「 エディット・ピアフ 〜愛の讃歌〜 」 | 0・・映画toほげほげ

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♪ ほげほげたらたらほげたらポン ほげほげたらたらほげたらピー ♪
★映画のほげほげ等、気まぐれ備忘録★

  " la Môme "

    môme = 小さい、子供


監督 オリヴィエ・ダアン
撮影 永田鉄男
美術 オリヴィエ・ラウー
衣装 マリット・アレン
出演 マリオン・コティヤール
    シルヴィー・テステュー
    パスカル・グレゴリー
    エマニュエル・セニエ
    クロティルド・クロー


 1959年2月16日
彼女は出演中のニューヨークの劇場の
ステージ上で倒れる


  エディット・ピアフ
  1915年、パリ、ベルヴィル生れ


 パリ、ベルヴィル 1918
 第一次世界大戦終戦間近

彼女の母アネッタ20才は貧しく
生きるため路上で歌う

母は興行主から声をかけられ
娘を自分の母に預け
コンスタンチノープルへ去る

母の母は彼女の面倒を見なかったので
父ルイスが連れて行く


 ベルーネ ノルマンディ

父は徴兵中
彼女を自分の母に預ける
父の母は売春宿を営んでいた

娼婦は彼女を可愛がった


 ニューヨーク 1959年3月8日
ピアフはレコーディング・スタジオで録音


 1918
彼女は結膜炎で眼が見えなくなる

  1922年
視力回復

  1929年
旅芸人に復帰した父に連れられ
彼女は祖母の売春宿を去る


 パリ、オルリー空港 1959年6月
ピアフは20歳年下の交際相手と帰国


  1930年
彼女はストリートシンガーとなる

  1931年
女の子を出産
  1933年
娘死亡


 グラース 1963年8月
病の床にふすピアフ


 パリ、モンマルトン 1935年
彼女はナイトクラブのオーナーに見出される・・・


  1936年、レコード・デビュー
   1939年、第二次世界大戦勃発
 1940年、ジャン・コクトー脚本の舞台に主演
        ドイツがフランスを占領
   1945年、第二次世界大戦終結
 1946年、「ばら色の人生」ピアフ作詞
 1947年、アメリカ初公演
      マレーネ・ディートリッヒと知友を結ぶ
 1949年、恋人が飛行機事故で死亡
      「愛の讃歌」ピアフ作詞
 1951年、交通事故で肋骨2本を折る
 1952年、結婚
 1955年、モルヒネ依存症の更生治療を受ける
 1956年、離婚
 1959年、肝臓病が悪化、入院
 1960年、「水に流して」
 1962年、20歳年下の歌手と結婚
 1963年10月、癌により死亡 享年47歳



    フランスの国民的歌手の生涯を描く

    日本で言えば
    "美空ひばり~川の流れのように~"


     原題は 
     彼女が身長142cmと小柄だった事から着いた愛称
     "ちいさなスズメ"から

      演じたマリオン・コティヤールの身長は
      169cm

      フランス人女性の平均身長は
      163cm



   時間が行ったり来たりして
   判り難い

   ピアフに思い入れがあるかどうかが
   評価の分かれ目

   僕は彼女のことを知らないので


 $0・・映画toほげほげ-エディット・ピアフ


2007年 フランス映画 140分 製作費2,500万ドル
 セザール賞 主演女優賞、撮影賞、音響賞、美術賞、
       衣装デザイン賞受賞
 アカデミー賞 主演女優賞 メイクアップ賞受賞
 LA批評家協会賞 女優賞受賞
 ゴールデン・グローブ 女優賞受賞