" MANDERA LONG WALK TO FREEDAM "
監督 ジャスティン・チャドウィック
原作 ネルソン・マンデラ
歌 U2
出演 イドリス・エルバ
ナオミ・ハリス
テリー・フェト
草の中を走る黒人の少年
ネルソン・トラブルメーカー・マンデラ
1918年(大正7年) 南アフリカ ムベゾ生まれ
1944年
エブリンと結婚
*
1948年
アパルトヘイトが法制化
オーランド居住区、ソウェトに移る
*
パス法成立
18歳以上の黒人に身分証の携帯が義務付けられる
*
1957年
エブリン35歳と離婚
1958年
ウィニー22歳と結婚
*
1960 3月21日、シャープビル
パス法への抗議集会に数千人が集まる
中止を求める警察が群衆に発砲
69人死亡、180人負傷
国連安全保障理事会は
シャープビル虐殺事件に対する非難を可決
*
1961年
マンデラはテロ組織"民族の槍"を作る
爆弾テロを次々に指令
1962年
逮捕される
1963年
シスルらと共に
国家反逆罪で終身刑の判決を受ける
死刑にならなかっただけ儲け物
*
1976 6月16日、ソウェト
黒人学生一万人がデモ行動を起こす
警察隊と衝突
500人死亡、2,000人負傷
国連安全保障理事会は
南アフリカのアパルトヘイトに対する非難を可決
*
1982 3月31日 ケープタウン
ポルスモア刑務所に移監される
*
1985年
ウィニー
"AK47はない、でも戦い続ける
裏切り者の黒人は焼き殺せ"
*
UK 、EU、日本、米国が
南アフリカへの経済制裁を始める
*
1986年
パス法廃止
*
1990年 2月11日
マンデラ71歳、釈放される
1991年
第11代アフリカ民族会議議長に就任
デクラーク大統領は
人口登録法、原住民土地法、集団地域法などを廃止
1993年
南アフリカ大統領デクラークと共に
ノーベル平和賞受賞
*
1994年4月27日
南アフリカ史上初の黒人参加総選挙
国会議会400議席中アフリカ民族会議が249議席を獲得
マンデラが大統領になる
ネルソン・マンデラの自伝を基に作られた
でも前半、年代が前後する
映画的に盛り上げるための演出?
マンデラが組織した"民族の槍"は
テロリスト集団
正義の為なら死も厭わない
主義主張のためなら手段は選ばない
典型的テロリストの考え
司令官マンデラの逮捕は当然
マンデラが刑務所にいた18年で
時代は大きく動いた
人種差別の非人間性にやっと気づいた
南アフリカは外圧により
アパルトヘイトを廃止せざるを得なかった
その間、マンデラは何もしていない
彼が民衆から忘れられなかったのは
彼の家族が活動していたから
18年間で家族がマンデラを
カリスマに祭り上げた
少数派の白人は
マンデラと交渉するしかなかった
時代が変われば
テロリストの司令官も
ノーベル平和賞が貰える
大統領にもなれる
マンデラは
テロリストの星
1996年
ウィニーと離婚
1999年
政界から引退
2013年
死去、享年95歳
2013年 UK/南アフリカ映画 147分 制作費350万ドル
ゴールデン・グローブ 歌曲賞受賞
アパルトヘイトは
アフリカーンス語
アフリカーンス語は
アフリカ南部の白人が使う
主に使うのは
南アフリカの白人
南アフリカの白人は
オランダ系移民が多く
アフリカーンス語はオランダ語の亜型
apart = 別れた
heid = 状態
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