葬式と墓(エコノミスト9/20より) その1 | お墓の値段はいくら? 富山のお墓の営業マン・宮崎が正しいお墓の建て方を教えます。(富山・石川良いお墓研究所)

お墓の値段はいくら? 富山のお墓の営業マン・宮崎が正しいお墓の建て方を教えます。(富山・石川良いお墓研究所)

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週刊エコノミスト9/20特大号の特集、葬式と墓から




宗教に対する信頼の低下と、葬式代やお布施の不透明さへの不満で、近年高まりをみせた「葬式不要論」。

しかし東日本大震災は、亡くなった人を慎み、弔う葬式の意味を、改めて考えるきっかけになったのではないか。

その現状を探るとともに、葬式とお墓にかかわる最新「価格」を追った。


冒頭はこのように始まってます。各項目の記事はとても内容が深いので数回に分けて紹介したいと思います。

大震災をきっかけに見直される「葬式不要論」


記事は、小谷みどり(第一生命経済研究所主任研究員

昨年は、宗教学者である島田裕巳氏の著書「葬式は要らない」が話題となった。島田市は、葬式にいくら費用をかけても何かが残るわけではないので、葬式をすることは贅沢だと述べている。
中略
だが、今年の東日本大震災で、ここ数年高まっていた「葬式不要論」の勢いがすっかり沈静化した感がある。
中略
葬式は単なる「お別れのイベント」ではないことに多くの人達が気づいた。

葬式は死者を弔うと同時に、残された家族が葬式を節目にして立ち直るきっかけとなるとテレビで誰かが言っていた。この言葉にも一理あると思う。



突如訪れた死別



予期せぬ死は、病院で向える死とは明らかに異なる。
中略
遺族には、「助けてあげることができなかった」「自分だけが生き残ってしまった」という強い自責の念がある。ましてや何日も経ってから発見された状態のよくない遺体と対面すると「手を合さずにはいられない」「祈らざるをえない」という気持ちになる。
中略
大切な人をなくした悲しみや絶望感を抱えながらも、火葬してやれなおことや、満足に葬儀も出せない事を悔やむ人たちは数知れない。,br>お墓や仏壇、位牌が流された人も大勢いる。私たちは規制宗教の信仰はなくとも、もともと死者追慕の念が強い国民だけに、死者と向き合う対象の喪失が与える精神的な影響は大きい。

葬式は不要だと言い切れ得る人はどのくらいいるのでしょうか?亡くなった家族に「十分な事をしてあげた」と言い切れる人もいないだろう。
私なんか親に凄く感謝しているのだが、面と向かって「ありがとう」って言えません。そういう方々はさらに大きな後悔の念を持つのではないでしょうか。親と子なのになかなか言えません、「ありがとう」が。

「必然」だった反動



そもそも葬式不要論が高まった背景にあったものは何か。1つは葬式の費用がかかりすぎることへの反発だ。島田氏はその著書で「日本の葬式は世界一高い」と指摘した。2つめの背景は、これまでの見栄や世間体を重視した葬式のあり方への反動がある。
このような動きは社会の変化に伴う「必然」でもある。
中略
飲食接待費も含めた葬式費用は、
50万円未満・・16.9%
50~100万円未満・・26.7%で
4割以上の葬儀はお布施など宗教関係費を除くと100万円以内で納まっている。葬儀社の1件あたりの売上高の平均額も06年の152万円を境に減少し、10年調査では145万円だった。

これは葬儀屋に払うお金だけです。僧侶への謝礼(数十万円)は含まれてはいません。
さらに法名、戒名代などは、東京で150万円、関西で100万円、田舎でも院号だけで30万円は必要となります。
墓地代200万円&お墓代200万円が関東の場合に必要となります。(お墓を建てる場合)



長期の闘病や介護の末になくなれば、家族はある程度死別の覚悟ができているので、個人が痛みや苦しみから解放されてよかったというアンドの気持ちが先に立つ。その結果、葬式は遺族や参列者が悲嘆の勘定を共有するというよりも、疎遠になりがちな親戚の親睦の場となりつつある。加えて、いわゆる無縁社会にあって親睦や感情の共有の場としての葬式すら必要性を感じない人たちが、葬式不要論に共感したのだろう。

