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2017年03月06日(月) 01時09分05秒

おお~っと!!合わせ鏡の戦い模様だ!!

テーマ:流星仮面二世(談)

どうも!!流星仮面二世です!!


さて、以前このようなお話をしたことがありましたが・・・


プロレス都市伝説?


現在、SNSを介して自分と似ている人を見つけるのがひとつの流行りのようで・・・探して会い、一緒に写真に納まったり交流を持ったりする人がいるようなんですね。


その人たちはもちろん自分の血縁でもなければ国もちがう人なのに、単にそっくりというだけじゃなくて性格や嗜好も似ていたりすることが多いようです。本当に不思議なものです。


そんな似ている人、プロレス界ではどうでしょうか?今回はちょっと、そういうのを探してみましたので、よかったらお付き合いください。


では行きましょう。まずはこちらから。



第1試合 ヒクソン・グレイシーvsスタニスラウス・ズビスコ


ヒクソンはもう説明する必要はないですね。400戦無敗の男の異名をとる総合格闘技のレジェンドであります。


スタニスラウス・ズビスコは1878年ポーランド出身の伝説的なレスラーです。デビューからヨーロッパで無敵を誇り、1909年にアメリカに渡って1910年にフランク・ゴッチに敗れるまでなんと944戦無敗という強豪だったそうです。1921年5月6日に43歳にしてルー・テーズの師であるエド・ストラングラー・ルイスを下して世界王座を初戴冠。その後1953年、77歳の誕生日まで現役でやっていたという経歴を持ちます。


400戦無敗と944戦無敗の結末はいかに!?さあ見てみましょう。




ヒクソン・グレイシー(左) スタニスラウス・ズビスコ(右)


これはあれですね。お盆に親の実家に帰省したとき毎年目にする、壁に飾ってある自分の知らない先祖の写真を見て、この写真の人のことは知らないけど、自分と繋がっている人なんだろうなぁ・・・と回想していると、そこに、この人が気になるのかい?とおばあちゃん。この人はねぇ~おばあちゃんのお父さんの、そのまたお父さんのお父さんでね、日本がまだね・・・といった感じの似方ですね。


まあでもあの、体型はおそらくヒクソンの方がスマートだと思われますが、ご覧のようになかなか似ています。しかし容姿も然り、無敗伝説や長く格闘技をやっていけるための体、つまり自身の体調管理の配慮、コンディションキープなどが似ていたのかなと、そんな気がします。時代はちがえど強者の共通点はあったようですね。


お次はこちらです。



第2試合 カール・アンダーソンvsカール・フォン・ショッツ


現在のプロレスファンにはおなじみのカール・アンダーソンは2002年にプロレスデビューしているんですね。デビューからしばらくはインディ団体で活動していましたが2006年頃からロスに移り活動。そのとき当時あった新日本プロレスのロス道場でトレーニングを積んだようで、新日本にはこの辺りからのご縁だったのでしょうかね。そんな日本へは2008年に初マットを踏んで以来、タッグではIWGPタッグとGHCタッグの2冠王に輝いた時期もあり、また2012年にはG1クライマックスで決勝戦に進むなど新日本では重要なポジションで活躍してきました。現在はWWEで大活躍中です。


一方、カール・フォン・ショッツは1971年デビュー。元々カナダ出身で本名のジョン・アンソンのリングネームで活動していましたが72年に髪の毛を剃り上げナチス・ドイツ系のヒール、カール・フォン・ショッツに変貌を遂げます。そして間もなく同じナチス・ドイツ系のヒールだったクルト・フォン・ヘスとタッグを組み大暴れしました。日本へは74年にNWA北米タッグ王者としてヘスと共に新日本プロレスに最初で最後の来日。第1戦目になる5月24日の足立区体育館で星野、猪木組と3本勝負で対決し、ショッツは1本目を星野から、そして2本目は、なんと猪木からフォールを奪い、ひとりでツーフォール取っての大活躍を見せました。シリーズ中に行われた猪木、坂口の黄金コンビを相手にした北米タッグの選手権試合でも奮闘し新日黄金コンビ相手にタイトル奪取を許しませんでした。


この時点ではタッグというのが共通のワードですが果たしてどうでしょうか?では見てみましょう。




カール・アンダーソン(左) カール・フォン・ショッツ(右)


これは似・・・な、なんですと?ハゲでヒゲ面ならスティーブ・オースチンでもゴールド・バーグでも、はてはザ・ジャッカルでも同じだろうって?うむむ・・・


いえしかし、確かにハゲのヒゲ面は似るかもしれませんが、特にこのショッツは似ているんですよ。他の画像、これなんか見るとどうですか?




時空を超えた対決、猪木vsアンダーソン


一瞬ちょっと錯覚しますよね。


しかしながら、残念なことにショッツのこのスタイルは非常に短いものでした。来日した同年の8月に猪木、坂口と今度はロスで北米タッグ戦を行いましたが、このときにはショッツはコスチュームこそ同じでしたが、もう髪の毛を伸ばしスキンヘッドではありませんでした。この北米タッグ戦以降、ヘスとタッグは組んでいないようなんです。おそらくタッグチームを解散する方向でのイメージチェンジ中だったのかもしれませんね。


何度も日本へ来たアンダーソンに比べショッツが日本へ来たのは一度だけ。ショッツが引退した年アンダーソンはわずか3歳。出身地も時代もまったくちがい、しかもアンダーソンとちがい短い期間しかスキンヘッドでなかったショッツ。それを考えると、これほど似ているふたりを見れたのは奇跡だったのかもしれません。カールというリングネームも、そしてどちらも新日本とくると、やっぱり不思議な感じがします。


