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ここまで自分の物語を書いてみて、
すこし、今感じていることをシェアしますね。
...
これは、学生時代の経験から、
また世界を回ってみたことで、わかったのですが、
日本人の生活は、人間の歴史的にみて
人類史上最高レベルの豊かな暮らしです。
こんなに平和で安全な国は他にはありません!!
着るもの、住む家、食べるものに困ることもない。
物質的な豊かさ、便利さは、すでにピークにきています。
それなのに、、、
他の国に比べると
幸福度は非常に低いと言われています。
あなたは今、幸せですか??
何%くらい幸せですか?
100パーセント幸せって言える人は少ないんじゃないでしょうか?
私も、学生時代貴族のような生活を体験しましたが、
あれだけ恵まれていたのに、何かが足りなかった、、、。
ずっと、どこか満たされていない感じがありました。
悩みがあり、苦しみがあった。
つまり、外側の状況と内的幸せは、
必ずしも正比例する関係にはないということです。
自分とお釈迦様を並べるのは大変恐縮ですが、、、
仏教の開祖ブッダも元々は、王子でした。
彼も二十代の頃は、城の中で贅沢な暮らしだったことでしょう。
でも、
「このままでは自分はダメになる」
と思って出家したわけです。
ずっと満たされない何かがずっとあった。
...
ここで一つの仮説をたてたいと思います。
その仮説とは、
物質文明がピークに達したとところから、
精神的な価値観にパラダイムがシフトする。
ということです。
なぜそう思ったのかをお話しすると、
それは、インドに行ったとき、
ヨガにはまっている欧米人と日本人がたくさんいたからです。
物質的な頂点を極めた海外のアーティスト、セレブ、
また日本のボンボンたちがインドで、ヨガや瞑想を熱心にしていたのです。
逆にインドの庶民はヨガはどうかというと、、、
欧米人ほどではありません。
どちらかというと、過去の日本人のように、
発展途上の国は、精神性よりも、テレビを買ったり、携帯を買ったり、
物による変化のほうを楽しむ傾向にあります。
(出家者や富裕層は別です。)
では、なぜ物質文明がピークに達すると、
精神的な価値観にパラダイムがシフトするのか?
それは、、、
どんなに外側を変えても、
すべては思い通りにならないことを悟るからではないでしょうか。
お釈迦は、
人生は苦(ドゥッカ)である
と説きました。
DUKKHA = 苦
と訳されますが、
ドゥッカとは、
「思い通りにならない。」
という意味もあります。
つまり、
人生は、思い通りにならない。
と説いたわけです。
老いて、病み、別れ、死ぬ。
全ては無常で、思い通りにはなりません。
それはどの時代も、どの身分の人も、どの国の人も同じです。
文明が豊かになるにつれて科学技術が発達していくので、
気温も、湿度も、明かりも、移動も、サービスも、
自分の思い通りにコントロールできるようになります。
生活は便利になります。
より効率的になり、楽になります。
でも弊害もあります。
それは、外側が便利になって、思い通りになればなるほど、
思い通りにならないことを受け入れる力は弱くなっていくのです。
自然現象、他人も操作できません。
自分の体、老化、病気、健康、年齢も、思い通りになりません。
これらの思い通りにならないことを受け入れることができないとき、人は、悩み、苦しみます。
簡単にいうと、
嫌だ!
こんなの受け入れられない!!
って思ったとき、
体の中に、ストレス、緊張が生まれるのです。
外側の状況は関係ありません。
自分の中の受け入れる力が弱い人は、
外側の状況によって、心が激しく揺らぎます。
だから、お釈迦様は、
全ては、苦(=思い通りにならない)であると知り、
快、不快と分けることなく、
ありのまま受け入れる実践によって、
苦しみの根本原因から解放される
と、説いたわけです。
ジャッジせずに、受け入れても、その感覚は残ります。
でも、苦しみの原因である「執着」を手放すことができます。
そんな自分自身の経験と考えから、私のクラスやセッションでは、
「マインドフルネス&自己受容」をとくに意識してお伝えしています。
これまで自分の過去をお伝えしてきて、
今、感じていることをシェアしました。
次回に続く。
神よ
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
「ニーバーの祈り」より
昌生でした。
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こんなに平和で安全な国は他にはありません!!
