BRM420東京400km清水【完走】後編
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(BRM420東京400km清水 【完走】前編 からの続き)
4月20日6:30
スタート地点でブリーフィング@等々力・川崎市民ミュージアム北側
その前に受付中の私(R東京スタッフのまこたさんご提供)
(まずは前編でも記した結論を再録)
雨はまだ降り始めてませんでしたが、すでに春にしては異常な冷え込みでした。
この気温は道中の伊豆や沼津でも同様で、日中もほとんど上がらず、冷え冷えしていました。
出走予定40人のうち、天候を嫌ってか、半数がDNS(スタート棄権)という有様。
そして以下、
これ以外に書くことが思い当たらないほど、今回のブルべの内容はこれらに尽きます。
↓
1日目の昼から翌朝のゴールまで、ほぼ降り続いた雨と、
季節外れの寒気。サイコンのログを取り出して確認できましたが、夜に入ってから朝までの気温はたったの5℃。
冷たい雨、北風、冷え込みによる著しい体力の低下(指がかじかんで動かない上に、腫れて凍傷のような状態)、そして眠気との厳しい闘いでした。
ゴアテックスの雨具上下は優れた機能を発揮しましたが、
天気予報はチェックしていたものの、そこまでの寒気を読めていませんでした。
で、中が薄着だったのが、失敗。
レイングローブも手首から冷たい雨水がどんどん侵入する始末。
復路の網代での仮眠1時間の後の走行では、2日目朝に関東地方で吹いた強い北風(復路で向かい風に)。ゴール前の最後のPC(平塚)でも1時間ほどセブンイレブンのイートイン(!)に「避難」していたので、(タイム狙いではなく、制限時間内に間に合えばいい)という、、、、、やはり4月のブルべは天候が怖い。
で、スタート後の経過をさくっと。
肌寒い曇天下、中原街道の途中から早くもソロ走行。
たった20人ほどしか出走していないのですから、そうなります。
長後街道へ。
親戚が住む藤沢市下土棚。いすゞ工場の近く。
幼いころからよく遊びに来たものだが、
こうした近郊の雑木林、里山の風景は、記憶が薄れるのと同じく、市街地開発の波間に消えていってしまう。
信号で停まっている時に、この光景に気づき、撮影。
過去の記憶を今にかろうじてつなぐために。
今回のブルべの数少ない収穫かもしれない。
伊勢原。相模の地から、今日は富士山は望めない。
そしていつ降り出すか、そんな曇天。
20日8:52 PC1(47.6km、デイリーヤマザキ平塚北豊田店、8:49着)
1時間半の貯金。
淡々とレシート確保。10分程度で走り出す。
20日9:31 国府新宿から国道1号に出る。小田原へ。
ソロ走行。前後やすれ違いで、ブルべ以外の軽装のサイクリストの姿がちらほら。
脚はまあまあの調子。
ブルべの重装備なのにペースはこちらが上で、前を抜く。
しかし、こっちはおそらく雨の中、明日朝までに静岡を往復してここへ戻ってくる、、、、、
正直、気がちょっと重くなる。
20日9:33
国道1号、西湘から酒匂へ。
20日9:51
小田原市内。見慣れた町並み。
この後、後方から不意に追いついてきた1人のブルべライダーに気づく。
が、つい気をとられ、彼を引き連れたまま、
早川口の交差点を左折するのを失念し、直進。
後ろはミスコースに気づき停まったようだ。
こちらも景色がいつもと違うことに気づき、Uターン。
早川口の交差点で追いついて彼に一言謝り、国道135号へ右折。
「先にいいですよ」と声をかけて、前に出てもらう。
案の定、私よりもかなり若い彼は、脚が相当に鍛えられているようで、ペースが明らかに速い。
すぐに石橋の最初の登り区間で前方視界から消えた。
再びソロ走行に。
交通量が多いわりに道幅が狭く、あまり好きではない国道135号を真鶴、湯河原と抜ける。
この後、いつもの錦ヶ浦、赤根、新網代の各トンネルの海側のう回路へ。
伊東の街を抜けて、冷川方面の山間部へ。
20日12:22 PC2(119.4km、ローソン伊東萩店、12:16着)
2時間半の貯金。
また夜、復路で戻ってくる店。
自分のほかにはブルべライダーは1人。
淡々と冷川トンネルを抜け、下りに入る。
一気に沼津を抜けよう、と気合が入りかけたところで、突如、雨が降りだす。