続いてはこちらです。


第3試合 AJスタイルズvsキング・クロー


ボクの持っている本には詳細なデータが載っているものがないので経歴などがご紹介できないんですが、UNヘビー級のタイトルの歴史を紐解いたとき必ず出てくるのがこのキング・クローです。72年1月に猪木が日本プロレスを除名されたことに伴い、UNヘビー級王座を返上した際に王座決定トーナメントがカナダのバンクーバー・オーデトリアムにて行われたのですが、そのときルーク・グラハム、カウボーイ・ビル・ワット、グレート・ボリス・マレンコなど総勢12名にもおよぶ強豪レスラーを押さえ優勝したのがクローでした。


一方のAJスタイルズは98年にデビューしているようですね。で、ボクは来歴、まったく知らなかったんですが調べたらなかなかおもしろいんですよ。まず名前、これなんでAJだと思います?これあれなんですよ。本名がアレン・ジョーンズだからなんですよ。これってマグナムTAのテリー・アレンと同じ感じですよね。おもしろいですね。で、プロレスの方ですが2001年2月にWCWに参戦、同年7月にはWWFに参戦して試合しているんですよ。このときの両団体でポジションはわかりませんが、デビュー3年ほどで当時のメジャーどちらも出ていたのはスゴいですね。その後、2002年6月からはTNAに参戦。このタイトルの初代王者となっているようです。日本へは初来日が2003年1月、なんとZERO-ONEに参戦だったんですね。で、2005年ビッグマウスのWRESTLE-1 GRAND PRIX 2005に参戦。新日本プロレスには2008年1月に初めて参戦してきたというわけなんですね。以降の活躍はもうすっかりお馴染みですね。日本ではIWGP、アメリカでWWEの王者に登り詰めています。


さあ、AJは本当にザ・フェノメナール・ワンだったのか!?見てみましょう。




AJスタイルズ(左) キング・クロー(右)


似てますね~!!なんか、タイムスリップした主人公が若い頃の父さんとバッタリ会ってしまい、思わず、と、父さん!何言ってやがる!おれには子供なんかいねぇぜ!?誰なんだおまえは!?いや、その、ボクは未来から来たあなたの・・・的な似方ですよ。


こちらはロスで行われた坂口とのUN戦ですが、横顔や全体的なフインキも似ているように見えます。




時空を超えた対決パート2、坂口vsAJ


AJスタイルズ、現在プロレス界では一番名前が知れている文字どおりのトップ・レスラーです。一方、キング・クローはカナダを主戦場にしていたようですが、このUNの歴史以外に本などでその名を見ることはありませんでした。坂口に奪われたUNを追ってやってきた、日本へのたった一度の来日。もし猪木が除名されずUN王者のままだったらボクらは名前すら聞くことがなかったかもしれません。そう考えるとアンダーソンとショッツ同様、これほど似ているふたりを見れたのは奇跡だったのかもしれませんね。


続いてはこちらです。



第4試合 ポール・エラリングvs松岡昌宏(TOKIO)


さあポール・エラリングです。エラリングは1978年にプロレスラーとしてデビュー。鋼鉄の鷲といわれるほど、その全身の筋肉は隆々でパワーファイターとして活躍しました。日本へは81年に国際プロレスに初来日しています。このときはテリー・ラザンとのコンビでラッシャー木村、マイティ井上に勝利し第24代のIWA世界タッグ王座を獲得しました。しかしその後、体調面での不調を理由にマネージャーに転向。ジョージアでヒールのユニット、リージョン・オブ・ドゥームを結成。ここにザ・ロードウォリアーズも加わり人気が上昇するとウォリアーズの専属マネージャーになりブレーンとして大活躍。85年3月8日、全日本プロレスの激闘! エキサイティング・ウォーズの船橋大会にてザ・ロードウォリアーズのマネージャーとして国際プロレス以来の来日をし、以降お馴染みの存在となりました。


松岡昌宏はご存じTOKIOのメンバーです。これはもう説明いらないですね~。


かたやリージョン・オブ・ドゥーム、かたやジャニーズ。まさに異種格闘技戦!!見てみましょう。




ポール・エラリング(左) 松岡昌宏(右)


これはなんてアメリカンな松岡くん!!似てますね~!!


ちなみにこちらはウォリアーズのマネージャーのときのエラリングです。




似てるなぁ


うーん、やっぱり目や鼻など個々のパーツが似ている気がします。松岡くんは顔の彫りが深く目鼻立ちがハッキリしてますから、外国人の顔と比べても見劣りしないんでしょうねぇ。


ちなみにボクと松岡くんは誕生日が一緒ですが残念ながら似てはいません。あんなかっこよけりゃな~人生も変わってただろうな・・・


さぁ次はこちらです。



第5試合 スパイロス・アリオンvs大葉健二


ギリシャの英雄のニックネームを持つアリオンは61年、パリでデビュー。デビュー後はヨーロッパ圏でファイトしていましたが4年後にオーストリアに渡り65年7月にIWA世界ヘビー級(国際プロレスのとは別)を、あのキラー・コワルスキーから奪取します。その後このタイトルのチャンピオンとして防衛戦を行い人気を上げます。その防衛戦の相手にはカール・ゴッチも名を連ねていたそうですが、アリオンはゴッチ相手にもタイトルを防衛しているようで、その実力も伺えます。66年にはWWWFに参戦。ここで人気が爆発し、その活躍は日本でも注目され、71年に日本プロレスに初来日時は大きな期待が持たれました。しかしこのときは同じく初来日だったミル・マスカラスに押され気味になり本領発揮できずに終わってしまいました。日本へは2度来日しています。


