに空手武道による人間教育システムを創り上げる事だと言ってもよい。分不相応な夢を持つのは私の性癖だ。正直言えば、実現できるかどうかはギリギリの状態だと思っている。しかし、這うような感じで勉強とその準備を進めている。これまで、みんなに助けられてきたが、少しの油断も出来ないというような状態だ。そんな生き方をしてきているからこそ、この世の中の問題の本質がよく見えるのだ(よく見えるなど不遜だが)。

話を都知事選に戻せば、おそらく有権者には3名程の人間しか目に入らないだろう。正直言えば、どの候補者も今ひとつだ。もちろん、3人の中でより良い人はいるかもしれない。しかし、誰がなっても、都知事選後の混乱と落胆が明らかだ。

先日、私の良き理解者である荻野氏と電話で話をしたら、「上杉隆氏」はどうかという。

「上杉隆??」「なんか暗い感じのジャーナリストでしょ」と私は軽く答えたが、調べてみると、これが中々良さそうな人物だ。公約も良い。これで私の中に、上杉隆の名前が、インプットされた。しかし、当選はしないだろう。メデイアも取り上げないし、知名度が低過ぎる。

そもそも私は、東京都のみならず、国政に関しても、より本質的な事は、制度改革が必要だと考えている。その本丸は、選挙制度である。大雑把に言えば、政治家を選ぶ制度のみならず、政治家になるための制度と政治家に仕事をさせる制度の見直しも必要だと思う。それなりの選挙制度は確立されているとの反論が出ると思うが、私の見方では不十分だ。今回の都知事選も、知事を選出する制度に問題があると思っている。その辺を、マス・メディアや有権者に考えてもらいたい。何か、良い方法があるはずだ。

そのように考えていたら、自民党の河野太郎氏がSNSで良い提案をされていた。私は河野氏の提案は良い考えだと思っている。すぐに実現すべき提案だ。

最後にマス・メディアに対して、大衆が無知だと、おごるなと云いたい。無知を啓蒙するのがマス・メディアの仕事ではないか。しかし、そもそもマス・メデァアに読み手を啓蒙するほどの見識があるのか。私は疑っている(一方、メディアの方からは、啓蒙などというような傲慢な気持ちはございません、と嫌味な返答があるかもしれない)。ゆえに情報の受け取りに際しては、充分に吟味した方が良いだろう。また本当の問題点は、修羅場を経験し、真に考え抜いた人間にしかわからない事なのかもしれない。そして民主主義では、本当(真の問題点)の解決策が選ばれるのではなく、合意できる程度の事が選ばれる。否、本当の事は、志を高くもち続け、変革を続けた中で、見えてくると事柄だと思う。ゆえに、教育の理想とは、志を高める事だと、教育者は考えてほしい。

蛇足ながら、私がドラッグストアで買い物をしていたときの事である。私はレジの順番待ちをしていた。そこへ30歳〜40歳代の女性が、順番を抜かし、レジに向かった。私の前の60歳前半ぐらいの紳士が、「並んでいますよ」と優しく伝えた。その女性は見るからに不機嫌そうな顔をして、「そんなの、解らないわよ」とぶつぶついいながら、後ろへ回った。私は、女性の態度を酷いと思った。また、その紳士に申し訳なく思った。なぜなら、馬鹿な女性の相手を自分は放棄したのではないかと思いが芽生えたからだ。本来なら、私にも、その役回りをする必要があったかもしれない。先日、社会的弱者を子供や女性等とレッテルを貼ったが、それでは、購読者や視聴者を増やしたいメディアと同じである。弱者や女性などと一言で括らず、包括的、全体的な視点で、社会システムを考える視点と感性が必要だと思う。

2016/7/17 一部修正(誤字、脱字等を修正)







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2016年07月14日

政治について〜追伸

テーマ:コラム
交流試合で教え子たちが頑張ったので、上機嫌になっていた。
それで、調子に乗って政治について書いてしまったようだ。空手家の私が政治などを語っても無駄なことだ。しかし、書いてしまったからには、締めくくりを書いておく。