下りのスピードを殺したくなくて、修繕寺手前まで雨に耐える。しかし、本降りに。
右手に現れたコンビニの軒下に飛び込み、ゴアテックスのズボンをはく。
ゴム製手袋もはめるが、これが手首からの雨水の侵入を防げず、役立たずであることがのちに判明する。
伊豆の国市では、サイクリングロードや、伊豆長岡温泉を抜ける県道をゆく。
まだ明るいので、キューシートとサイコンの距離計を見比べながら、細かな曲がり角を次々とクリアする。
復路もここを通る。
が、夜間はおそらく真っ暗な区間ばかりだ。
このために、今回初めて装備したガーミンedge800は、夜間の復路に電源を温存しておくことに。
この使い方は正解だったことが復路の同区間で分かる。
(これから降り続くだろうから、ここで今日はリタイヤして沼津駅からJRでさっさと帰る方法もあるよなあ)という選択肢も一応、まだ冷静な頭に浮かぶ。一方で、(ここまで来てやめるのはもったいない。400kmはそう機会がない)という声も聞こえる。
で、ここはさらに頭を冷静にして、雨の中、淡々と先を進むことにする。
このあたりではまだ、(雨ぐらいではたいしたことはない)と楽観視していた。
まだ寒さには見舞われていない。
沼津から、これまた馴染みの一本松の県道380号をゆく。
※これは後日、京都へドライブ旅行した際、新東名・駿河湾沼津サービスエリアから一本松あたりを撮影したもの。
4/20、この海沿いの松並木の手前の県道を左(沼津)から右(清水方向)へ、そして清水で折り返してきて、右から左へ往復した(汗)。駿河湾の向こうには伊豆半島。ここを越えてきて、また伊東、熱海へ戻っていった。
後日、サービスエリアの高見から眺めて、われながら、よくやるもんだな、と苦笑してしまった。
さて、話を戻すと、
沼津から富士市に入るあたりでいったん雨はやんだ。
富士川鉄橋を渡り、県道396号を蒲原、由比から清水へ。
由比では旧街道に入って、旧宿場を抜ける。
西倉沢の踏切を渡り、バイパスの国道1号の側道へ。
興津で国道1号に合流して、折り返しのPC3に。
20日16:54 折り返しPC3(201.8km、清水横砂店、16:40着)
3時間半あまりの貯金。
ここから、残り200km。
同じコースを引き返す。
(あと、たった200kmか)と思ってしまうあたり、完全に普通の距離感覚は麻痺っている。
そう思えたのも、いったん雨がやんでいたから。
折り返しから沼津方面へ走り出して、日が暮れてきた。
徐々に寒さが身にしみてくる。
沼津市役所を過ぎたあたりのコンビニで、いったん休憩した。
(なぜここで停止したのか、何をしたのか、覚えていない)
夜道になり、伊豆長岡温泉の県道に入るので、ガーミンを起動させたのもこのあたりから。
案の定、狩野川沿いのサイクリングロードは真っ暗だった。寂しい裏道をソロ走行。
(なんで明るい国道136号の下田街道をコースにしないんだ?)と多少恨めしくも思う。
国道136号に合流して、ほっと一息。
淡々と県道12号を登り、冷川トンネルを越える。
PC4(284.2km、ローソン伊東萩店、22:11着)
3時間40分の貯金。
とにかく寒かったのを覚えている。写真を撮る余裕なし。
このあたりから、朝まで気温は5℃に。
身体が硬直化してくる。
伊東の街まで下りてきて、で、PC4で食べたばかりのバナナがのどに急に詰まり、路肩に吐き出す。
気がつくと、雨が本降りになっている。
そして冷える。
(どこかで身体を温めたい)という気持ちが先に立つが、
(もう少し先に進んでおこう)という気持ちも後からわいてきて、
推奨されていた伊東のマックを通り過ぎてしまう。
しかし、そうなると、網代までファミレスの類はない。
とにかく冷える。
網代まで、国道135号で辛い山越えとなってしまった。
網代では最初、道路右側のマックに入ろうとしたが、すでに閉店している。
仕方なく探しながら進むと、左手にファミレス(ガスト)があった。
午前2時まで、というが、とにかく暖かい店内に飛び込む。
ずぶぬれだ。スープを注文する。
(もうブルべなんかやってる天候じゃないな)とこの時、悟った。
(DNFという賢明な選択をした参加者もいることだろう)とも思った(これはその通りだった)。
しかし、自分はまだコース上にいる。
(冷えた外には出たくない)という気持ちもあり、店内でうつらうつらするが、
