メンヘラ女が出てくる映画なんて珍しくないけど、この動物形態模写女は新鮮だ。周囲の反応も、屋外ではさすがにチラチラ視線が刺さるという感じだが、夜の店では「この子はこういう子なんだから」という感じで自然に受け入れられている、というのもリアルでよい。

 

松本人志が『シネマ坊主』という映画批評コラムで『ミザリー』のキャシー・ベイツが豚のように鼻を鳴らすところに注目し、自作の『R100』で大地真央に『丘を越え行こうよ(正式タイトルはピクニック)』を歌わせアヒルやヤギの真似をけっこう本気でやらせた。山下監督は松本コントからの影響をどこかで語っていたし、『ユメ十夜』の担当話なんて、もろに松本コント風だった。

 

山下が上記の記事やシーンを見たかは分からないが、この映画での聡の鳥真似パートは、松本の『この女、いま動物の真似したでぇ』という狂気への恐怖感がシリアス映画向けにに発展したものと見えた。

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市川雷蔵も出た昔の邦画のシナリオだが、「月刊シナリオ」に再録。

 

解説を見ても、これがエスペラント語を使用した映画であることには触れてなかった気がする。そこは残念。

 

伊藤大輔によるシナリオで、この人は北川冬彦の著作『シナリオの魅力』で、山中貞雄らと同様「韻文映画」の人だが、浅薄ながらもキャラクターの自我の芽生えを表現して、伊丹万作という「散文映画」の巨匠が登場する道を切り拓いた脚本家・監督であると評された人だ。

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かつて、ボブ・ディランの'Bucket of rain'の一節について、このブログでも書いた

 

彼が、村上春樹を押しのけて、ノーベル文学賞を取った。まあ、春樹と同様に前から受賞候補として噂されてたからね、さほど驚かん。

 

ガロ『学生街の喫茶店』などで、日本人にとっては馴染みの深い名前。保父ディランなんてバンド(ユニット?)もあったよな。近田春夫は、「サウンド派の俺には、(歌詞が肝らしい)ディランのどこがいいのか分らん」と言ってた。

 

ぶらんしぇっと

ケイト・ブランシェット演じるディラン

不活腑理論

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昔、このブログでふれた、「とっておきの話(レーゼシナリオについての、未発表理論)」は、課金サイトで発表しようと思ってたけど、突然そんな気がしなくなった。それほどのネタでもないと思うようになったのだ。

 

かといって、ここに書くのも何か気が乗らぬ。書こうとすると手が止まるのだ。それゆえに、このネタを「不活腑理論」(”腑”の字は内臓という意味のほかに心を意味する。書こうとすると心が不活発になる理論ということで)と呼ぶことにした。

 

考えてきたことを忘れて、無かったことにするのも勿体ないし。喋りを録音してYOUTUBEに発表するのはもっと面倒。

 

では、どうすればいいか・・・

文工(ぶんく)

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「文学」という語は「文芸」そのものと「文芸を研究する学問」(文芸学)の両方を意味するから紛らわしいので、前者の呼称としてはなるべく「文芸」という語を使いたいという意味のことは前にも書いたかもしれない。

 

しかし、かつて人々が文芸を「文学」と呼び始めた時期には、「娯楽のためだけではなく、人生について学ぶための読み物」というニュアンスを求めて、「学」(學)という厳めしい字が好まれて受容されたという背景もあろう。正式名称は「文芸」で、ある時期(近代)におけるニックネームが「文学」だったと考えるといいかもしれない。

 

小説帝国が滅びて、レーゼシナリオの時代が到来した暁(=現代)にも、文芸に対する当世風のニックネームがあったらいいと思う。

 

それが「文工」だ。「ぶんく」と読む。「細工」が、「工夫して作る行為」と「工夫して作った物」の両方を意味することができるように、「文芸を書く行為」と「文芸作品」双方を意味することができるようにしよう。

 

イェイツの詩に、「どうやってダンスとダンサーを区別できようか?」というのがあるらしいが、文工は、文芸だけではなく、それを書く人(作家)をも意味することができることにしよう。

新経連

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http://blog.livedoor.jp/muchink/archives/52135141.html


楽天・三木谷さんが結成。ユニクロは経団連に参加せず。ソフトバンク孫さんも経団連と仲悪いとか。ユニクロ、ソフトバンクもここに合流して、岡田民進党(彼が代表じゃなくても)の資金源になる、という流れだろうか。


今日、雑誌「サピオ」読んだら、新経連は、自民党不支持、反原発だとか。