今年の8耐を盛り上げた立役者というと、


トリック☆スター レーシング


ではないかと僕は思います。




”Sports DJ” シャーリー半田 オフィシャルブログ       ~ マシャリ日記 ~-200907261105001.jpg



決勝レーススタート前のグリッド上でのショットです。


ワークス経験のあるライダーが3人も登場するという、


カワサキファンにはたまらないドリームチーム。


そしてこのメンバーを実現させたのが、鶴田竜二選手兼監督です。




鶴田さんは91年にKAWASAKIのマシンで北川圭一さんと組んで、


そして92年にはHONDAのマシンでフレディ・スペンサーとのペアで


2年連続4位に入ったのがこれまでの最上位。


まだTT-F1の頃ですね。




僕の中では、99年に6位・00年に5位とプライベーター最上位で


チェッカーを受けたレースも印象に残っていますし、


06年には松戸直樹選手とのペアで8位でフィニッシュしています。




そのトリック☆スターに武石選手が加わったのが昨年。


92年には日本人初のポールポジションを奪った男・武石伸也選手。


その年の決勝では3位。そして94年には伊藤真一選手と組んで3位。




90年代後半にカワサキに移籍。


96年には柳川明選手と組んで5位。


97年の雨に見舞われたレースでは梁明選手とのペアで3位表彰台。


98年は芹沢太麻樹選手と組んで4位。同じペアで99年は5位。




00年にHONDAに復帰。カストロールカラーのCBRでWSSを戦うが、


シーズン途中でシートを喪失。




その数年後、ヨシムラから一度8耐に参戦するが、


途中でリタイヤせざるをえなかった。


それから武石選手の走る姿を見ることがなかったのですが、


その雄姿をもう一度見たいと思っていたファンは多かったはず。




そして井筒選手。


90年代後半にはチーム・ファンデーションから黄色いドゥカティで参戦し、


トッププライベーターとして名を馳せる。


(井筒選手の前には芳賀紀行選手もチームファンデーションに所属していた)




その井筒選手がカワサキワークス入りしたのは98年。


ちなみにその年の4メーカーの国内ワークスライダーは




○ HONDA (カストロール→ラッキーストライク)




伊藤真一選手 → 継続


武田雄一選手 → 継続


加藤大冶郎選手 → GP250チャンピオンを獲ったが国内継続。カラーはカストロールのまま。




○ YAMAHA (マルボロ)




吉川和多留選手 → 継続


芳賀紀行選手 → チャンピオンを獲りWSBへ


芳賀健輔選手 → GP250からSBへ


中野真矢選手 → GP250継続。エースとなりマシンはBPカラーになる。




○ SUZUKI (ラッキーストライク→スズキカラー)




北川圭一選手 → 継続


藤原克昭選手 → WGPへ


梁明選手 → カワサキワークスから移籍


加賀山就臣選手 → GP250継続


亀谷長純選手 → GP250継続




世界GPでは沼田憲保選手が、スズキワークスとして


RGV-ΓでGP250を戦っていた。


沼田選手のマシンは98年もラッキーストライクだった(はずだ)が、


全日本はスズキカラーのままだった。




98年いっぱいでスズキはGP250から撤退し、


加賀山選手・亀谷選手は99年からSBへチェンジ。


99年のスズキは全日本SBクラスに4人のワークスライダーが走るという大所帯でした。




ちなみにあの秋吉耕佑選手ですが、当時もスズキのテストライダーを務めていました。


97年には北川選手が大腿骨骨折という大怪我を負ったために


代役として全日本SB、そして藤原克昭選手と組んでラッキーストライクスズキで鈴鹿8耐に参戦。


98年はまたテストライダーに専念する事になりました。




そして、




○ KAWASAKI (もちろんライムグリーン)




武石伸也選手 → 継続


芹沢太麻樹選手 → ヨシムラから移籍


井筒仁康選手 → ファンデーションから移籍




3人、といってもレギュラー参戦だったのは武石選手と芹沢選手。


井筒選手は「開発ライダー」という位置付けだったために


フル参戦する事は許されず、スポット参戦を余儀なくされたのです。




しかし!




TIサーキット英田(現・岡山国際サーキット)でのレースで


スポット参戦ながらも一時トップを奪うという激走を魅せてくれた井筒選手。




終盤にポジションを下げてしまい、


結果的にそのレースは伊藤真一選手が制したのですが、


自分をアピールする数少ないチャンスをきっちり生かした井筒選手。




翌年からはもちろんフル参戦。


そして00年の全日本SBチャンピオンとなったのです。




00年と言うと、井筒選手は柳川選手と組んで8耐に参戦しました。


あれは夕方の時間帯だったかな?


2位を走っていた井筒選手がトップとの差をグングン詰めていた時に、


S字か逆バンクかのどちらかで痛恨の転倒!!




その井筒選手が転倒してしまった場所に向かって


さながら「人民大移動」のごとく、お客さんが


大挙して詰め掛けていた記憶があります。




01年からのWSB参戦を経て、HONDAに電撃移籍しての国内復帰。


04年には全日本JSBチャンピオンと鈴鹿8耐制覇というWタイトルを獲得した後、


プロゴルファーを目指し、その年限りでレース界を離れた井筒選手。




その井筒選手が久々にライムグリーンのツナギに身を包み


レース界に復帰することになった09年。




鈴鹿8耐で我々は、ベテランの底力をまざまざと見せ付けられました。




スタートからしばらくして降り始めた雨。


レインタイヤに交換するほどではないとはいえ


溝の彫られていないスリックタイヤで


いつ足元をすくわれるか分からない。




なかなかペースを上げられないライダーが多い中、


トップのマシンより6~7秒早いタイムをマークして


どんどんポジションを上げる武石選手。


ワークスライダーとして色々なコンディションの中を走りこんだ経験が


こういう所で生きてくるのか!




ちょい濡れスリックでの武石選手の速さ。


4輪で言うならば、アンドレ・ロッテラーか!?




デグナー立ち上がりの立体交差の先で


桜井ホンダの亀谷選手を抜いて2位に上がるとき、


亀谷選手の方をチラッと向いて左手を上げて


「すまんねぇ、お先~」とばかりに抜いていった武石選手。


スカパーでもバッチリ映されてましたね。




そして井筒選手ですが、スティントのたびに雨脚が強くなり


セーフティカーが出る展開。


そんな中でも集中力を切らさずラップを刻んでいく。




その二人のライダーのまとめ役となった鶴田選手。


第3ライダー登録はされていたのですが決勝では監督に徹して、


ピットウォールとピット、そしてチームスィートを何度も行ったり来たり。




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そして、8時間が経過!


見事、2位表彰台を獲得しました!!




表彰式では武石選手の涙も見られました。


滑りやすい路面の中、神経をすり減らしながらの走行。


本当にお疲れ様でした!




そして井筒選手のパフォーマンス。


優勝したヨシムラ・酒井大作選手の涙をコミカルに拭うシーンもありましたが、


極めつけは、自分のブログ用の写メ撮影(笑)。




まずは表彰台の3チーム(もちろん自分以外)。


そしてお客さんをパチリ。




その模様は、井筒選手のブログをチェックしてみて下さい☆




いやぁ、今年の8耐は本当に面白かったです。




素晴らしい戦いを見せてくれたライダーの皆さん、本当にありがとう!




そしてこのドリームチームを実現させてくれた鶴田さん、


本当にいいレースを見せてくれました。


ありがとうございました!