で、大葉健二さんです。これはボクらの年代なら知ってますね!!宇宙刑事ギャバンの烈さんですよ!!ボク大好きでしたねー!!バトルケニアもデンジブルーももちろん好きでした。こうね、大葉健二さんはけして二枚目役とかじゃないんですけど、とにかく動きと、あと存在がかっこよかったんですよ。敵が現れたときの身構え方なんか最高でしたね。今の戦隊モノとか特撮ヒーローって主人公がイケメンばかりで、まあそれはそれでいいことなんですが、やっぱり本来子供が求めるヒーローってギャバンの烈さんみたいな感じの方が・・・って、話が終わらなくなりそうなんでこの辺で締めます。なはは・・・


ではギリシャの英雄vs宇宙刑事!!見てみましょう。




スパイロス・アリオン(左) 大葉健二(右)


んぉぉー蒸着!!これはそっくり!!


眉と目と、鼻から顎のラインが・・・いや、というか全体的に似ています!!


の上の画像は80年代後半のスパイロス・アリオンなんですが、下の60~70年代の若いときのもまた似てます。




これも似てんなぁ~


やっぱり眉と目が特に似ていますね。これは遺伝子レベルで調べればなんかあるような、そんな似方に感じます。


それにしても・・・小学4年のときはギャバン見てエンディングの星空のメッセージ聴いて、次回の予告見て・・・で、そのあとワールドプロレスリングが始まるわけなんですね。よかったなぁ・・・あの頃に戻りてぇ・・・


さあ次です。いよいよ佳境に入ってまいります。行ってみましょう。



第6試合 木戸修vsフランク永井


木戸はもうプロレスファンなら説明いりませんよね!現在は娘さんがプロゴルファーとして活躍していますが、時折一緒にテレビなんか出てますよね。


一方、対しますはフランク永井さんです。昭和の「ミスタームード歌謡」と言っても過言ではない、世界最強レベルの甘ぁい低音の声を持ったフランク永井さん。1957年「有楽町で逢いましょう」が大ヒット。59年には今なお歌われますデュエット「東京ナイト・クラブ」がヒット。61年には「君恋し」で第3回日本レコード大賞を受賞。日本レコード大賞で大賞1回、歌唱賞2回、特別賞を3回!NHK紅白歌合戦には連続26回出場!!ボクの歳でも口ずさむことができる「おまえに」など、後世にまでその歌声を残した偉大なる歌手でした。


そんなふたり、いぶし銀vsムード歌謡の帝王、どうでしょうか?見てみましょう。




木戸修(左) フランク永井(右)


いやぁこれは・・・親戚の結婚式や法事に呼ばれ、普段付き合いのない親戚と初めて遭遇し、こういう親戚いたんだなぁ。似てんなぁ~と感じるような・・・そんな血縁を感じる似方ですよ。


顔の特徴、左右の目、見てくださいよ。瞼の開き具合、右瞼がちょっと下がり気味で左瞼は開き気味というのが一緒です。輪郭も非常に似ていますね。これも遺伝子レベルかもしれませんね。


木戸修とフランク永井。今回は似ているレスラーとして上げましたが、考えてみると木戸のようなレスラー、フランク永井のような歌手・・・今いませんよね。ファンに対し表面からだけでなく、内側からも魅了する、そんな人物の出現に夢を見ている次第です。


お次はこちらです。



第7試合 木村健吾vs菅原洋一


木村健吾、こちらも説明はいりませんよね。数々の伝説を残してきた名レスラーです。


一方の菅原洋一さん。歌手である菅原洋一さんは澄みきった伸びのあるボーカルで1968年に「誰もいない」で第10回日本レコード大賞歌唱賞、70年には「今日でお別れ」で第12回日本レコード大賞を受賞。NHK紅白歌合戦には連続22回出場という、こちらもフランク永井同様、歌謡界のビッグネームであります。


木村は現役時代より歌唱力が高くレコードを出していたのは有名でしたよね。というわけで今回はレコードのジャケットで見てみましょう!こちらです!!




木村健吾(左) 菅原洋一(右)


おぉぉー稲妻・・・これ、今まではこの人とこの人が似てるって概念でしたけど、これはひとりの人の若い頃と現在を比べてますよ、と言ってもわからないような、同一人物的な似方ですね。


それであれですね。よく顔が似ている人は声も似るなんて言いますが、木村と菅原洋一さん。普段の声こそ似ていませんでしたが、歌うと木村の声がしゃべっているときの声よりも低くて、ちょっと菅原洋一さんに似ていたんですよ。そして抜群の歌唱力ですね。似ていると、こういう共通点もあるのかもしれませんね。


いよいよ最後になります。最後はこちらです。



第8試合 豊登vsオカリナ(おかずクラブ)


豊登です。豊登は1954年、日本プロレスに入団。60年には力道山とのタッグでパワーが炸裂。第3代アジアタッグ王者に輝きます。力道山の死後は日本プロレスのエースとして活躍。1964、65年とワールドリーグ戦を連覇します。同年12月には東京都体育館でザ・デストロイヤーからWWA世界ヘビー級を奪取します。国際プロレス時代にはTWWA世界タッグ王座、IWA世界タッグ王座の初代王者チームにもなりました。72年3月からは軌道に乗るまでとの理由で新日本プロレス旗揚げ戦に登場し以降、約1年参戦。テレビ中継が付くまでの間、猪木以外は知名度が少なかった新日本のレスラーと共に戦い観客動員に大きく貢献しました。現役時代、真骨頂はその怪力で、握力は120キロを超えていたという話が。かつて腕相撲世界一の人と対戦し右で勝利、左では引き分けしたという伝説があります。


