オリオンともプレアデスとも繋がる人について NO1 | ヘミシンクピンポンパン

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《03 オリオンともプレアデスとも繋がる人について》 

閲覧者の方から質問を頂きました。

《ブログにも書こうと思っていることですが、出向先ではいろんな
思惑が動いている気配があり、面白がって観察しています。
たぶん私はオリオン的な価値観でものを考えて良いと思われる
方向を目指し、現在勤務している子会社を改革しようとしている
人たち(以下『改革派』、といっても派閥争いがあるようではない
のですが便宜上そう呼びます)は、プレアデス的な価値観で、
やはり良いと思われる方向を目指しているようです。

私も改革派も利己主義ではなく、目指す方向性は同じようなもの
です。なので、観察して楽しんでいます。 ここで、マサトさん
への質問なんですが、確か坂本龍馬などの人たちはオリオンとも
プレアデスともつながることができるというようなことを、
マサトさんがお話会で話されていたと思います。

一般論として、プレアデスは『バカや基地外』と言われていますが、
オリオンとプレアデスの両者とつながることのできる思考と言うのは
どういうものか、教えていただきたいという事と、両者とつながる
ことができる能力と言うのは持って生まれたものなのか、努力で身に
つくものなのか、と言うこともあわせて質問していただければ
ありがたいと思います》






――――――――――――――――――――――――――――
色々と考えさせられます。
改革派も保守派も利己主義ではなく、派閥のためでもなく
会社の在り方のためにプレアデス的な価値観で闘っている。 
いい会社ですね。 表面的にはそう見えます。
それを《観察して楽しんでいる》それはオリオンですね。

私はオーナー経営者でしたが、仕事に命をかける値打ちはないと 
今では、はっきり言えます。 その仕事が無我夢中になれるほどの
ものならば話は別ですが。 《私が私になる》その楽しみこそが
オリオンです。 仕事は生きていくため。その割り切りが通じなく
なるときその職場は破綻しています。 そんなところにいて、いい
ことなど何ひとつないと思います。

笑スピ教徒は、答えは黒か白、正か邪、どちらかしかないと思い
込んでいるようです。 まさしく《バカか吉外》がたくさんいる
のです。 簡潔でわかりやすい《教え》ほど真実だと思っている
のです。 こういうのを、思考力を失ったおむつ猫、梅毒
ピロリ菌、迷える子羊、子豚の獣群、畜群と呼んでいます。

わかりやすい《教え》!! なんと高邁で高潔な言葉でしょう! 
爆笑するしかありませんね。 それに答えなどありません。 
どうしてそれが答えだとわかるのでしょう。答えとは誰かが
誰かに教えてあげることだと、お笑いスピリチュアリストは
そう思っているようです。 

教えてあげる? 何を知っているというのでしょう?
自分の無知も知らないというのに。
そのような《してあげる》という発想はトカゲ・蛇の様式です。 
そこには人と人とのつながりに支配服従関係しか見ようとしない、
砂場で戯れる獣たち、笑スピ信者がいるのです。
笑スピ教徒はこういうのが大好きなのです。

答えは自らの中にあります。 自らの中にある答えを質問
という形で表現しているだけです。 それに対して互いに
交信しあうとき、自らの中にある答えに気づくのです。
それをたった一言で簡潔に語れるでしょうか?
あれは絶望のプレアデス~、これは哀れな石屋~、神経衰弱の
子豚でございます~。 そんなものが答えでしょうか?

より深い部分にあるあなたの答えは、私が考えることとは違う
かもしれません。 あなたも私も間違っているかもしれません。
さらに答えは一つではないかも知れません。 
しかし自らの内部にある答えに気づくとき、新たなパラレルを
開くのです。 その答えが真実なのかどうか、それはその世界で、
現実の体験として検証できることです。 第三者である《バカと吉外》
おむつ猫や、トカゲや、蛇にとやかく指図されることではありません。

教えてあげるという一方通行の、自称セミナー教師、自称コーチ
自称覚醒者、自称教祖、こういった自称族がもしいるのなら
それは間違いなく、哀れな醜い人類支配者トカゲ蛇族の化身、
鱗と尻尾を隠した人々としてそこにいるのです。

《我が答えに、我が教えに、耳を傾けよ》こういう態度を
スマルともスバルとも言います。滅亡したシュメールであり
トカゲ蛇教のことです。 彼らは崩壊するバベルの塔の住人で
あり、石屋によって布教されたバビロニアの教え、イルミナの
下僕、ディセンションする懲りないプレアデス人たちです。 
アセンションとはそうした下僕に背を向け、そこから立ち
去ることを意味しています。 《去らばスバル》なのです。

本当の疑問、未知、謎は質問することさえできません。
バベルの住人は、自らが無知であることを知らないのです。
私は質問から多くのことを学んでいます。
刺激を受け、考えさせられ、多くの気づきを得ます。 
答えなどないのですから。


思考レベルではオリオン、プレアデス、どちらにも繋がれます。
これはある意味当然のことです。 思考は全てのチャンネルを
持っているのです。 しかし我々は思考とともに、行動しても
そこには限界があることをいつも感じています。

行動の全てを思考に委ねられるでしょうか。
思考で全てを決定できるでしょうか。
思考は基礎であり土台でありそしてシアターです。
しかし我々は我々の思考にはついていけないのです。
(続く)
マサト