本日、宇都宮氏が東京都知事選の出馬を取りやめた。
とても残念だ。というより、これで都知事選が人気投票になってしまうと予想されることへの失望である。

宇都宮氏は私の好みの先生だ。前回も地方自治(東京都政)に思いがあり、出馬されたのだと思う。
宇都宮氏なら、格差社会へのセイフティーネットの構築に尽力したに違いない。いうまでもなく、東京は、我が国における、経済、政治、文化、教育の発信基地である。今後、それが地方に分散していくほうが良いとしても、首都、東京にふさわしい制度の整備をしていくことが東京都には必要だ。もちろん、生活者にとっては、それよりも前に東京都に安心して住み続けられるかということが大事な点だろう。ただ私は、生活者の安心も必要だが、それなりの義務も果たさなければならないという考えが妥当だと思っている。ゆえに、ただ都民にメリットのある公約をするのではなく、東京都にふさわしい制度設計ができる人が良いと思う。つまり、生活者の安心と共に長期的な展望を有する制度設計ができるリーダーが政治家になるべきだと思っている。

だた、問題はそのリーダーを選ぶのは、目利きではない市民なのだ。私だけだろうか。青島知事以来、大きくみれば、同じことの繰り返しだと思うのは。
百歩譲って、完璧な政治家などいないとしたら、私だったら誠実な人を選びたい。または、信念のある人だ。ただ信念の人は難しい。なぜなら、我々の目には、その信念の本質を見抜くことができないからだ。

兎に角、各党の存続をかけた利害のために政治家を決めるのは良くない。また人気投票では駄目だ。あえて言っておきたい。なぜ、野党は宇都宮氏を支持できなかったか?下衆の勘ぐりだが、次の都議会議員選挙などを睨んでいるのではないか。宇都宮氏を撤退させたことで、野党は必勝を確信しているようだが、そんなに東京都民は馬鹿だろうか(馬鹿かもね。何回も同じことを繰り返すのだから…)。

一応、偉そうに予想などしたので、予想の訂正をしておく。私は無難に増田氏を推したいが、勝つのは小池氏だと思う。ただし、小池氏にとっては凄まじい選挙になるだろう。正直、日本新党、新進党、小泉政権と、私の好みではなかった。しかし、その党を渡り歩いた、小池氏を応援したくなっているのはなぜだろう。

蛇足ながら
小池氏に言いたい(ブログに書いても伝わらないだろうが、テレパシーを送っておく)。
憲法改正の問題などお調子者に言わせておけば良い(おそらくもう言わないと思うが)。
小池氏に付け加えて欲しいのが、社会的弱者への思いやりだ、それをばら撒きではなく、モチベーションを喚起するような制度の提案を匂わすのだ。匂わすだけで良い。なぜなら、そのような制度設計は、宇都宮氏のような実務家などの衆知を集める時間が必要だからだ。軽く口走ってしまうと、これまでの政治家と同じになってしまう。断っておくが、社会的弱者とは老人のことでない。
むしろ若い人だ。そして女性だ。母親だ。心ある老人は、自分のことも大事だが、若い人、女性のことを考えているはずだから。歴戦の勇士である小池氏には、釈迦に説法かな(笑)。

以上、空手家の下らない話でした。これから自分の仕事に集中します。御免。
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2016年07月12日

初心を忘るべからず〜政治について

テーマ:コラム
初心を忘るべからず〜政治について

日曜日、我が愚息の初めての投票に同行した。ひとつ良き思い出が増えたと思っている。

私は安倍首相贔屓である。贔屓などとは不謹慎だと云われそうだが、政策面のみならず、人間性の好みがどうしてもでてしまうのは、仕方が無い。また野党の議員と候補の方々は、すべてではないが、人格面で貧弱な感じが否めない。

ただし、私は野党のすべてが良くないと思っているのではない。むしろ様々な意見がある国の方が善いと思っている。ゆえに野党に頑張って欲しい。繰り返すが、野党は戦略、戦術があまりにも稚拙で、候補者や議員の人格が貧弱である。