オカリナさんはお笑いコンビのおかずクラブのひとりで、本名は稲尾真季というそうです。お笑いながら、元看護師という経歴を持つ異色の存在なんですね。で、なんか柔道の経験もあるようです。お笑いをやってるがゆえにあんな感じなだけで、実はまじめでしっかり者なのかもしれませんね。


では通常ではありえない超異次元な顔合わせ、見てみましょう。




豊登(左) オカリナ(右)


これは、職場の同僚とスーパーでばったり。娘さんも一緒で、あら~お父さんに似てるわね~。いえ、母に似ているとよく言われます。あらそうなのぉ~。お母さんの方は見たことないから、お母さん見たらそっちに似ているのかしらねぇ?でもお父さんにも似てるわよ~って感じの似方ですね。


いやしかし、本当に親子が似るような似方ですね。まんべんなく似ているというか・・・目はお母さんだけど、輪郭とかはお父さん?みたいな感じですよね。それにしても、これほどリンクしない顔合わせもないですね。豊登は98年に亡くなっていますし、オカリナさんが生涯で豊登の存在を認識する日もないでしょうからね~。これまた不思議ですね。


さて、お送りしてまいりました似ている特集、いかがでしたでしょうか?


現在70億人を超える地球人口。これだけの人がいるなら、自分とそっくりな人がいても何ら不思議ではありません。生まれたところも人種もちがうのに似ているという不思議。でも本当にたまたま似ているだけなんでしょうかね?人間が生まれることに意味があるなら、遠く離れた場所で自分に似ている人がいることには一体どんな意味があるのかな・・・人はそれを知るために、似ている人を探して、会っているのかもしれませんね。


最後まで読んでいただきありがとうございました。



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2017年02月12日(日) 17時55分48秒

チャンピオンベルト・ワールド~ロード・オブ・ザ・ベルト パート3~

テーマ:チャンピオンベルト・ワールド

探偵「テーズ・ベルトがブラッシーの手にあったとき、ベルトに入っている名前のところをブラッシーが黒いペンキで塗りつぶし、白で自身の名前を入れていた・・・そしてテーズのもとにベルトが戻ってきたとき、この部分のペンキを剥がすのに苦労したというお話を聞きました。そしてブラッシーがベルトをしている画像を見て、文字を確認しました。でも、その画像が・テーズ・ベルトでもインターナショナル選手権に流用されたベルトでもないって、一体!?」




こいつはちがうのか・・・?


先輩「所長が教えてくれた話は本当で、そういうことがあったのは間違いないと思う。しかし、それとは別に、このベルトに関してはどちらでもない、ってことなんだよ」


探偵「そんな・・・でもなぜ!?」


先輩「ベルトを3つ並べてみて、上から見比べてみよう」



画像1


先輩「左からブラッシーのベルト、中央がテーズ・ベルト、そして右がインターだ。まず・・・」


探偵「はい」


先輩「まず画像1だが、上の淵のラインだが、ブラッシーのは凹凸がなく一体型で流れているね。しかし真ん中のテーズ・ベルトと右のインターのベルトはは“HEAVY WEIGHT”の両側のところに凹凸がある。これは左側の“WORLDS”と右側の“WRESTLING”の間に、上にあとから乗せたように見える作りのレリーフだからなんだ」


探偵「本当だ・・・同じではないですね・・・」



画像2


先輩「そう、さらに・・・画像2だが、その“HEAVY  WEIGHT”と“CHAMPION”の上下の間だ。テーズ・ベルトはブラッシーのベルトに似てはいるが、同じではない。インターの方は明らかに幅がちがうね」



画像3


先輩「で、最後・・・ここが最も確証高いポイントだ。まず“CHAMPION”と書いてある左右のところだが、テーズ・ベルトとインターはこの部分が左右とも、ウイニング・ローレルと似ているデザインのものの端が渦を巻いているような形になっている。しかしブラッシーのはここが片側だけしか渦を巻いていない」


探偵「向かって左の黄色い矢印がある〇ですね。本当だ・・・これははっきりわかりますね」


先輩「そう。そして・・・レスラーの名前が入っているネームのところだ。ブラッシーのネームが書いてあるところ、向かって右下の黄色い〇の中。ブラッシーのとインターは、ここが同じようなデザインになっているが、インターがこの形が左右対称なデザインなのに対し、ブラッシーのは片側だけが同じなんだよ。同じ場所をテーズ・ベルトと比べると、テーズ・ベルトは同じところ、ネームの両脇が何もなくすっきりしているデザインなんだ」


探偵「この部分はテーズ・ベルトとインターのベルトの区別をつけるにも役に立ちますね」


先輩「そうだね。それにしても、この場所に関してはブラッシーのベルトは、そもそも形状がまったくちがうよ。全体的にテーズ・ベルトとインターは左右対称のデザインなんだけど、ブラッシーのベルトはあらゆるところが左右対象に作られていないようだ」


探偵「よく見るとその他にもリングのレリーフとか、リングの周囲のレリーフも左右が異なった作りの箇所がたくさんある・・・細かなところにちがいがあります。ということは・・・」




こうするとよくわかる


探偵「カーペンティアの流用の件から、元々NAWA、WWAのベルトはテーズ・ベルトと同じという線は濃くて、これはまちがいないのかもしれませんが、このベルトに関してこういう実態があったということは・・・実のところ、流用されたテーズ・ベルトは使用時期が短くて、早い時期にテーズのもとへ戻っていった可能性がありますね。得てしてNAWA、WWAでベルトが制作された時期は早かったのではと・・・・予想できます」


