こうしたがんじがらめの社会のなかでああでもないこうでもないと足搔いて、自分なりの出口を捜し求めているうちに、いつしか本来自由であるべき一個人としての尊厳について思いを巡らせなくなり、はっと気づいたときには国家にとって極めて都合のいい人間に、つまり、抵抗など思いも寄らない、羊の数倍も従順な者に成り下がっているのです。

 諦めてしまうのが最も賢明な選択であり、一番の生き方であると思い込ませられてしまったあなたに、果たしていかなる未来が待っているというのでしょうか。この世に生まれてきた甲斐があると一瞬でも思えるような人生は夢のまた夢なのでしょうか。

 怒りの源を自らの手でつぶしながら、その日その日をどうにか誤魔化して生きる道しか本当にないのでしょうか。怒りの先には破滅や破局のたぐいしか待ち構えていないという多くの人々に共通した諦念の意識はいったいどこで植え付けられたのでしょうか。

 あなたは本当に生者の仲間なのでしょうか。死者よりもましな存在としてこの世をふらふらと漂っているだけなのでしょうか。

 もしかすると、死者以下の生者ということになるのかもしれません。正義の怒りにかられたとき、泣き寝入りしたり、事なかれ主義に走ったり、見ないふりをしたりした者は、自分で自分の魂の命を殺したことになるでしょう。そうなると、あとはもうひたすら生者のふりをして生涯を送るだけです。そしてそれをよしとするのは、脆弱な私小説作家くらいです。