先日、ある方に真輝の就学についての悩みを聞いてもらった。


その方は、支援学校や支援級の創設や開校などに深く携わり、知的・身体の障害者たちが行うスポーツ祭典などでも実行委員長を努めたりした経験もある方です。
そして何人もの障害児や障害者を見てきて悩みや相談も聞いており、そしてその家族の人たちの相談も何件も聞いている方です。


ボクはこの方と10年前からの知り合いで、真輝が誕生した時も知っています。
そして真輝が障害児と分かった時も、夫婦で相談に行きました。


今回はその方へ就学について相談に行きました。

約1時間ほど懇談しました。
その方から言われたアドバイスとして一番心に残ったことが「10~15年後の真輝君を想像できるような計画をして、そして就学を検討してください。今だけの状態での判断は真輝君を苦しめますよ」と言われた事が印象的でした。

その後、真輝の将来まで考えて、様々なケースや問題点やメリットなどを一覧表に纏めて考えました。
そうしたところ、今までボクが考えていた就学への考えは、ここ数年での環境の中で判断をしていたレベルであり、10~15年後の真輝を考えていなかった事に気づきました。



この1ヶ月、就学相談・個別心理検査・そして支援級の増設に関することや、様々な方との懇談や体験談を聞きいてきた。
ボクは父親としての責任の中で強くプレッシャーがのし掛かり、かなり悩んだ。

しかし悩みに悩んだことで、真剣に考えたことで、自分の中で弾けたものがあり、それ以降はかなり気持ちが楽になった。
決して投げやりではなく、悩みきった後での爽快さから出た真輝の将来設計です。


まだ最終的な決定までは半年以上もあるので、もっと考えてみますが、多分それがどの答えになったとしてもボクは真輝に対して、決して恥じない決断であると確信できる。

という意味では父親としての責任(就学への問題)は果たせると思います。
後はその環境を構築してやる事が真輝にとっての表面的なサポートになっていくと思います。


ずっと悩んでいた真輝の将来。
昨年の5月には下記のブログを書いています。


俺には決める権利なんてない 2010年05月18日
http://ameblo.jp/masaking129/entry-10538163165.html


その中でボクはこう書いています。

「判断するのはオレですよ!俺。俺が真輝の人生を決定しなければいけないんです。真輝があと2年もすると、その時には真輝の意思とは関係無く、ボクが「保護者」としてその決定をしなければならない。真輝が自分で「普通の学校に行きたい」「特別支援学級にしたい」なんて言いませんから。ということはオレが決めることになります。最高に愛するわが子の将来を俺が簡単にその方向性を定めてしまって良いのか?そうすることが「親の宿命」なのか?」


この時からずっと父としての責任を闘ってきたこの小学校の就学に関する問題。

大丈夫!俺が決める。
自分では、どこの父親より悩んでどこの父親よりも息子を考えて悩みきったと確信している。


最愛の我が子の将来は俺が決めて、決して息子に恥じない結論をボクが出す。
俺はもう決める自信と責任は持てたから。