ディック


哲学者ニーチェの著書「ツァラトゥストラはかく語りき」には、「人間とは樹木のようなものだ。木は育って上方へ伸びれば伸びるほど、地下では根が下へと伸びていく」と書いてある。冒頭には、山の頂上に住む賢者ツァラトゥストラが鷲や蛇などの野生動物と共生しているくだりもある。

これは、「精神的な高みに達すること(上昇、進歩)と、原始的・根源的なものを回復すること(下降、退歩)は、正反対のようでありながら、実は同時に起こることである」ということを言ってるのだと思う。


さて、小説の話。P・K・ディックの「火星のタイムスリップ」のクライマックス、マンフレッドという精神病の坊やが、一瞬のうちに体が変化して老賢人になってしまい、「黒ん坊」と言われる火星の原住民たちと邂逅し、「こんな美しい人たちは初めて見た・・・」と呟くくだりがあった。ついでに言うと、この瞬間に、マンフレッドの周囲にあった機械が彼の体に絡み付いて、身体化される、というイメージも語られている。

これは、上記の「ツァラトゥストラ~」同様、「下降して上昇、退歩して進歩」の感覚の表象である。


「火星のタイプスリップ」とは、SFとしては随分ベタなタイトルで、これが書かれた60年代当時でもそういう印象を与えたろう。しかし、ディックは「スリップストリーム(境界解体文学)」というムーブメントの代表であり、SFと主流文学を融合させた人とされる。同類の作家とされたヴォネガットはいまや「主流文学の人」にカウントされることが多くなっている。

「火星」とは隠喩であり、「タイムスリップ」も同様である。つまり「火星のような場所で起こるタイムスリップのような現象」を描いているわけだ。「火星」とは、伝統から切り離された共同体すなわちアメリカであり、「タイムスリップ」は、「精神病になってしまうほど鋭敏な少年が悟りを開く(=達観に至る)」というようなことである。


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