おっと、なぐさ飯 | さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?

酒場であったあんなこと、こんなこと。そんなことを書いてます。ほとんど、妄想、作話ですが。

「あなたにとって私は一緒に牡蠣鍋を食べる為だけの都合のいい女でしかなかったわけね。」
そう言い残し美紗子は去って行った。
それは違う。
そう言いたくても口籠り、ただ去っていく美紗子の後ろ姿を黙って見つめ続けるしかなかったのは、やはり結局のところそういうことだったのだろう。

付き合いはじめてしばらくして知ったが、妻は牡蠣が食べられなかった。アレルギーだった。
牡蠣料理専門店に行かないか、と誘った俺に彼女は、顔を曇らせると、
「ごめん、私、牡蠣だめなんだ。」
と言い、アレルギーで、以前それを食べて、生死をさまようほどの大変なことになったのだと教えてくれた。
それからというもの、俺は一切、それを食べることができなくなってしまった。
勿論、俺一人がどこかの店を訪れ、一人単品の牡蠣をこそこそ食うということはあったが、それは俺の望むところものではない。
よく言うじゃないか?
何を食うかではない、誰と食うかだ!
って。
一人でこそこそと食う牡蠣は、味気なかった。

美紗子が声をかけてきたのは、俺がいつもの居酒屋で一人飲んでいた時だった。
カウンターで酒を飲みながら、俺はふと店の壁に目をやり、それに気付いた。
いつの間に貼られていたのか、壁には、
「牡蠣鍋はじめました!(二人前から)」
とマジックで手書きされた、まだ真新しい半紙が貼られていた。
もうそんな季節か、と思うと同時に、しかし、やはり二人前からか・・・との落胆が俺に追い被さる。
最後にここの牡蠣鍋を食べたのは、いつのことだっただろう?
少なくとも妻と付き合う前の話だ。もう随分と俺はそれを食べていなかった。
以前、マスターに一人前でやらせてくれないかと頼んだことがあったが、それは受け入れてはもらえなかった。
でも、今は、あの頃よりもっと顔なじみだし、頼んだらやらせてれるかもしれない。
ダメ元で俺はマスターに声をかけた。
「マスター、牡蠣鍋っていうのは一人前からは、やらせてもらえないんですか?」
しかし返事は相変わらず同じだった。
「こればっかりは二人前からになってしまうんですよ。それにカウンター席にはお出ししてないんです。」
マスターは、申し訳なさそうな苦笑を見せた。
どうしても牡蠣鍋をしたければ、テーブル席に移動し、一人で二人前のそれを注文する必要があった。
テーブル席に移動するのは良いとして・・・
「一人で二人前は無理だしなあ・・・」
誰ともなしにそう呟いた俺に
「牡蠣鍋したいの?それじゃ、私、協力しようか?」
と声をかけてきたのが、その時、偶然隣に座っていた美紗子だった。常連のひとりで、女優の広田レオナに外見も声も性格(こればっかりはご本人を知らないから俺の想像の域での話だが。)もそっくりな女だ。
「いいの?」
と聞き返す俺に
「いいわよ。」
そう彼女は答えると、すかさず言葉を付け加えた。
「でも、あなたの奢りよ。」
それは全く構わない。
俺は、降って湧いたような幸運に声を裏返らせると、マスターに叫んだ。
「マスター牡蠣鍋、二人前!」
そして酒の入ったグラスを持つと、背後のテーブル席へと移動した。

久しぶりに食べる牡蠣鍋に俺は興奮した。
煮立ってきた鍋に具材を入れようと具材の盛られた皿を持ち上げた美紗子を「ちょっと待った!」と制すると、彼女に皿をもたせたまま、俺は鍋に入る前のプリプリの牡蠣達をiphoneで撮影した。
それから、
「久々、牡蠣鍋なう!(^0^)//」
のコメントを添えてインスタにアップした。
久々に食べた牡蠣鍋は美味しかったが、いま一つ感動が薄かったのはどうしてだろう?
牡蠣鍋を食べ終え、会計を終えた俺に、美紗子は、もう一軒行かないかと誘ってきた。
しかし、生憎もう持ち合わせの金は少なかったし、他の店に行きたい気分でもなかった。
「今日は、もう帰るよ。」
といった俺に、美紗子は「フッ」とどこか悪女めいた笑みを漏らすと、派手なネイルアートの施された人差し指を俺の胸に押し付け、ずりずりと上下させながら、上目遣いに俺をみつめ言った。
「そう、わかったわ。いいのよ。でも、結局のところ、あなたにとって私は一緒に牡蠣鍋を食べる為だけの都合のいい女でしかなかったわけね。」
そういい残すと、踵を返し、夜の裏渋谷の街に消えていった。

妻が、いい店があるのだけど行ってみないか?と誘ってきたのは、そんなことがあってしばらくした頃だった。
いい店?どこ?
と訊く俺に、教えてくれたのが、オイスターバーだったのが、俺にはあまりにも意外だった。
「オイスターバーって、牡蠣大丈夫なのかよ?」
驚く俺に、彼女は、その店は牡蠣以外にもおいしい料理がたくさんあるのだ、と教えてくれた。
「それに、オマイさんには、長いこと牡蠣、付き合ってあげられなかったからね。まあ、アタシからの、夫なぐさ飯だよ。」
そういうと妻はくすっと笑った。
「オットナグサメシ?なんだそれは?」
不思議がる俺に彼女は、その店を知った経緯を教えてくれた。
なんでも「女くどき飯」というテレビ番組で紹介された店なのだという。
幸い、家の近所だし、テレビで紹介された料理も、牡蠣以外は彼女も食べられそうなものばかりで、美味しそうだったし、店の雰囲気もよさそう、ということで、一緒に行ってみたくなったのだという。
いうまでもないが、夫なぐさ飯は、そのきっかけとなった「女くどき飯」を妻なりにアレンジしたものだ。
いずれにせよ、そういうことなら吝かじゃない。
俺は、店に空席を確認すると、妻とともに家をでた。

























妻がiphoneに映し出されたインスタの画像を、
「ところで、これなんだけどさ。」
と俺の前に差し出してきたのは、俺が多種多彩な生牡蠣を一人で食べ終え、満足気なため息を吐いた時だった。
そこには、俺が美紗子と牡蠣鍋を食べた時に俺がアップした写真が写っていた。
「久々、牡蠣鍋なう!(^0^)//」
のコメントが添えられている。
「なんだ、俺のインスタじゃないか。これがなに?」
尋ねる俺に、彼女は言う。
「なんだか、先に牡蠣鍋、楽しまれたみたいですね。」
にこりともせずにそう言う口調は、これもまた抑揚が無かった。
黙っている俺に、妻は続けた。
「まあ、それはいいとして、これなんだけどさ、ほら、ここ。」
牡蠣の写真だけを拡大してインスタにアップしたはずだったが、写真の端に、皿を持つ誰かの指先がちょっと顔を出していた。派手なネイルアートが施されていた。
「これは、どういうことなのかな?」
言いながら、組まれた妻の両手の指がポキポキと音を響かせた。


※フィクション