第二次世界大戦前、九州の島原・天草から多くのからゆきさんが南方へ出稼ぎに行きました。

 その記録を昭和の女性史研究家山崎朋子は克明に残します。

 その実態は、江戸時代から連綿と続くからゆきさん(海外売春婦)でした。

 「東北地方の人身売買は主に天候異変による凶作が原因だったが、天草・島原地方の人身売買は貧しくやせた土地と自然災害によるもので、ほぼ慢性化した貧困が原因だった。」

 

 家の貧しさゆえにわずかなお金で売られて、からゆきさんとなって南方へ行き体を売って稼いだお金を家族に送金しても、送金を黙って受け取りこそするが感謝されることはなかった

 借金を返して故郷に帰ってもからゆきさんは、家族や親戚からも村の人からも厄介者扱いされ受け入れられる事はなかった。

 おさきさん、この映画の元からゆきさんは、日本に帰る前に娼館の女主人から「日本に帰るな。良い事は何一つない。」と言われていた。

 日本に帰らずサンダカンで没した人たちの共同墓地は、港の見えるところに作られたが、日本に背を向けて墓は建てられていた。

 

 明治期になって日本の海外進出がなされる前、からゆきさんたちは「娘子軍」として喧伝された。

 明治末期になり日本が国際的な勢いが出るころには、「国家の恥」と言われた。

 底辺に生きる女の悲哀を「望郷 サンダカン八番娼館」で描かれ、歴史に埋もれやすい記録が映画に残されました。