今、参議院選が終わり、次は知事選という段になり、その稚拙さが目につく。言うまでもないが、自民党のすべてが良いと、国民は思っていない。ただ野党が未熟すぎるのだ。

例えば、民進党を躍進させたいのなら、都知事選は蓮舫氏で行くべきだった。蓮舫氏の意志を尊重しなければならないのは当然だが、なぜ口説けなかったか。確かに国政と地方自治とは異なるが、東京都のあり方は、全国に影響を与える。その位置を野党が取り、反自民の「のろし」を挙げて行くのが野党として最善の戦術、戦略だと私は思っている。

現在、自民党は小池氏の出馬で、その弱点を露呈している。小池氏は、なかなか有力な政治家だが、国民が望んでいる政治家とは異なると思う。

話を端折ると、野党の問題、特に民進党の問題は、何と言われようが、共産党と是々非々で認め合い、仲間を尊重する姿を見せることだと云いたい。そうすれば、もっと勝てる。また、現在の状況では、都知事選は、宇都宮氏で一本化するべきだ。その度量をみせる事が、民進党が復活する、最善手なのだ(無理だろうな、民進党の度量では)。


イギリスのEUの離脱の予想も当たった。知事選の予想が当たらない事を祈りたい。私の予想では、小池氏が苦戦しながらも勝つ可能性がでてきたと考えている。なぜなら、民進党が人気投票路線という悪手を打ち、一方の自民も悪手を打っているからだ。断って置くが、私は自民党支持者だ。先輩が議員だし、自民党の人達と懇意にしている。一方でこの国の将来を心配する一市民でもある。ゆえに私は、バランスを取るという意味で、都知事は宇都宮氏が良いのではないかと思っている。おそらく、宇都宮氏は一筋縄ではいかない人だろう。だからこそ良いのだ。人気投票に勝てそうだから出るような人間は駄目だ。それを選ぶ市民もレベルが低い。現在、小池氏に叩かれている自民党都議連と宇都宮氏が正々堂々と勝負をするような政治を私は望んでいる。そして、メディアにも頑張ってもらい、我々市民の成熟を促して欲しい。


蛇足ながら、小池氏が苦しい戦いの中で、攻めなければならないのは、自民党の弱点だ。そこを認識できなければならないと思う。あえてそういうのは、そこが自民党の最も戒めなければならない弱点であり、そこを認識できれば盤石の体制が整うと考えるからだ。それは「言論統制、規制」ともとられかねない言動や措置をとらないこと、物事をなるべくオープンに進めるという事であろう。なぜなら、我々日本人が目指すべきは、最も成熟した民主主義国家だからだ。そのような国で最も重要なのは、言論の自由をどんな事があっても保証する事だ。そこを忘れなければ、都知事選のみならず、自民党の盤石な体制を築く事もできると思う。成熟した市民と国家は、自由でオープンな議論の中から形成されると思う。勿論、恣意的かつ無礼な言動と自由とは一線を画すのは言うまでもない。さらに蛇足ながら、小池氏には都議会を解散するなどと公約を掲げ、離党勧告に値する面もある。それでも、自民党は小池氏を離党に追い込まず、手を打つ方が良いと思う。なぜなら、今回の都知事選には、自民党と都議連に責任の一端があるのだから。ゆえに地方自治と国政は別とするなど、今回に限り、度量の大きさを見せて欲しい。兎に角、私が願うのは、この国が良くなっていくことだ。

最後になるが、私は、リーダーの政治の世界も庶民の生活の世界にも、世阿弥のいう「初心の教え」は通じるのではないかと思っている。今回、愛読書の一つである世阿弥の「風姿花伝」を「花鏡」と併せて紐解いた。御陰で、自分自身の未熟と不勉強に気づかされた。世阿弥の教えは、本当に素晴らしい。特に「花」の教えは、自身の思想に浸透させたい。(前回「初心」の続き)


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2016年07月12日

「初心」

テーマ:コラム


【初心】

世阿弥の晩年に著である、花鏡の一節に「初心を忘るべからず」と云う下りがある。50歳代以降の年代なら、中学校の国語あたりで学んだはずだ(学んでないかな?)。先日、私が主催する空手の交流試合の開会式で、「初心」について話をしてみた。