先輩「うん、つまりこういうことだったんじゃないかな・・・」




先輩「カーペンティアがベルトを流用してNAWA、WWAとなった。そのあとブラッシーがタイトルを手にした後に本筋となったWWAのベルトが作られた。この時点でベルトがふたつ。で、このふたつのうちのひとつがテーズのところに戻る」


探偵「はい。この辺は前回の話でも理解できています」


先輩「そう。で、このあとだ。テーズのもとへベルトが戻ってベルトがひとつになって、おそらくブラッシーのベルトが登場した。これでまたふたつになった。で、ここで力道山とブラッシーが統一戦を行う。ブラッシーが勝利してふたつのベルトを獲得したが、その後も使用していたのがブラッシーのベルト。残ったもう一本がインターへと流れたと・・・」





探偵「ということは、少なくとも・・・この形のベルトが3本あるということがわかりましたね!!しかし、そうなると今日までにまったく確認されていないこのブラッシー・ベルトです。これは今、一体どこに・・・」


先輩「うん、これはもう・・・残念ながら調べようがない。もしかするとブラッシー家にあるのかもしれないが、我々が調べるのはもうこの辺が限界じゃないかな・・・」


探偵「・・・」


先輩「これまでにテーズ・ベルト、インターのベルト、そしてブラッシー・ベルトと、この形状のベルトが最低3本はあったということがわかった。でも・・・プロレス書籍などでも資料的なものは出尽くしている感があるし、様々なシーンで登場するこのベルトは、当時の写真では写りがよくないものが多いので正確に見比べて判断ができるものが残念ながらない。所長・・・」


所長「キミたちの推理を総括すると、やはりテーズ・ベルトはひとつだけだったと言えそうだ。そしてインターナショナル選手権のベルトもブラッシー・ベルトも、このキミたちの推理でまちがいないだろう」


探偵「所長・・・」


所長「しかしだ、今回のこれらの調査結果は我々の推理でしかない。だから絶対正解とは言えないのだ。今日までにいろんな人が興味を持ち、このベルトのことを調べていった。有名なプロレス関係者からいちファンに至るまでな。だが・・・これが絶対という答えを出せた人はいない。このベルトは、それだけの価値と魅力を秘めているベルトということなのだ」


先輩「そうですね・・・」


所長「ただ・・・ひとつだけ、これだけは言えることがある」


先輩「え!?」


探偵「そ、それはなんですか?」


所長「力道山はこのベルトの形が、すごく好きだった・・・ということだ」


探偵「力道山が・・・」


所長「日本での世界戦ではベルトが見れなかったが、力道山は海外でNWAのテーズのベルトを見たことはもちろんあっただろう。そのとき・・・力道山は、あの形のベルトに一目惚れしてしまったのではないかなと私は思うのだ。ルー・テーズの持っていたインターナショナル選手権のベルトの形は謎だったが、私はテーズのインターナショナル選手権のベルトは力道山の作ったものとは似ていないかったと思っているんだよ。あれはあのベルトが好きだった力道山が、自身のベルトをテーズ・ベルトに似せて作ったのではないのかなと、そう思っているんだ。WWAの選手権も日本とロスとで盛んに行って、力道山はあのベルトを腰に巻いた。そのベルトは取られたが、すぐにインターナショナル選手権に姿を変え力道山の腰に巻かれたんだ。力道山はずっとこのベルトと一緒にいたかったんではないのかな」


探偵「ベルトが好き、かぁ・・・」


所長「見たまえ、この力道山の顔を」





所長「ベルトを巻いて、こんな素晴らしい笑顔をするレスラーを、キミたちは今までに見たことがあるかね?」


探偵「ないです・・・力道山が他のベルトをしている画像も見たことありますけど、こんな顔して写っているのはこのベルトの時だけですよ。なんて嬉しそうな顔なんだ・・・」


先輩「まるで欲しかったおもちゃを買ってもらった子供が、うれしそうに親やおじいいちゃん、おばあちゃんに見せているみたいな、とっても純粋な笑顔ですよ。心から喜んだときにしか出せない、素敵な笑顔です」


所長「うむ。今回は調査ご苦労様だった。あとはゆっくり休んでくれたまえ。では私は帰・・・」


コンコン


探偵「ん?誰かな?はい、どうぞ」


警察A「失礼します。こちらプロレス探偵事務所でよろしいでしょうか?」


探偵「は、はい・・・何かありましたでしょうか?」


警察B「実は昨日から行方不明になっている小学生の男の子とよく似ている子供と、誘拐の容疑のある50代の男性がこちらに入っていくのを見かけたという情報をいただいておりまして・・・」


探偵「子供と50代の男性・・・?」


先輩「誘拐・・・?」


所長「なんだ?どうしたんだ?」


警察A「あ!!子供が!!あー男も一緒だ!!」


所長「な、なんだ!?何事だ!?」


警察B「あなたに少年誘拐、並びに拉致監禁の容疑がかかっています。署まで来てもらいます!!」


所長「な、なんで私が誘拐犯なのだ!!私はコナンくんごっこを・・・」


警察B「抵抗するな!!公務執行妨害になるぞ!!おい、子供を保護して!!」


警察A「はい!!さあボク、こっちだよー!!」


所長「待て!!こ、コナンくんの声優の高山みなみは新間寿の姪なんだぞ!!なぁ!?」


探偵・先輩「・・・」


警察B「関係ない!!来ぉい!!」


バタン!!


先輩「・・・メシでも食って帰るか・・・」


探偵「はい・・・」



さて、所長は連行されてしまいましたが・・・いかがでしたでしょうか?


