祝 北海道新幹線開業! | MIRAIZ株式会社のブログ

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こんにちは、設計事業グループの北村です。

3月26日に北海道新幹線が一部開業しましたビックリマーク
計画から43年の月日をかけて、ついに北海道上陸ビックリマークですね。

これだけ長いプロジェクトは私達の仕事では考えられない規模ですね。

計画が発足した時は1973年。
正木設計が誕生する2年前までに遡ります。
時の首相は田中角栄 列島改造論を 提起するなど、高度経済成長を突き進んでいた時代です。

『ひかりは北へ』のキャッチコピーではじまりました。
(因みにこの ひかりは、東海道新幹線を走っていた ひかり号です。)

この間、幾つかの困難に直面しています。
 オイルショック
 バブル崩壊
 国鉄からJRへ民営化
 新幹線不要論まで・・・

いろいろな紆余曲折があり、ようやく北海道までたどり着いたという感じですね。



私個人として、北海道の列車で一番大好きで、思い入れのある列車があります。
現役時代は一度もみたことがありません。
私が、4~5歳のころなの事なので・・・
そんな列車が、私の心の奥底にあります。
かつて走っていた

 『ニセコ』という急行列車です。 

1970年頃『SLブーム』というものがありました。
(因みにSL=steam locomotive=蒸気機関車の略です。)

国鉄は無煙化政策 の一環で蒸気機関車を全廃するという動きになっていました。
無くなる前に一目見ておこうという全国から鉄道ファンが集まっていました。
(この構図は、いまも昔もかわりませんが・・・)

中でも、北海道では函館から小樽間をけん引していた、C62型蒸気機関車という機関車が絶大な人気を誇っておりました。

最近の『北斗星』や『カシオペア』以上に人気があったと思います。・・・(たぶん)



幼心に、テレビで見た映像に感動を、覚え、煙をモクモク吐きながら、驀進してくいく姿に、虜になってしまいました。

家にもニセコ のポスターが、飾ってあり、お気に入りでした。

以来、今日までもリスペクトしている気持ちに変化はございません。


それから、親が、北海道は遠いだろうけど、東京近郊でSLが走っているところがあるという情報を聞きつけてくれました。
当時の自宅から比較的近い、八王子の方にある、八高線というところで、線路脇から生で見た姿は、感動として記憶に残っています。

因みにこの時、父はカメラマンとして一緒に見に行きました。
なにせ、アナログの時代です。 
36枚撮りのフィルムを装着し、精神を研ぎ澄まし、最高のシャッターチャンスをと、今か今かと、待ち構えていました。

そして、遂にSLが、目の前に現れ、シャッターを切る音 SLの爆音 様々な音が入交り、通り過ぎた後の余韻・・・
今でも鮮明に覚えていますね。

それから、数日後、写真の出来上がりを楽しみにしていました。

しかし・・・

露出の調整がうまくできていなかった可能性があり、それが、原因で、現像できなかったとの事。

父は、『タイミングは良かったっと』言っていたのですが・・・

その事実を知ってとても悔しかったですね。


でも、それ以上に、想い出は残りました。

実際に線路脇から見ていて写真には残りませんでしたが、SLが通り過ぎる瞬間の爆音、煙突からの煙や水蒸気で、辺り一面がスモークに包まれ、一瞬にして視界が、無くなる様子は幻想的な後景でした。
そして、仄かに漂う石炭の匂い・・・

想い出としては、最高のものが残りましたね。


因みに私個人の職業病かも知れませんが・・・
製鉄所の設備でコークス工場というところに行くと石炭の匂いがします。(私にとっては、香りです^^)

それを嗅ぐと何となく、この時の想い出が走馬灯の様に蘇ってきます。

私はこの匂い(香り)、嫌いじゃありません!むしろ好きです。

最近は全国でSLの復活をしているところもあり、足を運べさえすれば、見るチャンスはありますよ。
小さな子供さんにも喜ばれるかもしれませんよ。

そして、『ニセコ』へのリスペクトの証として鉄道模型を趣味で集めています。
『ニセコ』をけん引していた。機関車と客車の模型です。
実際に動きます。音も出ます。
時々走らせることもあります。





 客車は、キットを組立中なので、まだ、未完成ですがいつか完成させたいと思っております。


新幹線が出来ると便利になる分並行して走っていた在来線の寝台列車が 廃止になったり、情緒ある列車が無くなるのは寂しいものですね。


昔、交通標語で、
「せまい日本 そんなに急いでどこへ行く」
 なんて言葉も流行りましたが、

ゆっくりと いく 列車の旅もいいですね。

札幌までの開通予定は15年後です。まだまだ、長い道のりですね。・・・