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心の扉をたたく音

                森田真由美(東京都 中野区)より


ツゥルルル。受話器を取ったわたしの耳に、友人Nの悲鳴が飛び込んできました。

「お願い、一生ののお願い!うちの悟、半年預かって!」

中学からの親友Nは、若くして結婚、離婚を経験した一児の母、そして今やバリバリのキャリヤウーマン。

半年間の海外研修に、彼女の今後が掛かっているとのこと。

「なによ突然、わたしだって仕事あるのよ。猫の子預かるんじゃないんだから、それに・・・」

子供を預かることの重さに加えて、わたしがとまどったのは、小学五年生になるその子は、

言葉もしゃべれないほど極度に内向的な性格の登校拒否児だったのです。

「あの子は自分でなんでもやるし、とにかく置いててくれるだけでいいから」

そういって、結局Nは、悟君をわたしに押し付けて、海外へ旅立って行きました。


驚いたことに、悟君は、Nのいうとうりに、まったくてのかからない子でした。

Nから預かったお金で、勝手に買い物をし、勝手に食べ、眠り、そしていつもTVを見ていました。

笑わず、泣かず、感情を表さないそのうつろな目は、わたしに不気味に写りました。

何が彼をそうしてしまったか・・・・、都心のマンションで、幼いときから一人ぼっちで生きてきた、

彼の生活を思うと、それは想像に余るものがあります。

只一つの彼とのコミニケーションは、電話でした。一回のコールの合図で、電話を取った彼に、

用件を伝えると、彼は受話器を叩いて、コツコツと了解のサインを送るのでした。

きっとそれは、Nとの間でのきまりだったのでしょう。

そのコツコツという音は、切なく悲しい音に、わたしには伝わってきました。

子供を抱えて、生きてことに精一杯だったNには、その音が届かなかったのか・・・・

それともわたしの思い過ごしなのか・・・・コードをと通したその音は、彼の唯一の感情表現で、

「悲しい、悲しい」と、云っているように、わたしには聞こえたのです。


いつからか私は、出来るだけ早く家に帰っては、彼の前に座って、一方的に話をするようになりました。

学生時代のこと、楽しかったこと、悲しかったことetc・・・・。

うつろだった彼の目が、少しずつ変わってきた気がしました。そして、長いこと一人暮らしをしている

わたしにとっても、その時間が自分を見つめなおす、大切な時間となったのです。

そして半年経ち、悟君はNの家に帰り、気の抜けるような日々を送る私のところに、

一本の電話が掛かってきたのです。

「コツコツ・・・・」懐かしい音が聞こえてきました。

「悟君?悟君ね・・・・どうしてる?元気?」

慌ててしゃべりまくる私に、思いもよらぬ答えが帰ってきたのです。

「ぼ・・く・・ね、また、がっ・・こうに、いって・・んだ・・

おばさんの・・・はなしを・・・きいて・・・いきたくなったんだ」

初めて聞いた悟君の声に、私は胸が詰まって、言葉が出てきません。

「おばちゃん・・・・きこえてる・・・・おばちゃん?」

私は、言葉のかわりにサインを送りました。「コツコツ・・・・」と。