1937年、この形のベルトがプロレス界に現れて、今年で80年目。この長い時間の中で、鉄人ルー・テーズが、元祖STFのレイ・スチールが、巻投げの名人のホイッパー・ビリー・ワトソンが、空中殺法の祖のエドワード・カーペンティアが、噛みつき魔フレッド・ブラッシーが、白覆面の魔王ザ・デストロイヤーが・・・そして日本プロレス界の父・力道山が、世界の馬場さんが、プロレス最強の高田が・・・この形のベルトを腰に巻きました。


そして腰に巻きしそのレスラー達は、その時代の“王”として君臨したのです。


“王”が現れるたび、関係者がファンが、プロレスに関わるすべての人々が、そのベルトに迫りました。ある者は“王”自身に、ある者は歴史に、ある者はベルトそのものの謎に・・・人々は追いはじめます。しかしやっぱり・・・どこかで途切れてしまうのです。その頃、ベルトも姿を消してしまうのです。


しかし時を経て、やがて人々が忘れた頃にベルトは“王”と共に、また出現するのです。それを見て人々が追い始めると、やっぱりどこかで途切れ、そしてベルトも姿を消すのです。ベルトに惹かれ、ベルトを巡って旅をして・・・そして旅の途中で、そのベルトは幻のように姿を消してしまうのです。まるでベルトが意志を持っているように・・・


歴史の節々でプロレス界に姿を現し謎を誘った、魅惑のベルト。この先、またこのベルトがなんの前触れもなしに人々の前に“王”を従え、突然現れるかもしれません。そのときは一緒に、旅に出ませんか?ベルトを巡る旅に・・・


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。





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2017年02月12日(日) 17時55分20秒

チャンピオンベルト・ワールド~ロード・オブ・ザ・ベルト パート2~

テーマ:チャンピオンベルト・ワールド

探偵「さて、パート2はテーズ・ベルトの流れがわずかながら見えたNWAインターナショナル・ヘビー級選手権のベルトです」


先輩「ああ、このタイトルは1958年6月、これまでNWA世界ヘビー級王座の防衛戦を行ってきたルー・テーズの実績、貢献度が評価されて新設され、初代王者に認定されその歴史がスタートしたものだ」


探偵「はい。そしてテーズが王者になった2ヶ月後の同年8月、カリフォルニア州ロサンゼルスのオリンピック・オーディトリアムで力道山が挑戦。見事ルー・テーズを下し第2代王者となります。以降、日本の至宝として力道山から馬場さん、鶴田、ブロディから三冠ヘビー級へと歴史を刻んでいき、プロレスファンなら知らない人はいないと言っても過言ではないタイトルとなりました」


先輩「さて・・・パート1の冒頭で見たように、テーズ・ベルトとインターナショナル・ヘビー級のベルトは大変似ていたね。テーズ・ベルトの時間軸からこのベルトはひとつしかない可能性が一瞬は高まったけど、インターナショナル・ヘビー級のベルトに関してはどうだったのかな?」


探偵「とりあえず詳細から調べてみました。インターナショナル・ヘビー級、このタイトルが日本へ紹介されたとき・・・そのスタートはまさに「驚」でした」


先輩「やはりこのベルトには何かあるんだな~」


探偵「はい。このタイトルは58年8月、力道山がチャンピオンとなり帰国。敵地で、しかもあのテーズを破っての王座奪還劇だったこともあり大きな話題となりました。しかし帰国した空港で力道山に発っせられた言葉は、テーズとの試合は本当にタイトルマッチだったのか?でした」


先輩「タイトルマッチじゃなかったのか?」


探偵「いえ、これは当時アメリカの通信社がこの試合をノンタイトル戦と伝えてしまったためのようです。しかしちゃんと選手権試合をし王者になった力道山は、もちろんタイトルマッチでテーズを破り、タイトルを手にしたと主張したようですよ」


先輩「そりゃ当然だよな。あのテーズを破っての王座奪還劇だもんね」


探偵「そうなんです。で本来ならここでベルトを出し揺るぎない証拠を見せるのが流れのはずですが・・・なんと力道山は、ベルトは別に送らせたので今はない。あとで公開する、と言ったんですよ」


先輩「べ、ベルトがなかったのか!?」


探偵「そうなんですよ。こんな波乱のスタートを切ったインターナショナルヘビー級の初代ベルトでしたが、その後無事にお披露目となりました」


チャンピオンベルト・ワールド~インターナショナル・ヘビー級~


先輩「でもなぜ帰国した力道山とベルトは別々だったんだ?」


探偵「インターナショナル・ヘビー級というタイトルは元々存在せず、力道山がタイトルもベルトも作った・・・かつてはそんなウワサもありました。しかしテーズの自伝から、テーズがこの王座に認定されタイトルを保持し防衛戦も行っていた、つまり力道山以前よりタイトルが存在していた事実がはっきりしています」


先輩「なるほど、確かに自伝には防衛戦の地区や相手の名前まであるな。4月にフォートワースでフリッツ・フォン・エリック、5月にヒューストンでペッパー・ゴメス、それにニック・ボックウインクル、ブルー・カリーに・・・あれ!?因縁のエドワード・カーペンティアまでやってるじゃないか」


探偵「まさにそうそうたるメンツですね。で、こうして58年8月、テーズと力道山はインターナショナル・ヘビー級選手権をかけ試合を行い力道山が勝利し王座を奪取しました。しかし力道山は王者となってインターナショナル・チャンピオンの称号のみを得、そのベルトはテーズの元に残し、ベルトを自身で別に作成した、どうやらこれが流れのようです」


