モンキーズとカーペンターズとスリー・ドッグ・ナイトに関わりの深いポール・ウイリアムスの音楽 | EVERYBODY'S TALKIN'/噂の音楽四方山話

EVERYBODY'S TALKIN'/噂の音楽四方山話

60年代~70年代の洋邦楽、ジャズ、クラシックの個人的に好きな曲のみをご紹介いたします。また自分のライブハウスでの弾き語りなどの情報、その他の趣味なども。

 今回は、私の好きなアーチストである、「モンキーズ」「カーペンターズ」「スリー・ドッグ・ナイト」にそれぞれ名曲を提供しているシンガー・ソングライターの「ポール・ウイリアムス」に焦点を当てたい。


 ポール・ウイリアムスといえば、ロジャー・ニコルスとのコンビで、カーペンターズ「We've Only Just Begun(愛のプレリュード)」「Rainy Days and Mondays(雨の日と月曜日)」をはじめ、70年代に数々の名曲を生み出した名ソングライターとして知られる。


青春の輝き~ヴェリー・ベスト・オブ・カーペンターズ/カーペンターズ
¥2,170
Amazon.co.jp

 カーペンターズに関しては、情報が十分すぎる程充実しているので、ここでは多くを語らないが、先日CDショップにいると、若い女の子から「カーペンターズは来日するのですか?」と言われた。(笑)

 ビートルズと同様現在では存在しないバンドですのでご注意を。しかし皆の心の中には存在しているバンドだ。

 さて、前述のようにそのカーペンターズの代表曲といえる

「雨の日と月曜日は」(Rainy Days and Mondays)
「愛のプレリュード」(We've Only Just Begun)
「愛は夢の中に」(Ⅰwon't last a day without you)


はいずれもポール・ウイリアムズの作品であり、(ポール・ウイリアムス&ロジャー・ニコルスの作品)自身も歌っている。

この3曲だけをさらりとご紹介しよう。

「雨の日と月曜日は」
 カーペンターズのというより、70年代の代表曲のひとつだ。間奏に当時としては長いジャズ風サックスソロが入るのも魅力。(今では短いソロといえるが、当時このような洒落たインストの部分を含むポップスは少なかった。)ポールのヴァージョンではもっとシンプルに後半の転調も無く唄われる。

「愛のプレリュード」
 この曲の後年の日本のニューミュージックのコード進行に対する影響度は絶大と思う。(但しここでのコード進行は、リチャード・カーペンターにより作られたものと思われる)おそらく「ギルバート・オサリバン/アローン・アゲイン」「キャロル・キング/イッツ・トゥー・レイト」等と並んでもトップ・クラスの影響度と思う。
 この曲では特に冒頭の普通ならコードAで良い所をAadd9でスタートしているところやいつの間にか何度もスムーズに転調を繰り返す部分など斬新だ。
(その分使用コード数はおそろしく増え、フォークなどでよく見受けられた、3つか4つのコードで弾ける曲はこの後急速に姿を消した。コードが多ければ良い曲とは勿論限らないが、多くのコードを使い出したした当時の象徴的な曲と捉えたい。)
 この曲のポール・ヴァージョンは転調も無くシンプルに唄われる。

「愛は夢の中に」
 この曲も数多のカバーを生んでいる人気曲。但しこの曲はカーペンターズと作った本人のポール・ウイリアムスのヴァージョンでコード進行が著しく違っている部分がある。個人的にはカーペンターズのヴァージョンの方がスムーズに聴けるが、これもリチャード・カーペンターの匠の技か?しかし勿論ポールのヴァージョンも渋い魅力はある。(ポール・ヴァージョンではこの曲の邦題が単に「ア・ディ・ウイズアウト・ユー」となっているレコードがある)



続いては「スリー・ドッグ・ナイト」


ベスト・オブ・スリー・ドッグ・ナイト/スリー・ドッグ・ナイト
¥2,100
Amazon.co.jp

  次のスリー・ドッグ・ナイトはカーペンターズより詳しく触れておきたい。

 メンバーはダニー・ハットン、チャック・ネグロン、コリー・ウェルズという3人のボーカルとバックミュージシャン4人を擁した計7人組みのバンドだが、ジャケットには大抵前記の3人しか登場しない。