なぜ、「初心」の話をしたかと言えば、交流試合の前、朝日新聞のフロントランナーに柔道全日本監督の井上康生氏のインタビューが掲載されていたからだ。

その記事には、「初心」と云うタイトルが掲げられていた。井上康生氏はシドニーオリンピック柔道種目でオール一本勝ちにより、金メダルを勝ち取った、天才柔道家である。子供の頃柔道に打ち込んだ事もある私は、井上康生氏は大好きな柔道家の一人である。現役時代の井上康生氏を私もテレビを見ながら応援していた事を思い出す。

記事には、井上康生氏の51歳で急逝した母親が、康生氏に宛てた最後の手紙にあった言葉を胸に刻み込んでいると書いてあった。母からの最後の手紙には、「すべて初心に返って頑張ってください」と締めくくってあったようだ。

井上康生氏は、「強くならなきゃ」とではなく、「強くなりたい」という気持ちで柔道に打ち込む事が大切だと説く。おそらく、「勝たなければならない」「負けてはいけない」という気持ちではなく、「強くなる」また「強くなるために戦う」というような純粋な気持ちで戦うこと。そして、その重要性を若い選手達に伝えたいのだと思う。おそらく、井上康生氏の母親には、天才的な技の感覚と集中力を持って、無心に相手と柔道をしていた息子の姿を取り戻して欲しいとの思いがあったのだろう。また、わが子が無邪気に、かつ無心で柔道に集中すれば、勝てると信じていたのだと思う。

【主体性】
私には、「初心」と云えば、世阿弥の「初心を忘るべからず」の言葉が念頭にあった。ゆえに、井上氏の初心の教えには、少しだけ違和感があった。しかし、「いや、井上氏の教えは良い教えだ」と思い直し、子供達に伝えることにした。一読すると違和感のある井上氏の「初心」と世阿弥の「初心」を繋ぐ共通項を見つけたからだ。それは「主体性」ということである。つまり、他者の評価や考えに左右され行動するのではなく、自分の意志で行動するのが、チャンピオンなる人間だという風に言い換えても良いだろう。

【世阿弥の教えについて】
さて、世阿弥の言葉を知らない人からすれば、私が何を言っているかわからないと思う。ここで世阿弥の教えについて、少し書いてみたい。世阿弥とは、我が国の伝統芸能である能の先達である。その世阿弥が著した、「風姿花伝」や「花鏡」は、我が国の文学史上に燦々と輝く、珠玉の作品の一つである。私が世阿弥の名前を知ったのは、大山倍達先生の著書であった。大山先生も空手の求道者として、能の求道者である世阿弥に共感したのだと、幼い頃の私は考えていた

【初心を忘るべからず〜超々意訳】
最後に花鏡からの抜粋文を掲載しておくが、原文は古文なので難しい。世阿弥の言いたい事を、不遜だとは思うが、私流に超々意訳をしたい。もう少し正確かつ丁寧に書き記したいが、今は忙しいので、独断はご容赦願いたい。

(増田流、超々意訳)
《我々の流派には、すべてに通じる重要な言葉ある。「初心を忘るべからず」だ。
この教えには3つの教えがある。それは、初めて事物を経験する時(若い時)の感覚・意識、様々な事物を経験する、その時々(青春時代)の感覚・意識、様々な経験を経て、その上でさらに事物を経験する時(老成時)の感覚・意識、その3つの感覚・意識(初心)をしっかりと認識する事が重要だという事だ。そうすれば、熟練した後の感覚・意識をより善いものにできる。さらに、現在の結果の中に潜在する、因果の因(原因)を見極められれば、将来の果(結果)を善い事と為せる。つまり、この3つの感覚・意識とその変遷を認識できれば、より善い認識を得て、より良い結果を得ることができるのだ。また、その認識は自己の上達の過程を認識できるという事でもある。そのような者には、花(世阿弥の考える芸の核心)の種が絶える事がない。》〜時間があるときにもう少し丁寧に意訳を試みたい。御免。