先輩「こうしてやっとベルトにたどり着くんだな・・・で、これが力道山の最初インターナショナル・ヘビー級のベルトだね」




力道山のインターナショナル・ヘビー級のベルト


探偵「そうです。日本では最初に作られた初代のインターナショナル・ヘビー級のベルトということになりますが、実際にはテーズが保持していたのから数えると2代目のモデルにあたるベルトになります」


先輩「なるほど、初代であり2代目か。しかしこれはどうだろう?大きさこそちがえど、これはテーズ・ベルトに非常によく似ているよ。テーズのインターナショナル・ヘビーのベルトもまた似ていたのかな?」


探偵「そこなんですが、これがまた謎なんですよ。というのは、王者に認定の経緯から防衛戦の記録もあるにもかかわらず、テーズがインターナショナル・ヘビー級のベルトを手にしている写真や画像というのはこれまでに・・・」


先輩「ないのか!?またこの流れか・・・」


探偵「そうなんですよ。なのでこのベルトが何のベルトを参考にし作られたのかはわからないんです。テーズ・ベルトだったのか?それともインターナショナル・ヘビー級のベルトだったのかは見当がつかないんですよ」


先輩「もしこれがテーズの持っていたインターナショナル・ヘビー級のベルトを参考に作られたなら、もうひとつ似てるベルトがあったかもしれないってことでまたややっこしくなるなぁ」


探偵「どうなんでしょうか・・・このテーズのインターナショナル・ヘビー級のベルトこそまったく形状不明、おそらく誰も見たことないんで、なんとも・・・」


先輩「とりあえず、そこはまたの機会にして本題に戻ろう」


探偵「そうですね。本題に戻って、で、次に日本では2代目、テーズが保持していたのから数えると3代目のインターナショナル・ヘビー級のベルトです」




次のモデルとなったインターナショナル・ヘビー級。このベルトは63年12月、力道山死去と共に封印され一代限りのタイトルとなった



しかし72年に馬場さんの全日本プロレス旗揚げ時、このベルトが百田家から寄贈されPWFヘビー級王座として復活する



のち、我々も馴染みのこの形になる。名前はPWFだが実際のインターナショナル・ヘビー級のベルトの形の流れを組んでいるベルトだ


先輩「そうこいつも謎だらけなんだよなぁ・・・」


探偵「このインターナショナル・ヘビー級のベルトのことを調べると、最初の方は力道山により作成されたことがはっきりわかるんですが、この次のモデルに関しては作成されたという話と、WWA世界ヘビー級を流用したという話のどちらも出てくるんです。しかし・・・」


先輩「しかし、どちらも確たる証拠がないわけか」


探偵「そうなんです」


先輩「では目線を変えて、また年代と出来事を交え、これまでの調査データに仮説も交えてやってみよう」


探偵「はい」


先輩「まず力道山が作成した説だ。テーズ・ベルトはひとつ。1937年、旧NWAからWWAを経てアトランタ版、そしてテーズに戻ってきた」


探偵「はい」


先輩「で、インターナショナル・ヘビー級。これは力道山が作成し1962年11月5日、沖縄県の那覇で行われたムース・ショーラック戦から使用される」


(注:Wikipediaのインターナショナル・ヘビー級王座の備考には、このベルトが1963年10月9日の防衛戦より使用とありますが、この日にインターの防衛戦が行われた記録は見つけられませんでした。なぜこの年月日なのか、ご存じの方いらっしゃいましたらご教示よろしくお願いいたします)


探偵「こっちの仮説だとかなりスムーズですね」


先輩「じゃ、今回はこれで・・・」


探偵「でもWWA流用の仮説も・・・」


先輩「わかったよ~。ちょっと複雑だが行くぞ。WWAのベルトをインターナショナル・ヘビー級に流用した場合、キーになる年代が1962年だ」


探偵「はい」


先輩「まず62年3月29日、力道山がロスでフレッド・ブラッシーを破ってWWAを奪取する。そして4月23日に東京体育館でブラッシーと初防衛戦をし力道山が防衛した」




4月23日、東京体育館での初防衛戦。ベルトが上下逆だが、まちがいない


先輩「次は7月26日、再び場所をロスに戻しブラッシーと対戦するが力道山は敗れてしまい王座を失う」


探偵「と・・・ここまではWWAのベルトはこのモデルのものが確認できますね」


先輩「そう。で、このあと、2日後の7月27日にサンディエゴでザ・デストロイヤーがブラッシーを破り王座につく」


探偵「デストロイヤー初栄冠。これもベルトが確認できます。パート1で出たデストロイヤーの画像ですよね」


先輩「そう。その後デストロイヤーは63年5月10日、ブラッシーに敗れるまでベルトを保持するが、この約10ヶ月の間に力道山がインターのベルトを変更するんだ」


探偵「その間に何があったのか?ですね」


先輩「そうなんだ。順にいこう。ブラッシーがデストロイヤーから奪取した5月10日から先のベルトの姿の写真や画像はあるのかもしれないが、ブラッシーのベルト姿って探すと結構あるのでどれがこの日のなのか日時が確定できないね。不明とするしかないな」


探偵「うーん、そうですね」


先輩「次はその3ヶ月後の8月23日、第7代王者になったベアキャット・ライトだが、ライトに関しては人種差別が止まなかったこの時代に黒人初の世界王者という快挙を成し遂げたにもかかわらず、例のごとくベルトを持った写真や画像がない」