 独特のサウンドを持ち70年代初頭にはビルボードのトップ40に21曲がチャート・インし、その内3曲が1位を獲得するという、大フィーバーの実績があるバンドだ。

 バンド名は「アボリジニが寒さの厳しい 夜に3匹の犬と寝る」という風習にちなんでいる。

 彼らは1968年11月、シングル「Nobody」でデビュー。翌1969年4月にリリースした3曲目のシングル「ワン」※後述がトップ40で5位まで上昇、さらに翌1970年には「ママ・トールド・ミー」※後「喜びの世界」の2曲が1位になり、スターダムにのし上がった。

 その後も「ブラック・アンド・ホワイト」「オールド・ファンションド・ラブ・ソング」「ファミリー・オブ・マン」など数々のヒット曲を送り出したが、1976年にダニー・ハットンが脱退、さらに同年、諸事情のトラブルでバンドは一旦解散した。その後、ダニー・ハットンとコリー・ウェルズを中心に再結成されている。

 彼らの曲は殆ど外部の作曲家の手によるもの。起用された作曲家の中には、後にソロ・アーティストとして有名になり、成功を収めた者が多い。つまり既に有名になっていた作曲家の曲をカバーして歌った訳ではない所がポイント。
カーペンターズもそうだが、選曲力にすごいものがある。特に「Ⅰt's for you」という曲も選曲して録音しているが、これは「Lennon-McCartney」の作品。これはビートルズナンバーではなくシーラ・ブラックへの提供曲。こういった知られざる曲を探し出して聴くのも、「スリー・ドッグ・ナイト」鑑賞方法のひとつ

 
話が逸れるが、そのようにして有名になった、主な作家と楽曲は以下の通り。
レオ・セイヤー(Leo Sayer) 「The Show Must Go On」
 73年に自身の歌ったこの曲も大ヒットした。

ラス・バラード「Liar」
※当ブログ何度も登場の「アージェント」のメンバー。

ハリー・ニルソン「 One 」
※当ブログ何度も登場のシンガーソングライター。この曲の「ワン」とは当然」「1」の事だが、この曲がスリー・ドッグ・ナイトのヴァージョンでヒットしていた頃は、ドッグ=犬の印象からこの「ワン」を犬の鳴き声のことと思っていた人がいた。実際高校の同級生で「犬の鳴き声をタイトルにするとは。。。」と呆れた顔をしていた友人がいたが、呆れたのはこちらの方である。

 歌詞に「number1」、「1は孤独な数字」と繰り返す部分があり、犬の声のことではないのは、さほど英語に堪能でなくとも、聴けば直ぐ分かるのだが。

ランディ・ニューマン Mama Told Me Not to Come
 全米no1にも輝いた彼らの代表作。ランディ・ニューマン自身のピアノ弾き語りヴァージョンもある。ランディ・ニューマンは作曲家ファミリーの一員で、ミュージシャンズ・ミュージシャン的存在。前述のハリー・ニルソンにも「ランディー・ニューマンを歌うと」いうアルバムがある。

ローラ・ニーロ Eli's Coming (最高位=全米10位)
 今回はますます話が逸れるので、詳しくは記せないが、ローラ・ニーロもいずれ取り上げたいアーチストのひとり。ソングライターとして良く知られており、代表曲にはブラッド・スウェット・アンド・ティアーズの “And When I Die” 、フィフス・ディメンションの“Wedding Bell Blues” 、“Stoned Soul Picnic” 、 “Sweet Blindness” 、“Save the Country” など有名曲が目白押し。有名なジャズ・シンガー、「ニューヨークのため息」ことヘレン・メリル(「帰ってくれればうれしいわ」で有名)の姪でもある。

その他エルトン・ジョン「僕の歌は君の歌」な)ども取り上げている。


さて、その中でも、今回取り上げたポールウイリアムズは上記に述べた作品中、「オールド・ファンションド・ラブ・ソング」「ファミリー・オブ・マン」の大ヒットを手がけており、こちらも自身で唄っている。

それではスリー・ドッグ・ナイトが取り上げた、ポールの3作品もさらりと雰囲気をご紹介したい。


「オールド・ファンションド・ラブ・ソング」(作詞・作曲・ポール・ウイリアムス)