【世阿弥の教えの本質とは何か】
いうまでもなく、世阿弥は芸の求道者である。そして、著書で門人に対し、生涯を通じて優れた芸を表現できるよう、教えを説いている。

世阿弥の教えの本質とは何か。私は「意識を高める事」「主体性の発揮」「事象の俯瞰」だと思う。

最後になるが、若い人も年を重ね、やがて老いる。アスリートも同様。さらに言えば、功を成した権力者も老いる。そのような移り変わりの中で、人間として輝き続けるには、この世阿弥の「初心わするべからず」の言葉は、至言、珠玉の教えと言える。冷房のない、暑い武道場での試合の前、長い話、難しい話は絶対にしてはならないと思い、話を端折ったが、私の弟子達、弟子と思う人には、この世阿弥の初心の教えを丁寧に伝えたい。前述した井上康生氏の母親の言葉も、自らの死を前にして、我が子に「初心」と伝えた。その言葉が湧出した背景には、世阿弥同様の深い思いがあったと私は思う。おそらく、多くの人には伝わらないかもしれない。世阿弥もそのような事を風姿花伝で書いている。




花鏡(原文)

然(しか)れば、當流に、萬能一德(まんのういつとく)の一句あり。
初心不レ可レ忘(わするべからず)。此句、三ヶ條(の)口傳(くでん)在(あり)。
是非(ぜひの)初心不レ可レ忘。
時々(じじの)初心不レ可レ忘。
老後(らうごの)初心不レ可レ忘。
此(この)三、能々(よくよく)口傳可レ爲(すべし)。
 一、是非(ぜひの)初心を忘るべからずとは、若年(じやくねん)の初心を不レ忘(わすれず)して、身に持ちて在れば、老後にさまざまの德あり。「前々(ぜんぜん)の非を知るを、後々(ごご)の是(ぜ)とす」と云(いへ)り。「先車(せんしや)のくつがへす所、後車(こうしや)の戒め」と云々(うんぬん)。初心を忘るゝは、後心(ごしん)をも忘るゝにてあらずや。劫成り名遂ぐる所は、能の上(あが)る果(くわ)也。上る所を忘るゝは、初心へかへる心をも知らず。初心へかへるは、能の下(さが)る所なるべし。然者(しかれば)、今の位を忘れじがために、初心を忘れじと工夫する也。返々(かへすがへす)、初心を忘るれば初心へかへる理(ことはり)を、能々(よくよく)工夫すべし。初心を忘れずは、後心(ごしん)は正しかるべし。後心正しくは、上る所のわざは、下る事あるべからず。是(これ)すなはち、是非を分(わか)つ道理也。




2016/7/12 一部修正



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2016年06月13日

IBMA理事長からのメッセージ2016

テーマ:その他
【近況報告】

IBMA極真会館岡山県大会に行ってきました。
香川の選抜チームも参加しており、岡山対香川の試合は、特に白熱していました。

私は、フルコンタクト空手の選手の情熱や身体能力を活かせば、もっと面白いことができると、いつも思います。しかしながら、システムやプロデュース等が旧態然として…。ただ、選手の頑張る姿は、いつも素晴らしいと思います。

今回、役員席から撮った、試合前の写真と岡山県大会のパンフレット用に書いたメッセージを載せておきます。この原稿は、結局、掲載していません。いつもながら、大仰なので…。昔、妹に言われたことがあります。お兄ちやんの話は大きすぎる、と。おそらく、みんな同じことを思っているに違いありません。だから、もう…。



