「 ニクソン 」 | 0・・映画toほげほげ

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♪ ほげほげたらたらほげたらポン ほげほげたらたらほげたらピー ♪
★映画のほげほげ等、気まぐれ備忘録★

  " NIXON "


監督 オリバー・ストーン
出演 アンソニー・ホプキンス      リチャード・ニクソン
    ジョーン・アレン        パット・ニクソン
    パワーズ・ブース        アレクサンダー・ヘイグ
    エド・ハリス          E・ハワード・ハント
    ボブ・ホスキン         J・エドガー・フーヴァー
    E・G・マーシャル        ジョン・ミッチェル
    デヴィッド・ペイマー      ロン・ジーグラー
    デヴィッド・ハイド・ピアース  ジョン・ディーン
    ポール・ソルヴィノ       ヘンリー・キッシンジャー
    J・T・ウォルシュ        ジョン・アーリックマン
    ジェームズ・ウッズ       H・R・ハルデマン


 1972年6月17日、午前1時過ぎ
 ウォーターゲート・ホテル
スーツ姿に白い手術用手袋そしてカメラを持った5人が
ワシントンの民主党本部で逮捕される

侵入犯は最高40年の懲役
大統領筋は事件への関与を否定

ディーン大統領顧問は調査委員会で証言
最高レベルの関与を認めた

2人の大統領補佐官も辞任に至る
また バターフィールド補佐官は秘密録音装置の存在を暴露

所得税の脱税でアグニュー副大統領は辞任

ウォーターゲート特別監察官コックスは大統領によって解任され
さらに大統領の弾劾を要求する8本の決議案が提出される

1972年6月20日の大統領の会話録音テープに
18分半の空白が発見される

シカゴ判事は大統領に対し全テープの提出を命じる


  1925年
 ホイッティア カリフォルニア
リチャード・ニクソン12才
5人兄弟の次男
父の経営する食料品及びガソリ販売店を手伝う
父は厳格な人で楽して儲けるのが嫌いだった

  1930年ー1934年
 ホイッティア・カレッジ
アメフト部に所属、4年間補欠だった

  1933年
兄ハロルドが結核で死亡

  1934年
ウィッティア大学卒業
デュク大学法学部大学院に入る

  1937年
デュク大学大学院卒業、司法試験合格
  1940年
セルマ・キャサリン・ライアンと結婚
  1641年
アメリカ海軍に入隊
  1643年
南太平洋戦線に配属

  1946年
33歳で下院議員になる

非米活動活動委員の中心となる
  1948年
ヒス事件で一躍有名になる
ヒスは国連創立者の1人でルーデベルトの親友
外交官だったヒスは記者の証言でソ連への機密漏洩が発覚
ヒスはニクソンとフーヴァーの謀略だと主張
ヒスはスパイ罪ではなく偽証罪で有罪に
ニクソンは英雄視される一方
売名行為だと非難された

  1950年
35才で上院議員に鞍替え

  1952年
アイゼンハワーの副大統領になり
収賄疑惑浮上、テレビで弁明
2期にわたって1960年まで副大統領を務める

 1960年
 ニクソン vs ケネディ、大統領選
テレビ討論
ニクソンは退院直後で体調不良
口べた、容姿はケネディに劣る
ケネディはいいとこのエリート
ニクソンは成り上がり叩き上げ

ケネディはキューバに詳しい
CIAにパイプがある
その話題では反論できない

ニクソン47才
この選挙は僅差でケネディに負ける

ニクソンの父は正直者で遺産を全く残さなかった
ニクソンは政界を引退し弁護士を戻ろうかとも思う

 1962年
 カリフォルニア州知事選、敗北
 vs ブラウン
ブラウンは現役知事でケネディが支持していた

妻の説得により政界からの引退を決意
マスコミにも引退を発表

 1963年
ケネディの和平政策は経済界から敬遠され
11月22日、ダラスでケネディは暗殺される

 1968年
再び大統領選に出馬を表明

 1968年
共和党大統領候補に指名される
ニクソンは民主党が押し進めたベトナムへの派兵を批判

 1969年
第37代アメリカ大統領になる
ジョン・ミッチェル、司法長官就任
ロナルド・ジーグラー、報道官に就任
ヘンリー・キッシンジャー、国家安全保障問題担当補佐官に就任

