知人の寺尾紗穂さんが東京新聞の夕刊・文化面に「愛し読書」というタイトルで連載を始められた。

     

 昨日の「帝国周縁の哀しみ」を引用してみることにする。

 

*「土人」という言葉を聴いたのは学生時代、長野の麻績という場所だった。「土人が夜中までジャズをやっていた」。小山さんというそのおばあさんはそう言ったので、私は一瞬耳を疑った。小山さんは、戦前サイパンの女学校に通った人で、南洋群島と当時呼ばれていたいくつかの島で暮らした人だった。サイパンは日本が委任統治する以前、スペイン、ドイツとキリスト教国に統治されていたので、島民の多くはクリスチャンだった。彼らのもともと持っていた音楽と、賛美歌や日本人が持ち込んだラジオや蓄音機から聞こえてくる音楽が混じって、おそらくその「ジャズ」は南の島で鳴っていた。

 最近「娘さん」にと頂いた「知里幸恵とアイヌ」という学習漫画(解説・池澤夏樹)を読んでいて再び「土人」という言葉に出会った。「アイヌ神謡集」を残した幸恵もまた、「土人学校」と周囲から呼ばれた学校に通ったが、母親はクリスチャンという家庭に育ち、オルガン演奏をすることもできた。旭川の女子職業学校に進み、日本人の友達も多くいた。胸に迫るのは、友人たちの言葉にとまどう幸恵の問いだ。「あなたがアイヌだって気にしない」「幸恵さんがアイヌだなんて思えない」。悪意のない言葉に、幸恵の心は揺れる。とまどいだけでなくそこには確かに喜びもある。。

 ではアイヌでいることは恥なのか、日本人に混じって自分はアイヌでなくなるのか。ちょうど同じような戸惑いを中島敦「巡査の居る風景」で読んだことを思い出す。それは、中島が少年時代を過ごした日本統治下での朝鮮での、ある朝鮮人の心理である。南洋、朝鮮、北海道、場所を○え、帝国の周縁では同じような戸惑いや嘆きが生まれていた。今は難しいことはわからなくとも、娘たちには、こうした人間の哀しみをぼんやりとでも感じ取ってくれたらと思っている。

(てらお・さほ=シンガー・ソングライター、エッセイスト)

 

ここまで読まれたあなたのご感想は・・・・

私は先に逝った妻(フィリピン人)は日本の職場で「土人」とあからさまに呼ばれ、子どもは学校で苛められていたのを思い出します。

 

2018/4/20

船橋市:弓場清孝