とはいえ、そうしたナルシシズムべったりの傾向は、世界の文学においても例外ではなく、わが国ほどの高い確率ではありませんし、また、質の点においても数倍も高度なのですが、やはりその根底いは同じ種類の、反自立をよしとする、むしろそれを競い合うかのような、救いがたい、軟弱なくせに卑劣で愚劣な精神が流れていて、文学の主流を形作っています。しかし、それとは真逆の方向、つまり、一個の独立した人間として自律と自立の方向をめざしてやまない、ゆえに飛び散る火花を高度で高尚な、これこそが本当の文学、これこそが本物の芸術作品と呼べるような、圧倒的な文章で描かれた作品が、数は少ないのですが在ることは在るのです。
ところが、文学を現実逃避の安易な小道具、あるいは、婦女子のままでいたいがための隠れ蓑として利用したがる読者が増え過ぎ、そうした悲しい人々の人数が圧倒的になったせいで、版元はぼろ儲けが期待できるようになり、現に、映画やテレビが台頭するまではわが世の春を謳歌できるまでの成長産業でありつづけたのです。内容がどうであれ、質がどうであれ、何か書いてさえあればいいというような、複数の女に挟まれて苦悩する僕といった、妄想で塗り込められた、よく恥ずかしげもなく書けたものだと思うような、文学どころか、小説にさえなり得ていない代物が、傑作として世に堂々とはびこり、関係者はそれを至上のものとして、自信と誇りさえ持って、世に送り出しつづけていたのです。しかも、そうした作品を、数々の文学賞と、仕事がもらえればどんなゴマスリをも厭わぬ評論家たちの持ち上げの言葉と、文化勲章なる国家のお墨付きが、わが国の遺産にまで格上げし、あたかも未来に引き継がれる芸術作品として固定化してしまったのです。
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一般企業の勤め人として数年間を過ごしたことがある、つまり、学生という甘ったれた身分や、女のヒモになって食わせてもらう立場や、資産家の親の過剰な援助のもとに社会人になることを避けて〈文学かぶれ〉をつづけられた身の程とは遠く隔たった、ごく普通の条件を背負い、経営不振によって職場が消滅しかねないという切羽詰まった状況に背中を押されて、さほど好きでもなかった、というより、むしろ軽蔑の対象でしかなかったこの世界へ、生活のためという動機で足を踏み入れた私としましては、出だしからしてほかの執筆者たちとは文学に対する姿勢が異なっており、悪く言えば、不純、良く言えば、客観性ということになる、しかし、それゆえに最初から突き放した姿勢を保つことができ、酔い痴れることなく、冷徹な眼差しで文学を捉えることができたのです。
その視線でこの世界を眺め回したとき、まだ若かったとはいえ、あまりのいい加減さに仰天し、とりわけ、純文学と称するジャンルの質の低さには開いた口がふさがらないほどで、若造が書いた小説を老成という言葉を用いて評価する年配の書き手の気持ちがどうしても腑に落ちなかったのですが、ほどなくかれらが物した作品に接したとき、そのあまりの幼稚さと稚拙さにびっくりし、その文章なんぞは、散文とは称しているものの、作文に毛が生えた程度の代物でしかなく、それでもまずますの文章で書かれている作品であるにはあったのですが、内容が大の男が少女趣味まる出しの夢と憧れでいっぱいの、劣等意識の真逆でしかないナルシシズム一辺倒で終始した代物で、男を辞めて女になるか、大人を辞めて子どもになったほうがいいのではないかという、不気味な内容で、どうやらかれらはそれこそが文学の神髄だとでも思いこみ、信じ切っているかのようでした。
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要するに、文学のこうした衰退と減退は自明の理ということであり、なるべくしてなった必然ということであって、驚くに値しないどころか、嘆くにも値しないのです。関係者たちはそのことについて、大げさで芝居がかった慨嘆を演じてみせ、〈活字離れ〉などという優越的な物言いでもって自分たちの反省の機会を曖昧にしようとしていますが、しかし、実際はそうではなく、あれしきのものがあれほどまでにもてはやされたこと自体がそもそも間違いで、結局は時代の波に乗ったというだけの流行りもの以外の何ものでもなく、むしろ、真の芸術作品と呼べる真っ当な作品を世に出しつづけることによって真の読者を育むことを怠るという、目先の欲をかいた罰としての自業自得であり、それを「文学が死んだ」という言い方で問題をすり替えるのはとんでもない間違いなのです。
文学は死んでいません。死んだのは、文学のふりをしながらぼろ儲けを狙った文学関係者たちなのです。とりわけわが国において、偽札を刷りつづけているのと大差ないあこぎな商売をくり返してきた大手出版社は、ここに至って絶体絶命の窮地を迎え、それでも出版社としての在り方を根本から見直そうという気持ちはさらさらなく、「夢よ、もう一度」の方針以外には考えられず、幻と化して久しい文学賞の偽りの権威に惑わされてついつい買ってしまう、自分がないにも程がある日本人の弱みにつけこんだ商売に一縷の望みをつなぎ、あるいは、一時の話題性に彩られた際物を出すことによって、これまで通りの収入を維持しようと悪あがきをしているのですが、当然、そんな愚かな商売が復活するはずもなく、赤字の増大を防ぎ切れず、社内留保を取り崩しても追いつかなくなり、編集の才能など初めから持ち合わせていない社員の頭ではどうにもならず、今や風前の灯なのです。
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