私の年長の知人が90才なかばの父親の介護料に月額15万円を支払っていました。
本人はもはや自分が誰だかも分からず、食事する力もないので、お腹に穴をあけて腸に直接流動食を流し込むという状態でした。お父様が亡くなられた時には「金銭的に限界だった」と打ち明けられました。



外れたイオンの思惑




故人と面識のない、義理でやってきた参列者が多く、故人の個性や想いよりも、見栄や世間体が重視された。葬式不要論はそうした流れへのアンチテーゼと言えよう。
多死社会に加え、葬式に対する人々の意識も多様化するなかで、異業種による参入が相次いでいる。
流通大手イオンも09年9月に葬儀仲介業を開始した。コールセンターを介し同社と契約してる「特約店葬儀社」を遺族に紹介、イオン独自の葬儀をパッケージ商品化して全国一律の価格で提供している。
中略
廉価な価格で葬式を提供するとの期待からメディアでも大きな注目を集めた。

イオンは参入当初。初年度2万件、3年目には10万件とシェアの1割を目指すと公表していたが、いまだ月数百件ペースにとどまっている。
結局のところ、葬儀の良し悪しは明朗で納得の行く料金設定だけにあるのではなく、葬儀社のスタッフの質や人柄に左右されるところが大きい。特約店葬儀社のスタッフの質が必ずしも保証されてるわけではないので、当たり外れがないとは限らない。

安くすれば売れる、というスーパーの発想が受け入れられないのかもしれません。今後の流れとして家族葬を選択する事が多くなってきます。それ以外の人は見栄を気にする葬儀を行なうのでニーズがありません。
結婚式などもホテルからハウスウェディングの方が指示されるのは専門のスタッフが決められたマニュアル通りに参列者をもてなしているからです。ホテルのスタッフは結婚式専用のスタッフではありませんから。



中略
また、他のサービス財と大きく異なるのは、葬式を喜んで購入する消費者はいないという点だ。よって安ければ満足するわけではない。重要なのは「葬式の内容に遺族が納得できるかどうか」であり、絶対的な費用の多寡ではない。遺族にとってのコストパフォーマンスの良し悪しが問われるべきなのだ。

少し前にニューインペリアルレッドでお墓を建てたいと考えてる消費者の方の相談を記事にしました。110万円、170万円、200万円、と三つの石材店から見積書を取りましたが、一番最初に切ったのは「110万円」のお墓です。
見栄とまではいきませんが、消費者は「安っぽい」ものを嫌います。家の中で着てる普段着ならいざ知らず、一度建てたら150年間は人目にさらされる「お墓」は変色するものであったり、いろが良くないものは選びたくないのです。
葬儀に関しても同じことが言えます。「安い葬儀をするくらいなら、家族葬の方がいい」のです。



信頼を回復できるか



葬式にはつきものである僧侶への世間の風当たりも強い。
「葬式仏教」「坊主丸儲け」などと言われるように僧侶への根強い不信感がみられる。菩提寺との付き合いは葬式と法事だけという家庭では、読経や戒名が「サービス財」となっている。「お気持ち」とされる相場、すなわち「読経や戒名の布施の相場はいくらなのか」が最大の関心事になるのは当然だ。コストパフォーマンスの観点から「相場」が高すぎると感じる人も多い。僧侶への不信感や信仰の希薄化がその背景にある。

中略(反面、今回の震災でのい東北の僧侶の立派さを記述)
1人ひとりの悲しみや苦しみにとことん寄り添い続ける姿勢が僧侶には求められている。それこそが真の葬式仏教であり、葬式で読経するだけなら葬式仏教にすらなりえない。
葬式不要論、布施騒動が起きる背景には、僧侶の布施不足や僧侶自身の品格に問題があることも否めない。僧侶が社会の信頼を回復できるか、それがこれからの葬式のあり方を左右するといっても過言ではない。

小谷さんの記事はここで終わってる。小谷さんの言いたいのは僧侶が何でも事務的に進めず親身になって対処しないといけないという事です。
中には本当に立派な僧侶もいらっしゃって、檀家からなるべくお布施を貰わないようにと努力されてる方もいらっしゃいます。少なくても富山県には東洋経済の記事に出てた「檀家なんかいらない。そうすりゃいつでもハワイに行ける」というような僧侶はいません。
ただこれから収入が減って年金も貰えない私たちの世代は、僧侶の態度以外に大きな問題があって、寺院離れを起こす可能性があります。これは政治でしか解決出来ない問題です。