 オールドファッションというだけあって、古き良き時代のラグタイムの要素を取り入れた、ラブソングということになろうか。スリー・ドッグ・ナイトのヴァージョンも自身のヴァージョンもその点は外さないアレンジで歌われる。全く関係ない話だが、私が高校生のとき先輩がこの曲を文化祭でバンドを組んで歌っていた。


「ファミリー・オブ・マン」(ポールとジャック・コンラットの共作)

 ジャック・コンラットのことはポールのデビュー・アルバム「サムディ・マン」(一番下にジャケ写記載)の録音時のベーシストと同一人物と思うが、詳細は知らない。この曲を聴くと何故かいつもビートルズの「イエロー・サブマリン」に収録されたジョージ・ハリスンの「オンリー・ア・ノーザンソング」を思い出してしまう。

友人にこの事を言うと「似て無いじゃん!」と言われたが、あくまでも雰囲気が似ているだけのことだ。

「アウト・オブ・ザ・カントリー」(ポール・ウイリアムス&ロジャー・ニコルスの作品)
 ポールがらみでの彼らの作品ではこの曲がお気に入りだ。アコギの印象的なフレーズで始まり、幻想的なオルガンが加わり発展していく。この頃のオルガンの音は当時の流行とも言うべき音。まだポップスでは使われだして間もないシンセザーザーと思われる音も聴かれる。
 最後のここでご紹介するがこのオルガンを弾いているジミー・グリーン・スプーンは現在でも「キース・エマーソン」「ジョン・ロード」と並ぶ素晴らしいオルガニストというファンがいるほどのプレーヤーだ。



EVERYBODY’S  TALKIN’/噂の音楽四方山話


最後にモンキーズとの関わりを。

 モンキーズには、たった1曲だが、素晴らしい曲を提供している。「サムディ・マン」がその曲。この曲はシングルとしてのみ発売され、アルバムには未収録。しかも「すてきなミュージック」(マイク・ネスミスの作品)のB面で発売された。このB面で発売されたことが、出来は超一級品の作品にも関わらず、余り有名にならなかった原因だろう。

 但し上記アルバム、「モンキーズ/インスタント・リプレイ」(現在廃盤?)にボーナス・トラックとして収録されている。但し注意点だが、BMG社から初CD化された時には、オリジナル・アルバム通りに発売された為、当曲は収録されていない。2回目にWM社から出直しされた盤には収録されている。

 実はポール・ウイリアムスはこの曲を自ら歌いデビューした。ミュートの効いた出だしのベースを聞いただけで、鳥肌が立つ私の最も好きなモンキーズ・ナンバーである。(ヴォーカルは「デイ・ドリーム」で有名なデイビー・ジョーンズが担当)

さて最後にこれは既にファンには有名な話だが、そのモンキーズポール・ウイリアムス、更にスリー・ドッグ・ナイトとは不思議と面白いつながりがある、というお話を。。。

 モンキーズはオーディションで4人のメンバーが選考され、デビューしたのだが、ポール・ウイリアムスとスリー・ドック・ナイトのダニー・ハットンはともにこのオーディションを受け落選している。(やはりルックスのせいか?失礼!)これはいずれも1966年頃のお話。
ということは、これらはポールがバーバラ・ストライザンド「スター誕生」の主題歌を共作し、1976年度アカデミー賞主題歌賞などを受賞して、大メジャーになる10年前のエピソードということになる。

 ※このオーディションに落ちた有名アーチストには他にラビン・スプーンフルジョン・セバスチャンCSN&Yステファン・スティルスがいる。彼は合格したピーター・トークの友人だった。





ユア・ソング~ポール・ウィリアムス/ポール・ウイリアムス
¥1,789
Amazon.co.jp
 



サムデイ・マン/ポール・ウイリアムス
¥1,301
Amazon.co.jp

サムデイ・マン!素晴らしい名曲。是非お聴きいただきたい。これはポールのデビュー・アルバムだ。

このアルバムには他に「セルジオ・メンデス」「チェイス」がカバーした「ソー・メニー・ピープル」、ホセ・フェリシアーノがカバーした「シーズ・トゥ・グッド・トゥー・ミー」なども収録されている。