IBMA理事長からのメッセージ2016
増田 章

【これからの空手界について】 
 3年前、2020年オリンピックの東京開催が決定しました。その東京オリンピックで空手が追加競技として、ほぼ確定しています。空手がオリンピック競技となれば、空手の再認知が世界中でなされるに違いありません。
 それに伴い、我々空手人に対する、社会的責任も高まると、私は思っています。ゆえに、これからの空手界は、それなりの心構えを有する必要があると考えています。さらに、その心構えの有無と内容によっては、空手界発展の好機を逃すことになると思うのです。ここで、空手界に対する私の思いを、少しだけ述べさせていただきます。
 現在、空手界は多様な流派が乱立し、空手界と言う認識も希薄のように見えます。また、すべての流派、愛好者がオリンピック競技に関わっているわけではありません。ゆえに、空手のオリンピック競技化に関して、実質的には無視というような立場を取る人も多く存在すると思います。また、空手界と個人との間には関係性がないと考える人も少なからず存在するのではないでしょうか。しかしながら、空手界外部の人からすれば、オリンピックにより、空手が同一のものとして注目され、現実の諸問題が鮮明になっていくように思います。私は、各流派の小異は別として、オリンピックを契機に、各指導者が大同を認識し、より良い空手界の形成への一歩を踏み出す必要があると思っています。また、「斯界のより善い発展には、それを構成する人間のより善い人格形成が必要条件である」という現実認識を持つ必要があると考えています。平たく言えば、「空手人が人間的成長を果たせば、必然的に空手界もよくなる」ということです。さらに補足を加えれば、空手愛好者一人ひとりが空手道と空手界を善くしたいと考えるようになることが必要だと思います。
【21世紀の武道人(BudoMan)
 ここで、空手界における私の立場を述べておきます。私の立場は、自らの空手流派を伝統と独自性を内包する日本武道として確立したいというものです。しかしながら、スポーツと云う普遍化した価値観と空手道、日本武道が融合することに反対、批判する立場ではありません。なぜなら、時代背景を基盤とする価値観は技術革新等により、変化するのが当然だと考えるからです。ゆえに最も重要なのは、変化する事象の本質を探究し、より善いものを再創出して行くことだと考えます。補足を加えれば、武道も時代背景を基盤とした価値観の総体なのです。よって武道を人間形成に役立たせるのであれば、伝統は伝統として尊重し、その上で変化していくのが当然なのです。同時に価値観の画一化という、時代状況にも流されないようにすることも重要だと思います。私は、これまで我々が信じてきた、勝負偏重主義の中にも、価値観の画一化へ向かうウイルスのようなものが潜んでいたのではないかと疑っています。また、「多様な伝統的価値観を認めつつ、より本質的かつ普遍的な価値観を共に創出していく」というように、軌道修正が必要だと思っています。私がIBMAの創立当初に提唱した、「21世紀の武道人(BudoMan)」とはそのような大きな目標を持ち、新しい武道界を創出していく人間のことでした。

【国際的人格形成】
 これまで国際武道人育英会は、空手を手段に、国際的人格形成を目指した活動をしてきました。ここでいう人格形成とは、自己のバックボーンである文化性(価値観)を認識しつつ、他者のそれ(文化性)を尊重できる人間となることです。また、既存の多様な文化性(価値観)を包摂できる、より普遍的な文化性を生み出していける人間をめざすことです。
 今私は、国際武道人育英会・極真会館の長として、これまで以上に、団体として襟を正し、人格形成について深く考えて行きます。そのような心構えと理念を核に、微力ながら、これからの空手界のより良い発展に一助となりたいと考えています。また、勝者となることのみならず、負けることをどのように受け入れ、昇華して行くかが心の修練で重要だと考えています。さらに、勝敗を超越した、真実(まこと)の勝利をいかに掴み取るかが、勝負の道における心の修練のテーマです。そのように考えて行けば、より善い社会の創出という目標に対し、スポーツと日本武道が共闘、共創、共存していけるものだということが、ご理解頂けると思います。
 最後に、IBMA極真会館の空手競技大会は、オリンピックを目指す大会ではありません。しかしながら、「人格形成の手段」という点では、それに勝るとも劣らない志をもって開催するものです。何卒、IBMA極真会館の活動理念に対する、より多くの皆様の理解と協力をお願いします。



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2016年01月03日

Kyokushin way(極真ウェイ)

テーマ:日誌

2016年がスタートした。

実は年末に高田馬場道場の移転を決断した。
年末はその準備に追われていた。移転は年始に実行する。身体のリハビリと道場業務の整理整頓と併行しての準備は、大変なストレスを伴う。しかし、この道を避けては次に進めない。必死にやれることをやっている。とても大変だが、世の中にはもっと大変な人がいると、自分を奮い立たせている。例えば、昨年も自然災害の被害に遭われた方や病により夭折された方がいた。

