いつものことだが、大仰な書き出しだ。
大竹史朗というのは、ニューヨーク在住のギタリストだ。
私達は同じ年である。
最近、同じ友人を介して知り合った。
以前にもブログで紹介したことがあるが、彼はアルゼンチン民族音楽の英雄、ユパンキの継承者の一人としてアルゼンチン本国の人達にも認められているようだ。最近、アルゼンチン政府の招聘でアルゼンチンにおいてコンサートを行い、成功を収めたと報告を受けた。
彼の専門はフォルクローレと云う、平たく言えば、アルゼンチンの民族音楽である。
私は、音楽に無知だが、昔から弦楽器の音色は好きであった。
眠れない夜は、バイオリンの曲を聴きながら寝たりしていた。ギターの曲も大好きである。
兎に角、テンションの高い私は、寝る前にテンションを下げる必要がある。
そのためには、弦楽器の音色はとても心地よい。勿論、テンションが更にあがる曲もあるだろう。
昨日、大竹氏がニューヨークから、私に曲を送ってくれた。
タイトルは「タクシンの道」である。彼が私と会食した後、インスピレーションが湧き、できたものだと云う(ユーチューブに曲をアップしています)。
彼は私を、カミナンテ(道を往くもの)と云ってくれた。私だったら、「同志!」と叫ぶところだろう。
要するに、彼とは魂がバイブレートしたのだ。
彼は4月に銀座のヤマハホールでコンサートを行うと云う。
私にも来て欲しいと云うが、恥ずかしい話、今の私には全く余裕がない。
「ブログを書く余裕があるではないか」と云われるだろう。
しかし、毎日朝から、業務をこなし、夕方から指導。そして帰宅後、また業務というような毎日である。本日は睡眠時間を削り、名古屋経由で三重県の川瀬先生にご挨拶だった。本当は東京にトンボ帰りをした方が良いのだが、移動中に電話やPCを使って業務をした。かなり無理をしている自分に対するご褒美も兼ねて墓参りのため、石川に帰郷することにした(私は墓参りが好きだ。でも褒美なんかもらえる状況ではない・・・)。日曜の朝には帰京する。
そんな中、大竹氏の曲は、私に気力を与えてくれた。現在、夜中の3時近く。早く寝なければ・・・。そして、もう語るのはやめよう。
しかしながら、私にとって書くということは、単なる報告や伝言のための行為ではない。それは内観であり、心の浄化ための行為と言っても良い。
私は今、50年近く変わらない場所で、このブログを書いているが、ここに昔は母がいた。また祖母もいた。荒んだ自分もいた。努力家で真直ぐな自分もいた。
私は帰省すると、老いた父を世話する妹を励ましている(つもりである、相手はどう思っているかわからない)。
唐突だが、人生も終盤を迎えた私がこれから望むことは、「私の存在が誰かの役に立つこと」だ。
これまで、いつも大きな夢を語ってきた私の言葉とは思えないかもしれない。
幼い頃、「人生とは?」なんて大仰なタイトルの本に惹かれた私だが、今、人生なんてそんな大仰なものではないような気がしてきている。そして思うことが、先述の「私の存在が誰かの役に立つこと」である。
今日は、もう止めにする。考えるのは・・・(今日の移動距離は700キロぐらいかな、かなり疲れている・・・)。
大竹氏の曲に対し感じたことを詩で表現したい。そして、それを大竹史朗氏からのギフトへの応えとしたい。
同志へ
喜機(きき) ~ タクシンの道(リンク)平成二十六年一月三十一日 金沢の荒ら屋にて
喜ぶがいい
どんなに怒れる時も
喜びの精霊達は傍にいる
喜ぶがいい
どんなに哀しい時も
喜びの精霊達が傍にいる
喜ぶがいい
どんなに苦しい時も
喜びの精霊達が傍にいる
喜びの精霊達は
言葉を持たない
声を持たない
眼には見えない
お前が怒れる時や哀しい時、
苦しい時に
喜びの精霊達が傍にいる事を
感じることができたなら
それが本当の喜びの瞬間だ
そして,本当のお前を
掴むことができた瞬間だ
2014-2-7修正
2016−9ー20修整
