協調性との決別 | 是日々神経衰弱なり
久々に友人のボクサーのブログを読んでみた。
もう2年近くは会っていない友人である。


近々そっちに寄るわ、と言ったきり。こちらが行こうかとすると、向こうが出張だったり。


これまでの人生で3人のプロボクサーと1人のアマチュアボクサーを私は知っている。

ボクサーといっても色々だけど、この3人はチャンピオンにまでなった人達で、そのうちの2人はマスコミにも大変注目をされていた人物たちです。アマチュアボクサーの彼も学生時代に全日本で上位にいました。


私はこの昨今の自分の意志の弱さと認知的不協和を憂い、
今回は彼らのメンタリティについて少し考えてみたいと思いました。


ボクサーというのはスポーツ選手のなかでも特に飄々とした人が多い気がします。独特な世界感をもった人が多いという印象がある。スポーツ選手でも、スターになるような活躍をする人は我々とは違う神経が1本か2本発達していると思う。

旧知の知人である他の種目のスポーツ選手は現役時代に体を壊し、現役生活の後半は不遇の選手時代を過ごした。酒を煽り、代わるもののいない孤独の中でさぞや苦しんだことだろう。納得のいかない選手人生で、後悔もあったかも知れん。

彼らは皆、現役を退いているが、その後に彼らとは何度か酒席を共にした。
少しは太ったり酒を飲み始めたりする人もいるが、基本的に生活態度と心理は変わらない。

アマチュアボクサーの人は、これまでいっさい酒を飲まなかったのに、飲むようになっていたことぐらいで、何も変わっていなかった。元プロボクサーの彼ら三人も、現役を退いてから何年も経つが、驚くことに、己の身体に対する危機感というか、体こそが己の全て、頼れるのは己の身体のみ、という意識が消えていないのです。

ボクサーが一生変わらないのは、そのメンタリティである。

体型がまるっきり変わってしまう人もまず居ない。チャンピオンになったことまである人なら引退後に体型が変わってしまった人ってほぼ皆無といっていいんじゃないかな。
もう試合はないのに。街で彼らが素手で誰かと殴り合うようなこともまずないだろうに。なのに、である。

何故なんだろう、、、急にこんな疑問が湧いてきて、1番最後に引退した元プロボクサーである友人のブログを覗いてみた。下記の文章はその友人のブログからの抜粋である。


【正直、俺は今年になって次の◯◯◯◯まで酒断ちを自分の中で決めてました

めちゃめちゃ飲みたい衝動に駆られここは飲むべきの囁きにも惑わされ

飲んだところで何が変わるわけでもないのに

結局、トマトジュースを頼んでる自分がいました

それでも

飲みましょうよと無理じえする事もなく

「ここだけの話し」も盛り上がり

閉店過ぎた6時前までいました



ボクサーは

特にチャンピオンになるような人は自己が強く

自分の世界観が強過ぎて協調性にかけるところも

そこは一番自分がダメなところでもあるんですが・・・


そんな中で

スポンサーや付き人が居ない四人だけの三次会は嬉しく楽しい会でした



約束として

今度、ジムでの◯◯◯◯◯の時はみんなで大宴会出来るように頑張るし

その次は◯◯チャンプのジム開きもみんなで駆けつけたいと思います】





プロスポーツの中には協調性が大切な種目もあるが、ボクサーが協調性を優先すれば、ひとかどのプロボクサーには決してなれまい。ましてやチャンピオンなんてどだい無理だ。だが、現役を退いた今、なにがそれほど彼らの精神とストイックな生活態度を縛る根拠になるのだろう。


先日、某所を訪れると玄関で珍しい香水の匂いがした。その香水は、珍しいもので誰彼がつけているようなものではない。友人のものだ。時計を見る。ああ、あの子まだ来てるんやな。

