新聞や雑誌やテレビ等の公共的に過ぎるかもしれないマスコミが連日連夜流す言葉は、どこからも苦情が出ないよう、偏っているという抗議がされないよう、あちこちに細かく気を配り、さまざまな人たちの顔色を窺うことによって紡がれているせいで、結局、最大公約数的な、平均的な、当たり障りのない、どうでもいいような、きれいごとに終始しています。

 そしていつしかそれが健全な意見の模範的な形式として定まり、世に認知され、社会にあまねく浸透し、人々は影響され、あるいは洗脳され、物事の本質や核心からどんどん遠ざかってゆき、上っ面のきれいごとを弄びながら、それ以外の言葉を棘として、毒として無意識に避け、また、排除するようになってしまいました。

 しかし、これは非常に恐ろしいことなのです。きれいごとの言葉を唯一絶対の尺度としてどんな意見をいくら発してみたところで、幾多の大問題が解決へと向かうことはけっしてありません。それどころか、そんなどっちつかずの言葉と戯れているうちに問題の数は増えつづけ、ひとつひとつの問題が深刻さをさらに増やしてゆくことになるでしょう。

 本音をひた隠しに隠して当たり障りのない言葉のみを並べるのは、情緒的な人間から良く思われたいと願いながら、情緒的な人間である自分の小芝居にうっとりと酔い痴れている、幼稚なナルシストか、さもなければ、卑劣な詐欺師です。




【お知らせ】

 101日より、代表作『千日の瑠璃』1日1話のソーシャル配信を開始!


『千日の瑠璃』を10月1日から無料配信しています。『千日の瑠璃』は、1988年10月1日から1991年6月27日までの1000日間を、ある日は「風」が、ある日は「棺」が主人公になり、まさに1000の視点から言葉を紡いだ革新的な物語です。

 本書は、出版不況を知らない1992年に発売されました。氏の言葉を借りれば、それはまさに出版業界と文壇へ「真っ向から挑戦状を叩きつけた」作品です。それから19年を経て、丸山健二は再び挑戦状を叩きつけてきました。

 1000日という時間をかけて連載される『千日の瑠璃』を、ぜひお楽しみください。




連載は下記のサイトで読むことができます。

http://maruken.getnews.jp/