 1969-70年
ラオス及びカンボジア
秘密空爆24万5千回

 1970年
カンボジアへ侵攻
学生の反戦デモ激化
 5月4日
ケント大学にて4人の学生が
州兵に撃たれ死者

 1971年 6月
ワシントンで25万人がベトナム戦争反対のデモ

 6月13日
タイムズ紙がベトナム戦争に関する極秘文書を掲載
情報を漏らしたのはエルズバーグという役人

今後機密が漏れるのを防ぐため
官邸内に独自の非合法秘密機関が作られる

この秘密機関の実務を任されたのがE・ハワード・ハント

ハントは精神科医のオフィスから
エルズバーグのカルテを盗み出す

 12月
ハノイ爆撃
米国史上 最も猛烈な爆撃

 1972年2月21日
中国を訪問、毛沢東らと会談

 5月2日
フーヴァーFBI長官死亡

ソ連との戦略兵器削減交渉成立

 6月17日
ウォーターゲート事件発生


 大統領プライベート・オフィス
ウォーターゲート事件について話し合う
ニクソン大統領、主席補佐官H・R・ハルデマン
ジョン・ディーン法律顧問

今回の事件に内部の職員ハワード・ハントが関わっていた
メモを残して関与がばれた、疑惑の前歴がある
CIAの危険人物
ウォレス暗殺未遂事件の際 偽装工作をした
エルズバーグ事件にも関与した
ハントが口を割ったら汚いヘドがドロドロ出る
ハントは隠れている
ハントは金を要求している

キューバ対策基金を使い
侵入者全員に口止め料の支払いを
ニクソンが承認

ハントには偽IDも渡している
大統領に不利な証拠になる

CIAには捜査をさせないこと
FBIには深入りさせないこと

 11月7日
地滑り的大勝でニクソン大統領に再選される

 1973年1月27日
ベトナムの和平協定案(パリ協定)調印
協定内容は'69年当時と大差なし
 1月29日
アメリカ軍のベトナムからの撤退を発表

 4月30日
ウォーターゲート事件への関与により
ハルデマン大統領主席顧問、
アートリック補佐官、
ディーン法律顧問、辞任

 6月
ジョン・ディーンに対する上院公聴会

 7月
前補佐官バターフィールドに対する上院公聴会
録音装置の存在を暴露

 10月10日
スピロ・アグニュー副大統領、脱税発覚で辞任
ジェラルド・フォードを副大統領に任命

 10月20日
ウォーターゲート事件を担当していたコックス検察官を解任
リチャードソン司法長官辞任
司法次官解任


 12月
ヘイグがニクソンに3本のテープを届ける
ニクソンはテープの流出はフーヴァーが死んだせいだと考える
フーヴァーは話の分かるFBI長官だった

失意で沈むニクソン、テープを再生する
 盗聴器設置と書類の盗み撮り これが4度目です
 目的は闇献金の証拠入手かも
 とにかく目的は分かりません

録音テープを聞くニクソン
 マスコミには何でも話せ
 真実以外はな
 ピックス湾事件の再燃にもなり得る
  それはケネディの失敗では


 1974年8月
下院の司法委員会が大統領弾劾決議を本会議に提出
 36回の司法妨害・側近への偽証の勧告・権力の乱用
上院特別委員会は
国税庁 FBI CIA 司法省の乱用を指摘

 1974年 8月9日
リチャード・ニクソン
 大統領を辞任


ニクソンの辞任後、米ソは再び軍備を拡大

ニクソンは恩赦を受け
録音テープは4,000時間のうち
60時間のみが公表された


   世界は利己主義で
   結ばれている

   大統領は野獣の檻に入れられた猛獣使い
   やりたい事は多くても出来る事は少ない
   させたい事をさせるには時とし鞭も振る


  アメリカ国民に愛されたケネディとは正反対のニクソン
  任期中に辞任をせざるを得なかった只一人の米国大統領

  ウォーターゲート事件で失脚するまでを
  生い立ちから濃厚に描く


  ニクソンを支える奥さん役ジョーン・アレン
  $0・・映画toほげほげ-ジョーン・アレン
  助演女優賞受賞


    国民的憎まれ役のニクソンだが
    何も悩まない息子ブッシュよりはまし


    ウォーター・ケート事件はなぞが多く
    そもそも何故この時期に
    盗聴器を仕掛けようとしたかが謎

    ニクソンの再選はほぼ確実で
    小細工をする必要はなかった


    軍縮に手をつけたため
    ニクソンは失脚させられた
    の説もある


 $0・・映画toほげほげ-ニクソン


1995年 アメリカ映画 191分 製作費4,400万ドル
 全米批評家協会賞 助演女優賞受賞
 LA批評家協会賞 助演女優賞受賞