ボクサーではないが、元プロスポーツ選手の友人の中でも特に親しいその友人が、2年ほど前だったろうか、私に健康な体を取り戻すと宣言していたのを思い出した。時々は途中経過を知らせてくれたり、昨年の夏には10キロ以上の減量にも成功していた。筋肉をつけながら体重を10キロも減量するのは至難の技であったろう。

そこは、都内某所の岩盤浴の店でした。

そういえば、友人が2年前に私に教えてくれた減量と体質改善のメニューのなかに、毎日の岩盤浴があった。

友人に教えてもらったメニューにあった岩盤浴は、確かその時間帯であったことを思い出した私は、しごく感心した。というか感動した。何故なら、おそらく彼は2年ものあいだ、毎日そのメニューをこなしているのである。一日も欠かさず。現役時代は不摂生の極みのような私生活をして、引退して自由になった今なら更に堕落した生活を送ることもできたであろう。しかし、彼は生まれ変わっていた。


実際にそれを知った私は、今できるんなら、なんで現役時代にせんかったんや、という怒りにも似た思いに駆られもしたが。

18歳でプロの世界に入り、何の保証もないのに身一つでお金を稼ぐって並大抵のことではないのに、更にその上その世界でスターになった彼らがそこで身につけたるものとは、その精神とは何なんだろう。


毎日毎日、同じことを続ける力。

毎日毎日、同じ気持ちとモチベーションでいること。

毎日毎日、自分と戦えること。

毎日毎日、自分を甘やかす心に勝つこと。

毎日毎日、真剣に考え過ぎないこと。

毎日毎日、いい訳を頭で考え出す前に、まずは体を動かすこと。


あとは誰かに誘われても協調性を持たないこと。いいじゃないちょっとくらい、という言葉に負けないことくらいか。付き合いが悪いと思われたくない、面白くないやつだと思われたくない、一緒にいても楽しくないと思われたくない、嫌われたくないばかりに協調性を発揮しないこと。


私と違うのは、元プロの友人は、やっていれば体が変わることを経験で知っているのだ。だから疑わないでいられる。長く続けられるのだろう。こんなことで果たして思ったような成果はあるのか、いつになったら思ったような体になるのだろう、こんなことを続けていても本当に体重が減るのだろうか、思った体型に近づけるのだろうか、そういった焦りにも似た気持ちに人は負けてしまうこともあるが。彼らはきっと疑わないのだ。信じるとも違う。そうなると知っているのである。


迎合すること、それはきっと歳をとったしるし。孤独を恐れる弱さに他ならない。自分の決めたことだけを最優先し、実行するのみなのだ。


そう、私は知っているのだった!


20歳になったばかりのとき、思い立った私は、まず家の中にあるキャベツと味噌以外の食べ物を全て捨て、3日間の水断食と7日間の茹でキャベツと水のみの食生活で10キロの減量を成し遂げたことがある。もちろん怪しいクスリの力など借りずにだ。その間はずっと一人で部屋に居た。

それを知った人たちは、「強靭な意志やな、ボクサーか!」などと言って私の意志の強さを讃えた。そういえば、思い出したらその頃に付き合っていたのはボクサーだった。

今思うと、その彼と一緒にいた時分は、私にもボクサーのメンタリティが宿っていたのかもしれん。

それから22年を経たいま、私は16歳の息子が、家族ができた。健康の為に(美もだけど)真剣に考える。そもそも私は健康ではない。決して健康体とは言い難いカラダなのだ。病歴も3度あり、体質も丈夫な方ではない。しかも現在かかえる持病の対策も兼ね、健康な体づくりをせよと主治医から忠告されたし、そろそろやんなきゃなと、だいぶん前から思ってはいるのである。。

じわじわと、若い頃とは違うと自分の体が教えてくれるようになった今から始める必要がある。はっきり老いを感じる前に。



ボクサーのメンタリティが欲しい。
そんな期待を抱き、真夜中過ぎに紐解くボクサーのブログ。



協調性との決別。


果たして、再び私にボクサーの魂が宿ることができるのでしょうか!?




                     

                  42歳の誕生日を目前に色々と人生を思う夜に