本当に地震は怖いです。
熊本のかっぱちゃんさんがブログを更新されました。
最大震度7
どんなに恐怖を感じられたんでしょうか、想像をできません。
私が体感した最大の震度は4です。
それでも立っていれなくて何かにつかまっていないと倒れそうでした。
かっぱちゃんさんからはお墓の写真を送っていただいたのですが、勝手に記事を書いては失礼と思っていたので、かっぱちゃんさんがブログを更新されたので記事を書きます。
かっぱちゃんさんのブログより
私ごときが軽々しく熊本の地震について記事をかくなど、いけないと思って自粛しておりましたが、かっぱちゃんさんがブログを更新されたのでその記事を紹介いたします。
最大震度7うちも震度6弱、震度6強。
すごい揺れが2度も襲ってきた。
家具は倒れ、食器も割れ、ライフラインも途絶えた。
でも、家族も友人も全員無事。
もう、それだけでいい。
何もいらないね。
大切な人が生きている。
それ以上は何も考えられない揺れだった。
1回目のとき、一人で家にいて、おろおろしている私をパパが助けてくれた。 揺れがおさまって、どうしたらいいの?と独り言を言っているとき、仏壇からポトンとおちてでてきた。
揺れてる時ではないから不思議。
「あ、位牌。そうだ、大切なものだけ持って、逃げなきゃ!」
「あ、避難リュック準備してた!」
「財布、鍵、そんなものをリュックに入れてマンション一階に降りる。」
「息子たちからの電話が奇跡的につながり、合流」 何度も襲ってくる余震。
一晩をマンションのロビーですごした。
怖くて部屋には戻れなかった。
一人じゃないって、本当にありがたい。
これは体験した人じゃないと分からないですよね。
避難リュックを準備されていたんですね。
息子さんたちと合流出来て不安ながらも落ち着ける環境にあったのでしょうか。
やっぱり持つべきものは「家族」ですよね。
一夜明け、わりに静かな一日。昨夜は眠ってないからと、早めに皆でねた。
固まってねた。
でも、また、あんなにひどい揺れにおそわれるとは?
家族、みんな一緒だったから、避難所の小学校での真っ暗な一夜もなんとか朝までがんばれた。
まだ3歳のYちゃんは泣きもせず、静かにしていた。
他の子たちも声も出さない。
シーンと静まりかえり、真っ暗な中、携帯の警報が一斉になりだす。
怖い!
ひたすら、明るくなるのを待った。
これが生の声なんですよ!
ご家族一緒だったとはいえ、小さな幼子がじっと我慢して声を出さずに恐怖に耐えていたとは、本当に涙ものです。
この記事読んでて目頭が熱くなりました。
車中泊は3日。
電気だけがついたのでおそるおそるマンションでねた。
「大丈夫!大丈夫!」 エコノミー症候群になるのを心配する息子たちに励まされ、おそるおそる寝た。
こんな体験をするとは想像もしていなかった。
でも、家族が一緒にいたから心強く、なんとなく、楽しくもあり、がんばれた。
パパが残してくれた息子たちは本当に頼もしく、壊れた家具を家から運び出し、どんどん片づけてくれた。
車の中で三日間過ごされたんですね。
知りませんでした。
怖くて家の中では寝られないと避難所に退避してる人が話されてましたが、かっぱちゃんさんも同じ思いだったんですね。
3才のお孫さんが泣いたら迷惑がかかかると思って避難所にはいかれなかったんでしょうか、息子さんたちが「エコノミー症候群」を心配されました。
やっぱり家族の絆は大事ですね。
身に染みて想います。
タンスなくなったから、パパの服も処分したよ。
思い出は心にあるから、大丈夫。 形の無いものはなくならないし、壊れない。
誰にも盗まれない。
今も毎晩、夜はリュックにパパの位牌を入れて寝ている。
大切なものは何か? 物は何もいらない。
それがわかった私たち。
天国からパパが守ってくれていたんだということもよくわかったよ。
今を乗り越え、頑張るね。
生きているから頑張らないといけないということだよね。
みんながますます仲良くなれたよ。
マンションの人たちも仲良くなれたよ。 悪いことばっかりじゃない。
大切なもの、それは形のないものばかりだった。
ありがとう、パパ。
目にはみえないけど、いつも一緒にいてくれてありがとう。
お亡くなりになられた旦那さん、自分もそういうふうに思ってもらえるのかと考えました。
なんだか感傷的になってしまいます。
避難リュックにご主人の位牌を入れていつでも逃げだせる準備をされてるとは想像も出来ません。
自然災害の中でいちばん予測できない地震、ほんとうに怖いです。
そして大きな地震がほとんどない地域に住んでる私もいつ何時に被害にあうかもしれません。
どうして自然は何の罪もない人たちを苦しめるのか・・・全く理解できないです。