不謹慎と云われるかもしれないが、そんな方々の状況を思えば、心が強くなる。さらに心優しき増田道場生の協力が私の支えとなっている。

さて、年末から身の回りの整理整頓が続いている。おそらく2016年は整理整頓であっという間に過ぎるであろう。しかしながら、確実に整理整頓がされるようにしたい。先ず、断捨離だ。もちろん、アーカイブも大切にしたい。しかし、一旦捨てることも必要なのではないかと思っている。なぜなら、そんなに時間が残されているとは到底思えない。幸い、良いソフトを手に入れたので、それを使ってデータベースの構築に努めたい。私はこれまで、情報をより迅速に処理し、それを活かす方法を確立したいと考えてきた。昨今のIT分野の進展による、様々なアプリケーションソフトの誕生はとても有り難い。しかし、重要なのは、自分にとって一番大切なものが何かを見極めることだろう。私の人生は、失敗の上に成り立っているようなものだ。また、これまで汚名返上と勇んで生きてきた。ゆえに、一番大切なものを忘れがちだが、その失敗の上に成り立っているような人生の中から見つけだした最も大切なものこそが、本当の宝だとも思っている。

今日、書類の整理の合間、極真空手の道場訓の英訳を見つけた。仕事の合間、「気晴らしに英語の勉強でもするか」と思いながら見直した。この英訳は、我が増田道場生のフイリップ(アイルランド人)が行なったものだ(フイリップ、いつも協力ありがとう)。

運動とは縁がなかったと、10年ほど前に語っていた、フイリップが弐段になった。そして武道の世界に浸り込んでいる。私は彼のような者の期待に応えるためにも、原点に還る。

極真空手の道場訓の最後には、「吾々は、生涯の修行を空手の道に通じ極真の道を全うすること」とある。その「極真の道」の増田流解釈を以下に述べたい。極真の道とは、現実(リアル)との対峙を前提に「自己の本性を見極め、自己にしかできない生き方を完遂することだ。言い換えれば、自分流(マイウェイ)を切り拓くことと言っても良いだろう。

補足を加えれば、その自分流が他者を利すること(他者を益し、他者に貢献することの意味)が最高の境地である。さらに言えば、増田流の「極真の道」の解釈は、自他を活かす理法、方法を意味する。当然、異論があるだろうが、私は以上のように解釈する。

蛇足ながら、昨年暮れ、眼の具合が悪く、眼科に2度、お世話になった。加齢による劣化が進んでいる。繰り返すが、一番大切なものを見つけだし、大切にしたい。あたりはついているが、それを確信に変えたい。空手道の普及と言う仕事に関しては、原点に還りたい。何を原点とするかは、人によって様々かもしれない。それにはあえて言及しない。大事なことは、私にとっての原点だ。私の原点は、心の浄化、魂を鎮めることだと思っている。ゆえに私は、絶えず理念(哲学)を見直し、その具現化に向けて取り組みたい。



1.Hitotsu, wareware wa, shinshin o renmashi, kakko fubatsu no shingi o kiwameru koto.

We will train our hearts and bodies for a firm unshaken spirit.

2.Hitotsu, wareware wa, bu no shinzui o kiwame, ki ni hasshi, kan ni bin naru koto.

We will pursue the true meaning of the martial way so that, in time, our senses may be alert.

3.Hitotsu, wareware wa, shitsujitsu goken o motte, kokki no seishin o kanyo suru koto.

With true vigour, we will seek to cultivate a spirit of self-denial.

4.Hitotsu, wareware wa, reisetsu o omonji, chojo o keishi, sobo no furumai o tsutsushimu koto.

We will observe the rules of courtesy, respect our superiors, and refrain from violence.

5.Hitotsu, wareware wa, shinbutsu o totobi, kenjo no bitoku o wasurezaru koto.

We will follow our religious principles and never forget the true virtue of humility.

6.Hitotsu, wareware wa, chisei to tairyoku to o kojo sase, koto ni nozonde ayamatazaru koto.

We will look upwards to wisdom and strength, not seeking other desires.
7.Hitotsu, wareware wa, shogai no shugyo o karate no michi ni tsuji, Kyokushin no michi o mattou suru koto.

All our lives, through the discipline of karate, we will seek to fulfill the true meaning of the Kyokushin way.


日本語の道場訓





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