探偵「ライトは一度の防衛戦も行わず、不戦敗でタイトルから陥落したとの話もあるんですね。いろいろ事情があったのかなぁ・・・」


先輩「続いて、同年12月16日にその不戦敗でエドワード・カーペンティアが第8代に、翌年64年1月30日にはフレッド・ブラッシーが第9代王者となっているが、こちらもベルト姿が詳細には確認できない。だが4月22日に第10代の王者となったディック・ザ・ブルーザーからはモデルチェンジしたWWAのベルトがハッキリと確認できる」




ブルーザーからはこのベルトがハッキリと確認できる


探偵「うーん、WWA流用説だとしたら、やっぱり62年7月26日にロスで力道山がブラッシーに敗れ王座を失った直後かデストロイヤーが王座に就いたあと・・・このあたりの期間が最も怪しいことになりますね」


探偵「インターを使いだしたタイミングでベルトが見られずモデルも変わっています」


先輩「だな。じゃ、まずブラッシーの方から考えてみようか」


コンコン、カチャ


謎の子供「こんにちは。ねえおじさんたち。ドアの向こうにこんなの落ちてたよ」


先輩「あ、キミは所長と一緒にいた子じゃないか?(おい、これは所長の仕込みだな)」


探偵「(そのようですね)しゃべり方までコナンくんなんだね。で、何が落ちてたのかな?ん!?これは!?」


先輩「これはさっき話してた62年7月26日にロスで力道山がブラッシーとWWAの選手権を行ったときの・・・プログラムと書いてあるなぁ。でもなんでこんなものが?」




これは・・・


謎の子供「わかんなーい。あれれー?英語で書いてあるからボク読めないや。おじさん、ここなんて書いてあるの?」


先輩「え?ここ?こ、これは!!」


探偵「どうしたんですか先ぱ・・・あー!!これ、力道山の方はWWAだけど、よく見るとブラッシーの方はNAWAになっているッ!!」



 力道山がWWAで・・・


 ブラッシーがNAWAだ!!


先輩「どうなってんだ!?NAWAはカーペンティアが初代王者に認定されて、そのあと第3代王者の力道山のときにWWAに変わって・・・名前はなくなってたんじゃなかったのか!?」


探偵「WWAになっても単体のタイトルとして残っていたってことじゃ・・・あれあの、団体名がWCWなのにNWA王座があったみたいな・・・」


先輩「だとしたらこれは相当な手掛かりだよ!このプログラムだが、ちがうタイトルがそれぞれ書いてあって、お互いにベルトをしている写真が載ってるじゃないか。これから何が推測される?」


探偵「これはまるでダブルタイトル戦か王座統一戦だった可能性が・・・」


先輩「そう!!そしてもう一度、思い出して考えてみよう。WWAではこのベルトでの王座遍歴がはっきり残っていた。にもかかわらず、WWAの王座遍歴には名前がないはずのターザン・タイラーがベルトを巻いていた画像があった」


 探偵「そうでした」


先輩「つまり、タイラーの巻いていたあのベルトがNAWAだったとしたら?」


探偵「あ!!ということは!!アトランタ版世界ヘビー級っていうのはNAWAのベルトのことだった!?」


先輩「そう!!同じなんだよ!!そしてこれがイコール、テーズ・ベルトだ!!」


探偵「テーズ・ベルトは初めこそWWAだったが、もう1本ベルトが作られたことでNAWAとなった。そして作られた方がWWAになり、のちインターナショナル選手権のベルトとなった。確かにそれならテーズ・ベルトもインターナショナル・ヘビー級のベルトも経緯の説明がつきますよ!!」


先輩「現在までにテーズ・ベルト、インターナショナル選手権のベルトはそれぞれ現存が確認できている。しかしWWAのベルトは今日までに、これがWWAのベルトです!と、レスラーや関係者など、誰かの手によって本や雑誌で紹介されたことが一度でもあっただろうか?」


探偵「ない、ないですよ!!そうだったのか・・・」

探偵「これならすべて説明がつ・・・」


所長「フッフッフ・・・だいぶがんばっているな」


探偵・先輩「しょ、所長!?」


所長「(早く、それで撃って、早く)」


探偵「所長、なにを・・・?」


謎の子供「プシュ!」


所長「う、う~ん・・・犯人がね、見つかったんですよ目暮警部(ボク、早く蝶ネクタイ口に当てて、早く)」


先輩「お、おいなんだこれ?この子、自分でプシュって言ったぞ?」


探偵「名探偵コナンの眠りの小五郎じゃないすか?自分でしゃべってますけど・・・」


所長「テーズ・ベルトにはテーズの名前が入っているのだが、ブラッシーが保持していたとき、ベルトに入っている名前のところをブラッシーが黒いペンキで塗りつぶし、白で自身の名前を入れていたそうなのだ。テーズはこの部分のペンキを剥がすのに苦労したという・・・そういう話が残っているんだよ」


探偵「ほ、本当ですか?先輩、ブラッシーがベルトをしている、載っている資料はありますか?」


所長「それなら私が持っている。下はちょっと切れているが文字は確認できるぞ」



 黒地に白で“FRED BLASSIE”の文字がはっきり見える


探偵「本当だ。テーズ・ベルトは金属のベースから直接文字が浮き出ている表記でしたが、ブラッシーのは金属ベースが黒で白い文字で表記されていますよ!!」


先輩「しかし所長、これは・・・」


所長「さすがだな。気がついたか」


探偵「え?な、なにがですか!?」


先輩「こいつは・・・テーズ・ベルトでもインターナショナル選手権に流用されたベルトでもないぞ・・・」


探偵「え!?」


ート3 へ続きます!! 


※コメント欄はパート3に設けます。よろしくお願いいたします。

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