気持ちを奮い立たせて、無理やり外に出る。
が、異様に冷たい雨、寒さ。
そして指先の感覚が無くなっていて、指に力が入らず、チャックの上げ下げに難儀するようになっていた。
(この症状は5月に入っても、いまだに後遺症として残っている)。
ずっとソロ走行。また海沿いの峠をひとつ越えながら熱海の市街地へ。
そして、湯河原、真鶴とコースを戻ってゆくが、このあたりで寒さによる体力消耗が加速し、
疲れから眠くもなってくる。蛇行しながら、後続車の気配を感じながら、ひとり国道を登る。
一番嫌な時間帯だ。
そして明け方近く。
根府川から小田原の市街地に下ってきたあたりで、
注意力が極度に低下したのか、
国道なのに道路照明が乏しく、雨で真っ暗なところ、路肩の縁石への接近に気づくのが遅れ、接触してバイクごと歩道上へ投げ出される。
立ち上がって走り出したが、どうも思考力が落ちているのか、
たった数百メートルで再び路肩の縁石にタイヤが触れて、同じような転倒。
舌打ちしながら、起き上がる。
どこも怪我はないようだが、
とにかく身体が冷えでこわばり、運動能力が著しく低下しているようだ。
手袋には冷たい雨水が浸水していて、指の感覚を奪っている。
もう最悪のコンディションだ。
小田原の市街地でようやく国道の明るい照明の下を走り抜ける。
徐々に明るくなってきて、眠気もおさまってくる。
しかし、冷たい雨は降り続く。
加えて、強い北風が前方から吹いてきて、スピードが乗らない。PC5(355.5km、セブンイレブン平塚北豊田店、21日4:59着)
1時間45分の貯金。
ようやくここまで戻ってきた。
手前の別のセブンイレブンに入ってしまっている参加者2人に声をかけ、自分は先のPC指定のセブンイレブンに入る。
イートインがある!!
これを見た瞬間、ここで再び暖をとることにきめた。
ここで1時間ぐらい身体を暖めて、制限時間(10時)の1時間前にゴールできれば上出来だ、そんな計算もできた。
どこからか忘れたが、銀色のサバイバルシートをゴアテックスの内側に巻きつけていた。
これでかろうじて上半身は寒さを防げたが、手足の寒さはどうしようもない状態になっていた。
ここには3~4人の参加者がいたのを覚えている。
そして、やっと中原街道まで戻ってきた。
強い向かい風に耐えながら、あとゴールまでもう少し。
が、389.3km地点の中原街道・地蔵尊前交差点で左折し忘れて、そのまま直進のミスコース1回。
起動させていたガーミンで戻れた。
スタートから2日目の朝、ゴール(401.0km、セブンイレブン川崎武蔵中原店、21日9:02着)
1時間弱の貯金。
ということで、完走はしました(26時間02分/制限時間27時間)。
出走予定40人のうち、半数がDNS(スタート棄権)。
結局、完走はそのさらに半分の、たったの10人余り。
DNF(途中棄権、タイムアウト)10人近くという、厳しい結果でした。
冷雨の夜間走行となった復路は、ゴールまでまったく写真を撮ってませんでした。
(というか、両手の全ての指先が冷たさで麻痺してしまい、シャッターボタンを押せない、という有様)
(ブルべって、もしかして登山に似ているのかもしれない)
たまに頭をよぎることです。
さて、
これで300km→200km→400km、と完走し、あとは600kmを時間内完走すれば、2年連続のSRになるはずですが、まだわかりません。そして5月の600kmの前に、4月にはフレッシュもあります。
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「ブルベはフランス語で『認定』を意味します。ブルベには様々なものがありますが、オダックス・ジャパン(AJ)が統括する日本でのブルベはBRMといいます。BRMは規定の距離を規定の条件で完走すると認定される長距離サイクリングです」
「同じ年に200km、300km、400km、600kmを認定された人はシューペル・ランドヌール (SR。英語ではスーパーランドナー)として讃えられます」
「BRMの最高峰として位置づけられているのが4年に1度、ACP(オダックス・クラブ・パリジャン) が開催するパリ~ブレスト~パリ ランドヌール(PBP)=1200km」
いずれもAudaxJapan(オダックスジャパン)HP より