着るもの、住む家、食べるものに困ることもない。
物質的な豊かさ、便利さは、すでにピークにきています。
それなのに、、、
他の国に比べると
幸福度は非常に低いと言われています。
あなたは今、幸せですか??
何%くらい幸せですか?
100パーセント幸せって言える人は少ないんじゃないでしょうか?
私も、学生時代貴族のような生活を体験しましたが、
あれだけ恵まれていたのに、何かが足りなかった、、、。
ずっと、どこか満たされていない感じがありました。
悩みがあり、苦しみがあった。
つまり、外側の状況と内的幸せは、
必ずしも正比例する関係にはないということです。
自分とお釈迦様を並べるのは大変恐縮ですが、、、
仏教の開祖ブッダも元々は、王子でした。
彼も二十代の頃は、城の中で贅沢な暮らしだったことでしょう。
でも、
「このままでは自分はダメになる」
と思って出家したわけです。
ずっと満たされない何かがずっとあった。
...
ここで一つの仮説をたてたいと思います。
その仮説とは、
物質文明がピークに達したとところから、
精神的な価値観にパラダイムがシフトする。
ということです。
なぜそう思ったのかをお話しすると、
それは、インドに行ったとき、
ヨガにはまっている欧米人と日本人がたくさんいたからです。
物質的な頂点を極めた海外のアーティスト、セレブ、
また日本のボンボンたちがインドで、ヨガや瞑想を熱心にしていたのです。
逆にインドの庶民はヨガはどうかというと、、、
欧米人ほどではありません。
どちらかというと、過去の日本人のように、
発展途上の国は、精神性よりも、テレビを買ったり、携帯を買ったり、
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(出家者や富裕層は別です。)
では、なぜ物質文明がピークに達すると、
精神的な価値観にパラダイムがシフトするのか?
それは、、、
どんなに外側を変えても、
すべては思い通りにならないことを悟るからではないでしょうか。
お釈迦は、
人生は苦(ドゥッカ)である
と説きました。
DUKKHA = 苦
と訳されますが、
ドゥッカとは、
「思い通りにならない。」
という意味もあります。
つまり、
人生は、思い通りにならない。
と説いたわけです。
老いて、病み、別れ、死ぬ。
全ては無常で、思い通りにはなりません。
それはどの時代も、どの身分の人も、どの国の人も同じです。
文明が豊かになるにつれて科学技術が発達していくので、
気温も、湿度も、明かりも、移動も、サービスも、
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生活は便利になります。
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でも弊害もあります。
それは、外側が便利になって、思い通りになればなるほど、
思い通りにならないことを受け入れる力は弱くなっていくのです。
自然現象、他人も操作できません。
自分の体、老化、病気、健康、年齢も、思い通りになりません。
これらの思い通りにならないことを受け入れることができないとき、人は、悩み、苦しみます。
簡単にいうと、
嫌だ!
こんなの受け入れられない!!
って思ったとき、
体の中に、ストレス、緊張が生まれるのです。
外側の状況は関係ありません。
自分の中の受け入れる力が弱い人は、
外側の状況によって、心が激しく揺らぎます。
だから、お釈迦様は、
全ては、苦(=思い通りにならない)であると知り、
快、不快と分けることなく、
ありのまま受け入れる実践によって、
苦しみの根本原因から解放される
と、説いたわけです。
ジャッジせずに、受け入れても、その感覚は残ります。
でも、苦しみの原因である「執着」を手放すことができます。
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神よ
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それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
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それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
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